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故人を拝むこと
新米の季節ですね。

たくさんあるので、都会の知人に送ろうとしたら、

精米してから送ってね

と言う。

都会には精米所が無いらしい。不便なところですね。


新米は今すぐ食べるより、お正月くらいになったほうが、適度な湿気になってうまい。


それはさておき、

亡くなった人はどこにいるのかといえば、

仏壇にもお墓にもお寺にもいる、あちこちにいる。

あなたの心の中にもいる。

その上、

毎年、お正月やお盆に我が家へ帰ってくる。

ちょっとお隣へ行ってきた、

みたいな感覚で、ちょこちょこ帰ってくる。


以前にすこし書きましたが、
http://shintenan.syoyu.net/%E7%B1%B3%E3%81%9E%E3%81%86%E3%81%AE%E5%AE%B6/%E6%AD%BB%E3%81%AB%E9%9A%9B%E3%81%AE%E3%81%97%E3%81%82%E3%82%8F%E3%81%9B

仏教は無我思想が基本なので、霊魂は認められない。霊魂は我ですからね。

でも、故人の思い出は消えない。

僕らの心は

地獄から極楽まで、

迷いから悟りまで

凡夫から仏まで

流れるように続きます。

常に止まらず、変化しています。

あるときは地獄、あるときは極楽、あるときは悟り、あるときは迷う。

その心には仏性(仏の性質、悟りの可能性)がある、

というのが大乗仏教の立場ですが、 

ならば、地獄の心も極楽の心も仏性のはず。

もし、

故人の霊があるとしたら、それも仏性。

だから、

僕らの心と同じように、仏性があれば必ず成仏する。

いつでもどこにでもいるから、拝むのも、いつでもどこでもできる。

僕らは今、悟るために、幸せになるために、努力工夫ができるけれど、

故人はその可能性のままかもしれないから。


ところで、

お化けを見て怖がっている人時に、

それは錯覚だよ、見間違いだよ、お化けなんかいないよ、

と言って受け入れてくれる人と、そうでない人がいます。

そういう時に、

そのお化けがいなくなるように、何か悪さをしないように一緒に拝みましょう、

と言えば、お化けはいるけれども大丈夫になる。


同じように、

人生でつまづきがあった時、

それは自分が努力しないからだ、精進工夫しなかった自分のせいなのだ

だから、しょうがないんだ。それまでのことなんだ。

次はもっとがんばろうと、思えば大丈夫だけれど、


つまづいたのは自分のせいではない、

霊とか前世とか他人のせいだと思うなら、

その障害がなくなるように拝めば良い。


かように拝むことで、心は変化しているから、いかようにもなります。

そして、

僕らも故人も悟りの主体であることに変わりなく、

供養の実践という慈悲の修行をすることによって、

故人の救済のみでなく、僕ら全員が救済される。


拝むことは、

心の窓を開いて風(如来の説法)を入れることです。

拝めばそれを受け入れる感度が上がる。

そして、

拝む側が、どのような態度をとるか工夫するようになる

という所に意味があります。


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[ 2016/10/13 10:42 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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