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心が動く時
これとこれは秘密です。

という時は、

その代り、これとこれは公開します、秘密にしません。

というものもはっきりさせるべきではないのでしょうか。

と法律に疎い田舎坊主は考えています。



それはさておき、


悪業の中で最も罪が深く最悪なものが怒り・憎しみ。

対して、最も良質で心を純化する修行のひとつが忍耐。

というのが仏教の立場です。


怒り・憎しみには

不快、醜さ、汚れ、痛み、動揺があり

忍耐には

冷静、矜持、品格、教養、美しさ、平安、心の静けさがあります。


何より、

怒れば損をし、耐えれば得するはすですが、

昨今は物分りの良い人が多いから、腹が立ったらとりあえず怒ってみても損は無いようです。



『理趣経』では怒りも悟りの道であると説きます。

不動明王など密教の仏は怒りの表情をしていますが、

あれは自分の心の中にある煩悩をやっつけるために怒っている。

怒りの対象は自分の中にあります。


そうした自分のための怒りを、世の中の不幸不平等に対する怒りに変える。

これを「慈悲」と言います。

私情が入らず、人類の平和のために怒る。

無我で怒る

どこにも対立が無い。

そして、心の中にどこか悲しみを秘めた怒りであり、

心は静かでゆとりがある怒り。

これが仏のレベルでの怒りです。



通常僕ら凡夫が怒るのは、

相手のせいでも世の中が悪いからでもなく、

僕の心が動くからです。

眼を閉じれば見えないように、心を止めれば怒らない。それは執着が無くなるから。

執着があると怒る、その破壊と無慈悲と差別のエネルギーは大きい。

だから、怒りは大きな煩悩であり、悟りの障害なのです。



冬になって我が家の庭にも枯葉が舞います。


なぜ舞うのか。

風が吹いたから

木の葉が枯れて枝から離れたから

そうではなくて、僕の心が動いたからです。


雨が降り、護摩堂の屋根をたたいて音がする。

なぜ雨音がするのか。

雨が降るから。

屋根をたたくから

そうではなくて、僕の心が動くから。

心地よい音か、うるさい音かと、時と場合によって心は動く。

だから、音を聞き、それを感じて認識することも固定的なものではありません。




苦手な人がいる

その人は僕の悪口を言うだろうか。

僕をいじめるだろうか


その人は

ただいるだけである。 僕がその人に対する自分を決めます。


その人も、雨も、僕も形あるものだけれど、形あるものは現象としてあるだけで、実体としてはない、というのが空(くう)の立場です。

なぜなら物質的存在は縁と条件によって、相互依存の間でしか存在しないからです。


だから、あらゆるものは常に変化している。




雨の音を感じる

雨、というものを了解する

雨の存在を知り、雨の音を聞く。

雨音を心地よく感じる.


そして心が止まる時、雨と一体になり、雨音は消え、僕は雨になる。




ただ、聞こえるだけ。

その時、怒りも喜びも無く、

あらゆる苦悩から解放され、心は寂静になります。



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[ 2013/11/27 11:32 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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