台所にみそ汁の残りがあったので、
ネギを加えてラーメンを煮る。コショウは多め。
リンゴジュースと米酢に漬けた生姜と、
醤油に漬けたニンニクを添える。
それはさておき、
幼なじみのK君は元料理人、現在株のトレーダー。
足が速くてピアノが得意、ギャグは天才的。
心安い彼と飲んでいたら、
宇宙に果てがあるなんて信じられない、
その宇宙の外側はどうなっているんだ、
何も無いのか、何も無いなんてことがあるのか、
オマエはどう思うんだ、
と云う。
それはだな、
宇宙の果てのようなマクロの反対、ミクロの世界を考えてみると、
宇宙は何で出来ているかといえば元素であり、
それを分析すれば素粒子であり、
さらにクォークとかレプトンとかニュートリノとかいろいろあるみたいだけれど、
では最後に見つかる根源的なものは何からできているのか。
分からないだろうな。
それと同じように、
大きく広げて拡げていっても、その先は分からない。
うーん、
何だか坊さんにだまされているようだな。
オマエはそうして人をだましてお布施を巻き上げているのだな。
だましてはいない、
それに、お布施は巻き上げるものではない。
宇宙は心と同じ。心の源底が宇宙の中心になる。
それはどんどん拡がり、
拡がる限り宇宙(心)はあるのだけれど、
それが想像できないまでに広がれば、その時点で果てになる。
このように、
中心があるとすれば、外側もあることになるけれど、
中心が無ければ外側も無いかもしれない。
空間は陰性だから、
常に拡がる性質がある。だから宇宙も心もどんどん拡がる。
それを制御するのが陽性な時間なのだけれど、
もし、時間の制限を超えれば(陽性な力が無くなれば)
空間の果ては無くなるかもしれない。
知識が増えれば心が大きくなるように、
科学的知見が増えて証明されれば、宇宙はもっと大きくなる。
分からないことはわからず、知らないことは知らないのだけれど、
事実として、極微と宇宙は存在している。
それがどこからきたのか、
どこまで行くのか、
華厳思想では法界縁起、密教では六大縁起で説明するのだけれど、
時間的には、初めも終わりも無い不生不滅で、
空間的には、認識できるものすべての関係性で存在している、
と考える。
存在が真実である、と。
僕らは女湯に入れない。
これからも入ることは無い。
だから、
女湯がどのようになっているのか、
そのなかで何が行なわれているのかを知らない、分からない。
だとすれば、
僕らにとって女湯など無いものと同じである。
でも、
あるとすれば見てみたい、知りたい、
そういうことでは無いだろうな。
いずれにしても、
極小なものも、大きな宇宙も、
大日如来(悟り)の三昧耶形(シンボル)である。
※望診法講座のおしらせ
2018年1月14日(日)横浜市「Umiのいえ」
https:/ /coubic .com/wa nooteat e/26490 9
※年間祈祷ご案内
http:// shinten an.syoy u.net/% E7%9C%9 E%E5%A4 %A9%E5% BA%B5%E 4%BB%8F %E6%95% 99%E5%A 1%BE%E3 %83%BB% E5%AF%8 6%E6%95 %99%E5% A1%BE/% E5%B9%B 4%E9%96 %93%E7% A5%88%E 7%A5%B7 %E3%81% AE%E3%8 1%94%E6 %A1%88% E5%86%8 5
※精進おせちのレシピ ご案内
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※食養相談・健康相談の「穀菜食の舎」ご案内
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醤油に漬けたニンニクを添える。
それはさておき、
幼なじみのK君は元料理人、現在株のトレーダー。
足が速くてピアノが得意、ギャグは天才的。
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宇宙に果てがあるなんて信じられない、
その宇宙の外側はどうなっているんだ、
何も無いのか、何も無いなんてことがあるのか、
オマエはどう思うんだ、
と云う。
それはだな、
宇宙の果てのようなマクロの反対、ミクロの世界を考えてみると、
宇宙は何で出来ているかといえば元素であり、
それを分析すれば素粒子であり、
さらにクォークとかレプトンとかニュートリノとかいろいろあるみたいだけれど、
では最後に見つかる根源的なものは何からできているのか。
分からないだろうな。
それと同じように、
大きく広げて拡げていっても、その先は分からない。
うーん、
何だか坊さんにだまされているようだな。
オマエはそうして人をだましてお布施を巻き上げているのだな。
だましてはいない、
それに、お布施は巻き上げるものではない。
宇宙は心と同じ。心の源底が宇宙の中心になる。
それはどんどん拡がり、
拡がる限り宇宙(心)はあるのだけれど、
それが想像できないまでに広がれば、その時点で果てになる。
このように、
中心があるとすれば、外側もあることになるけれど、
中心が無ければ外側も無いかもしれない。
空間は陰性だから、
常に拡がる性質がある。だから宇宙も心もどんどん拡がる。
それを制御するのが陽性な時間なのだけれど、
もし、時間の制限を超えれば(陽性な力が無くなれば)
空間の果ては無くなるかもしれない。
知識が増えれば心が大きくなるように、
科学的知見が増えて証明されれば、宇宙はもっと大きくなる。
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事実として、極微と宇宙は存在している。
それがどこからきたのか、
どこまで行くのか、
華厳思想では法界縁起、密教では六大縁起で説明するのだけれど、
時間的には、初めも終わりも無い不生不滅で、
空間的には、認識できるものすべての関係性で存在している、
と考える。
存在が真実である、と。
僕らは女湯に入れない。
これからも入ることは無い。
だから、
女湯がどのようになっているのか、
そのなかで何が行なわれているのかを知らない、分からない。
だとすれば、
僕らにとって女湯など無いものと同じである。
でも、
あるとすれば見てみたい、知りたい、
そういうことでは無いだろうな。
いずれにしても、
極小なものも、大きな宇宙も、
大日如来(悟り)の三昧耶形(シンボル)である。
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