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[ 2024/04/27 06:15 | ]
ひとめぼれ
磯田多佳を知ったのは、

高島俊男著『お言葉ですが』9巻の「文ちゃん文ちゃん」

更に詳しくは『お言葉ですが』10巻の「祇園のお多佳さん」と「漱石祇園に病む」

を読んでから。


そして、この文中に、

うなるほどの名文 と書かれている『磯田多佳女のこと』(谷崎潤一郎 著)を読んで、

完全に心を奪われてしまった。


彼女は明治十二年(1879年)生まれ。祇園甲部の芸妓で、お茶屋『大友』の女将。

姉は祇園一力亭の女将おさだ。

場所柄、当時の著名な文人墨客に接し、通人粋人と交わる。

谷崎潤一郎、吉井勇など交流し、

平塚らいてうや鳩山春子と並んで 、著名な女性だった。

 中でも有名なのは漱石との関係。

どうも漱石は本気で惚れたらしい。

「春の川を隔てて男女哉」

なんていう句を残している。

歌は池辺義象、俳句は水落露石、画は浅井忠に学び、

地唄端唄が上手なのは当たり前だけれど、

舞よりも三味線が得意だった、とのこと。


お多佳さんは、お姉さんが亡くなった時に、

「紫陽花や 見るみる変わる爪の色」

という句を残しているけれど、アジサイが好きだったらしい。

そして、

お多佳さんに贈られた手向けの歌には、

あじさいの 花に心を 残しけん 人のゆくへも しら川の水 (谷崎潤一郎)

年ごとに 君がこのめる 紫陽花の 花は咲けども 多佳女世になし  (吉井 勇)

などがある。


容姿は、

谷崎も画家の津田青楓も、

お多佳さんは色黒で白粉気のない、特に美人というものではない。

と云っているけれど、

女の魅力は十分に聡明であれば、美人不美人にはかかわらぬようである

と高島は書いている。


谷崎の本を片手に、

お多佳さんを偲んで、祇園を歩きたい

というのが今の僕の夢。



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[ 2017/09/25 16:54 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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