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[ 2024/04/26 00:45 | ]
心を味わう
過去の行為や他者との関係性においてのみ、

心は存在しますが、

それは思っているだけで、実体は無いから、

幻や焔や蜃気楼のようなものだけれど、

よく良く観察してみると、

そこにはすべてがあります。


例えば、

自分の身体の中に心があると仮定します。脳内でも胸の内でもどこでも良い。

実体がないから、大きさも無いのだけれど、

その心(想像)を大きくします。

どんどんどんどん拡げる。

宇宙いっぱいになる。

そうすると、

鳥瞰するように、いろいろなものが見えます。

空想で良いのですよ。

細かく観てみると、

日本があり、近所の知っている風景があり、自宅があり、

その中に自分もいます。


その自分をよくよく見てみると、

その自分は今の宇宙を鳥瞰しているから、

自分の中にも宇宙全体がある。


すべてのものには、

その本体と姿と働きがあるから、

その心が観ている中にもある。

見えている(感じている)だけではないのですね。

それらが

ただの景色風景ではなく、

仏の、悟りの象徴だとしたら、

仏が変身した姿、悟りが伴っている働きだとしたら、

心の中にそういうものがある、ということになります。

もちろん、

これは自分だけが見える世界で、

他の誰も見ることはできない。



でも、おそらく、

自分が知らないものも、その中にあるでしょう。

見えない、聞こえないものは、無いのではなく気がつかないだけだから。


そうして、 

全体が一であり、一が全体である、ということがわかります。

そこは平等無差別、
 
仕切りが無く、無障碍、無執著。


心に映らないこと(モノ)はなく、
 
すべてがそこにあります。


 
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[ 2017/11/06 09:19 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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