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[ 2024/04/16 19:25 | ]
先祖とは誰のこと?
僕には両親がいて、そのふたりにそれぞれ両親がいます。

僕のおじいちゃんおばあちゃんが4人いるということ。

そのおじいちゃんおばあちゃんにも両親(僕のひいじいさんとひいばあさん)がいますから、

そこで8人。

その上は16人、またその上は36人

このうち、ただひとりが欠けても僕はいない。みんな僕の先祖です。 僕と「ダイレクトに」つながっている。


でもしかし、

どこの家でも、そのご先祖さん全員を拝んでいるようにはみえません。

両親とその父系(または母系)のみ。

嫁いだり再婚したりすると先祖から仲間はずれにされるのかしら。


「家」ということなのでしょうね。

でも、家と先祖は違う。


この家系でなければお墓に入れないとか、

家の仏壇にまつれない、

などとおかしなことを言う人も少なくない。

みんな拝めばよいのにねえ。

お寺ではそうしているし、仏壇はお寺のミニチュアなんだけれど。

 
まあ、そんなことを言うと、法事ばかり増えて大変だから、

それぞれの家で分担しているのかもしれないけれど。


供養とは尊敬する、

ということです。

尊敬する人を見習ってより良く生きようとする

その気持ちが無ければ何をしても供養にはならない。


それはさておき、

最近のお葬式はいろいろなバリエーションがあります。

枕行通夜葬儀初七日と進めるのが伝統的だったけれど、 

お通夜は無し葬儀だけ

火葬場の炉前で拝むだけ

というもの少なくない。

戒名はいらない

というものある。

拝むほうも、 

教義を理解していない、実践的修行をしていない、ちゃんと供養の作法ができていない輩も結構います。

 
ウチは先祖代々葬儀葬式はしない、

そういう習慣が無い

というご家庭なら、そういうものなのだろうけれど、

おじいちゃんおばあちゃんのお葬儀はしたけれど、

次はしない、という家もある。


お金とかつきあいとか、いろいろあるのだろうけれど、

葬儀には、

故人の社会的な幕を下ろす

という役割があります。

葬儀をしないで幕を下ろすのは、その後が結構面倒くさい。

そして、

葬儀で喪主になることによって、誰が跡継ぎなのかを世間に知らせることができる。

そんなこと、どうでも良いではないか、と言うことでもない。

家の後継者のお披露目は、世間との付き合いでずいぶんと重要です。

近所づきあいもせず、災害時にも協力せず、

助け合わないのが人生とするならば、それでも良いけれど、傍は迷惑かもしれない。



僕らの葬儀は出家受戒作法ですから、

故人はもちろん、遺族参列者に戒律を授けて、

自の向上と他を助けること、懺悔反省と感謝することを教授します。

さらに、密教では故人と遺族参列者に灌頂して、

仏の命の意味を伝える。

そして、

葬儀などの儀式を通じて、

心を調え、襟を正して一生懸命生きよう

という気持ちになってもらうように拝んで法話をする。

葬儀などの儀式をしない人は、

それが足りなくなるのではないだろうか。

自分を優先し、自分を正当化するようになるのではないだろうか。


僕は

葬儀も法事も、

用事を調節して縁者と仲良くし

故人と僧侶を媒介として、

心安らかに生きるきっかけにしてほしい

と考えています。


ご先祖さんは、どう思っているだろうか。






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[ 2016/10/31 19:44 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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