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僧衣あれこれ
薄田菫泣の『茶話』に載っている話を思い出した。

昔、ある学生が学校で時計を盗まれた。

それを知った校長先生は、

時計さへ持たなかつたら、盗まれる心配はないのだ

という素晴らしい教訓を学生に与えた。

しかし、

時計を持つていても、学校へ行かなければ盗まれる心配は無い、

というのも合理的な考えかたであり、


危険なのは、学校である、

という話。


 
僧衣を着て自動車を運転したら、

おまわりさんに捕まった、という話がある。

これは、

僧衣さへ着なければ良かったのだろうか。

それとも、

僧衣を着ても運転しない、と云うのが合理的なのだろうか。



僕は最近、

袖を邪魔に感じるので、

運転する時は作務衣を着て、現場で僧衣に替えている。



幕末から明治の傑僧で、東大印哲科最初の講師になった原坦山老師は、

身なりに無頓着で、洋服の上に袈裟を着けたりしていた。

法衣を着るように、と促す僧侶がいると、

「法衣はもともと中国の喪服だ。喪服が何になる!」

と一喝した話が『遺偈・遺誡』にある。


『秘蔵宝鑰』十四問答には、

多くの僧侶を見るに、頭髪を剃っても欲を剃らず、

衣を墨染めにしても心を善法に染めることを知らない

と書かれている。


法衣(僧衣)には元来二種類ある。

戒律を保つ僧が着る脱俗質実簡素なもの。

つまり、修行用の着物。

もうひとつは、

朝廷の服飾に準じた 華美なもの。

これは儀式用で、

複雑で種類も多く、官位僧位を表す。


堀内寛仁先生の『法衣法具解説』 には、

法衣の定義として、

僧徒が着用する衣服で、これを僧衣僧服とも称する。

法衣とは「如法の衣」であり、

日常生活を規定した律を守るものが着る。

仏教の精神が象徴されたものが法衣であり、

だからこそ、

僧と仏が同じ衣服を着用する


とある。



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[ 2019/01/12 09:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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