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地獄から極楽へ行く方法
八大地獄とか十六小地獄というものがございます。

焼けた鉄の床に寝かされたり、大釜でゆでられたり、身体をバラバラに切断されたり、何とも恐ろしいところなのですが、人間界で過ごす200年とか400年が地獄の1日でございます。

つまりですね、地獄では寿命がとんでもなく伸びて、長生きしなければならないんです。衆人の寿命が500歳なんていうのはザラなんです。

だから、焼かれても切り刻まれても死ぬことはなく生き返ってしまう。

生き返ったらまた、焼かれたり切り刻まれてしまう。永遠に苦しむことになるんですねえ。

なんともまあ、空恐ろしいことでございます。よくもまあ、こんな恐ろしくてひどいことを考えたものです。


でも、よくよく考えてみると、現実の世界も同じようなものでございます。


暴飲暴食してお腹が痛くなったり頭痛に悩まされたりして、もうコリゴリだ、なんて思っていたのに、しばらくしたらまた煩悩のままに食べ散らかして苦しむようなことがありますね。

つまらないことを言ってしまってから、ああ、あんなこと言うんじゃなかった、なんて後悔反省したのに、また同じような戯論に興じてね、いやな思いをすることもあります。


人はみな、地獄の住人なんですな。


地獄なんてあるのかね、なんて聞かれればね、そりゃあ、あるんです。無いものについて話すことはできませんからね。

どこにあるかと言えば、私らの頭ん中にあるんです。自分で地獄を作っているんですなあ。


ところで、仏教は瞑想の宗教でございます。

頭の中で地獄を想像することと、地獄のような体験をした、と思うのと、瞑想で心を調えるのは、当然ながらまったく違います。

瞑想では、聞こえるものも、見えるものも、感じるものもございません。何もないんです。広々として風通しが良いだけ。

ですから、瞑想中に何かが見えた、聞こえた、感じたというのはすべて妄想・錯覚でございます。あなたの脳が勝手なことを想像しているだけ。

まあ、リラックスはしているのかもしれませんけれどね。



あらゆる不安・悩み・迷いは煩悩から生まれます。

煩悩とは貪り、怒り、無知、疑い、慢心などでございます。

また、煩悩は執着を生み、その執着は自我を育てます。自我は煩悩の産物です。自我があるかぎり、地獄から出られることはないでしょう。

自我を離れ無我になった時に、地獄もなにも一切が消えて無くなります。

瞑想はそのための優れた方法でございます。


しかしまあ、瞑想なんて難しそうなことを言わなくても、ものは思いようなんでげすな。

地獄の経営者は自分です。やめちゃえば無くなりますし、やめられない時は夜逃げでも死んだふりでもしておけばいいですな。

愛情の反対は無関心と言いますが、地獄なんて無関心でいればいいんでしょうな。

で、そうでないものに愛情を持つ。そこが極楽と思いますね、きっとそうですね。

あたしゃね、これから極楽へ行ってきます。

皆さんもどうぞお越しください。
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[ 2012/12/04 08:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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