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大悲行願心
誓って我、すべての衆生を救い助ける、との誓願を実行する心のことです。

地位や名誉や財産が欲しいなら、

まずそれを欲する心を発して、それに向けて努力しなければならないように、

平和や幸せを求めるなら、

それを求める心を発して、それに向けて努めなければならない。


先の戦争ばかりではなく、歴史上の著名人らも一般庶民も、自分勝手な解釈で悲惨なことをしてきたのが人類の歴史ですが、

救いこそ生きる行為である、ということが人間にはいつも足りないのかもしれない。


病には多くの種類があり、それに応じた多くの薬があるように、

多くの心の迷いを治すために、多くの宗教、教えがあります。


般若心経秘鍵には

三界は客舎の如し、一心はこれ本居なり

(迷いの世界にいる人々は、あたかも旅先の宿の客のようである。

 その人々の中にある一心こそ、悟りの本心にして、本来の住居である)

とあり、 

この一心とは、個別ではない心。


一切衆生を自分自身とも親とも師とも思うこと。

他人を見て、その人が恩師や最愛の家族だと思えば、乱暴なことなどできない。

そうは思わない、自分自身のことだけ、という心は堕落した仮のもの。

でも、人間の日常は、その一心を忘れやすく、個別の殻を厚くしやすい。

だから慈悲の心を常にこころがけ、少なくとも宗教を信じるものは、混じりけの無い心で、大悲を行じるべきです。

それが平和と人類の幸せをもたらす。

人生で、いかに苦しみが多くても、その苦しみは克服することが可能性があります。 

でも、

死は元に戻らない

だから、

死ぬようなこと、殺すようなことをしてはいけない。

僕らは生きているから悟れる、ともに幸せになれる。

だから、互いの身体は大切にしましょう。



怨みに報いるに怨みをもってしたならば、

ついに怨みの止むことが無い。

怨みを捨ててこそやむ

これは永遠の真理である

(『法句経』第一品)



食養では、怨みの原因は腎臓の疲れと考えます。

腎臓は多量のタンパク質摂取に弱い。




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[ 2015/12/16 08:39 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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