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意識とは何だろうか 3
大乗仏教では、

個々の現象を分析して認識する「識」よりも、

存在全体を把握する「智慧」を重視します。

あの子は可愛い、

と認識するよりも(煩悩)、

あの子も仏性があり、

仏と僕とあの子は平等である(悟り)

と直観することが大切。



眼が色を見る、という眼識や、

耳識・鼻識・舌識・身識を、

意識が判断し、

自我(無意識)が構成され、

阿頼耶識に記録されます。

阿頼耶識に記録されたものは、

常に刺激されて何かの拍子に自我に表れ、意識に上る。

そして、

眼識などの表層にまた現れ、

意識は深層心理と表層心理をつなぎます。

意識は、見る(視覚)聞く(聴覚)と同じく知覚の作用。


これらの識は分別差別迷いの世界であり、

煩悩と煩悩の残りかすなので、

修行によって智慧に変えるのが仏教の立場。


意識は、よくよく分析して見極める智慧になります。


識が智になるのは陰陽五行説にある通り。


識は脳の働き、と考えれば、

神経反射で、身体の各部とつながります。




右脳の異変は右の便秘や左ひざの不調に、
 
右ひざの不調は左側の便秘や左脳に影響します。

ですから、

体調と心理は無関係では無い。


肉体をはじめ、

世の中のモノは心を表現するものです。

その心は識大と云い、一切の智慧を持つ、

というのが密教の考えかたです。


それは、

一切の所依であり、清涼なので悩みの熱を去り、

無知の薪を焼き、煩悩の塵を吹き飛ばす。

すべての分別を離れ、汚れに染まらない。


識が智慧に替わるとは、そういうことです。





※六大陰陽五行色体表の詳細は

拙著『望診法講義録 手相編』


神経反射については

拙著『望診法講義録 宇宙を診る』

をご参照ください。



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[ 2017/06/30 10:15 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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