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[ 2024/03/29 17:30 | ]
心うきうき
この歳になっても上京の予定があると心がウキウキする。

今日は恵比寿、来週は池袋に用事がある。

東京には貨物専用線が多く、

用事の合間にそれを訪ねようと考えればまた、ウキウキする。


加藤純章博士は、

いろは歌「うゐの奥山けふ越ゑて」の「うゐ」はこの有為であり、

つねに変化してやまない迷いの世界を表している

と『日本大百科全書』に書いている。


宮坂先生の『暮らしの中の仏教語小事典』「有為」の頁には、

有為の奥山今日越えて、

この有為は「憂(う)い」と音の通づるところから、

憂いの多いこの世、という意味に解される。

憂き世は、江戸時代には浮世と書き、この世を意味し、

浮きうきしている世の中ということで、

当世風、色事、好色の意を表すようになった

とある。




有為はサンスクリットのsaṃskṛtaで、

「つくられたもの」「この一切の現象世界」のこと

無為はasaṃskṛtaで、「つくられないもの」「絶対の真理」

この有為無為の「為」は造作のことで、

有為は造作あること、原因と結果の因果因縁という造作のあること。

無為は、因縁所成の造作がないから、真如実相。


仏教ではあらゆるものを有為と無為の両面から考える。

現実と真如の両面から観る、ということ。

有為の立場から見れば、

あらゆるものは生滅変化しているから始めがあり終わりがある。

永遠不滅のものは無い、と云うのが有為からみた真理。

しかし、

あらゆるものが生滅変化するということは、

そのもの自体の本性がないということだから、

総てのものは生まれることも滅することもない、不生不滅である、

というのが無為の立場の真理。


僕らの心や身体も、

有為の立場では、生まれて変化して死ぬものだけれど、

無為から観れば、

本来不生不滅で、だから、他との妨げが一切無く、総てと相応瑜伽している。

これが即身成仏なのだけれど、

心がウキウキするのは有為の世界だから、

無常で、生滅のある世界。

しかしながら、

心もウキウキも空だと知れば、

それは不生不滅の真如悟りの世界である。

 
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[ 2018/07/21 07:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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