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心の営養
天然ものの魚と養殖ものとでは味が違うという話は巷間よく聞きます。

鶏も平飼いの地鶏とケージで飼われているものは違うのでしょうね。

牛も豚も同じでしょう。


僕の得意なお米や野菜も、採れる場所や栽培方法によって味が違います。

これらは食物としての味だけではなく姿形性質も違う。化学肥料を使えば速く大きく育ち、そうでないものはゆっくりで固く、葉は地面を覆う。


それらの何が違うのかといえば食い物が違います。食っているもの、食わせているものが違う。

どちらが良いとか悪いとかは無いけれど、違うものは違う。


人間も同じでしょうね。食べ物が違えば姿形性質はもちろん、脳のはたらきや、その人の味わい、人生も違うでしょう。



先日は、いろいろ不如意のかたがいらしたので梅醤シイタケを飲んでもらいましたらそれでOK。

これの作りかたは簡単ですが、飲みかたが難しい。

三辺回ってワンと言いながら飲まなくては効果がありません。

かように何を食べるかより、どのように食べるか飲むかのほうが大切です。




ちょっと小難しいことを言いますと、

陰性でも陽性でも、繊維が多く脂肪の少ないものは摂りすぎても排毒されます。

カルシウムが多くリンの少ないものなら酸毒になりにくい。

そうでない陰性を摂りすぎても、運動や入浴などで排毒されますが、陽性にくっついている陰性なものは、固く締まって体に染みついて排毒されにくい。これがいろいろトラブルの原因。


そう考えると解決する食べ物は何かがわかります。


仏教では、食事を作るのも食べるのも「道業を成ぜんが為なり(五観の偈)」と言って、さとり・しあわせになるために食事をする、としています。

古ウパニシャッドでは、

一切の有情は食より生じ、生じた彼等はまた食によって生命を保ち、死後に再び食に帰入する

と説かれ、


『ミリンダ王問経』では食の五徳として、

1、一切有情の寿を維持す。
2、力を増大す。
3、容色を生ぜしむ。
4、憂悩をしずめしむ。
5、飢えや衰弱を除く。

をあげています。 食事は生命を保つために必要なものであるということですが、その生命はさとり・しあわせを希求するものという前提があります。

密教では、心内に三十七尊を観想し、食を無量の福と化す

とし、精神的な栄養を食としています。


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[ 2013/02/27 11:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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