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女人禁制
今朝の朝日新聞 文化・文芸欄に

「土俵は女人禁制」起源は

が載っています。デジタル版は少し前に出ている。

「女人禁制」そもそもどうして生まれた?宗教的に考えた
https://www.asahi.com/articles/ASL4B72J3L4BUCVL024.html 



 高野山も開創以来、

1904年(明治37年)まで女人禁制でした。

その後、

昭和になっても、奥さんがいることを後ろめたく感じ、

奥の間に隠して、人目にさらさないようにした住職もあった、

という話を田中千秋先生から聞いたことがあります。

今でも、

女人禁制の地域はいくつもあります。

また、寺院等で、

ある一定の場所、堂宇は男のみ、

としているところもある。


次男の学寮では、

男子寮に女子は入れない、

女子寮に男子は入れない。


なぜそうなのか。

仏教では、

不邪淫戒を根拠として説明していることがありますが、

それはどうだろうか。

もともと出家修行者(比丘)には軽重の戒律があります。

そのうち、

不淫は重要であり、これを破ることは重罪。

不倫とか浮気ではなく、

性交してはいけない、ということ。

道徳ではなく、宗教の戒です。

それが、

いつのまにか不邪淫などと、言い訳じみたものに変化しました。

では、

なぜなのか。

ラーマ・クリシュナは、

射精によってメタ神経が壊れ、

神に対する判断力が低下するから、

と言っており、(『ラーマ・クリシュナの福音』)

密教の口訣・口伝でも、

夢精射精した場合の念誦法、祈祷法が説かれていますが、


性のことは、特に若い行者にとって心内の大きな問題だからです。

女性がいると、あれやこれやが気になって集中できない、

だから、

女性がいないところで修行する。

女性がいなくても、心内に煩悩の火が燃えていれば同じことですが、

未然に防ぐための用意です。


『求聞持行者用心』に、修行者の心得として、

厳重には女人の調えたものを食わず

とあるのは、

女性に近づかないようにするためでしょう。



この、

煩悩の考えかた以外に、

女性は出産や月経の血の故に穢れている、

という考えかたが昔からありました。


僕らが現在拝む作法でも、

準提観音を本尊とする安産の祈祷は、

安産除穢之秘法と云います。 


しかし、『密教辞典』には、

「女性を先天的に罪悪重々のものと見るのは、

男性側の意志の弱さを原始仏教時代からすでに制度化して、

一応解決したかに満足している独善にすぎないともいわれる」

とある。

  

男女の問題ではなく、

こんな人は禁制にするべきだ、

と感じることは多いですが、

そもそも、

至心に修行していれば、

それに障りのあることからは自然と離れます。

心から真剣にお金持ちになりたいと思えば、

無理なくムダ遣いから離れるように。


ところで、

最近は性別の違いが複雑になってきましたが、

オネエとかオカマと呼ばれる人たちは、

土俵に上がってよいのだろうか。

修行道場では、どうなのだろうか。






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[ 2018/04/17 09:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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