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本分
本日28日はお不動さんの縁日

月例護摩供を朝4時半から修法し、皆様の平安祈願をお祈りいたしましたのでご安心ください。


隣が森で庭木も多い田舎家に住んでいるので、当家は蜘蛛の巣が多い。

いぼ取りの良い薬になるけれど、毎朝玄関の掃除をする時に、張った蜘蛛の巣を取り除きます。

すると翌朝、全く同じところに網を貼っている。おそらく同じクモにちがいない。

向田邦子の「蜘蛛の巣」を思い出すけれど、僕が巣を壊すのは簡単でも、彼らがそれを再び張るのは命がけなのだろうな。


「者」のつく商売は難しい

とは落語のマクラでよくある話。

医者、易者、役者、芸者などは自分で自分の仕事に値打ちを持たせなければいけない

ということ。

例えば医者、

患者へ薬を出す時に、

「まーこんなもんたいした事おまへん、この薬でも飲んどきなはれ」

なんて軽く言われると、

患者さんは「このお医者さん大丈夫かいな? 医者変えんとあかんのんとちゃうやろか?」なんて思う。その薬だって飲まない。

ところが、

ちょっと勿体をつけて、

「いいですか、この薬はまだ臨床例はさほど無いのですけど、効くことはよく効く薬でっさかいに“必ず6時間毎”に水で服用してください!」

と大層に言っておくと、患者さんは、時計と睨めっこをして、時間通りきっかり

「さー飲めーっ」とばかりに薬を飲む。

こういう値打ちが出てくれば、薬も良く効く、と。

噺家も同じですな、

と米朝は言うけれど、坊さんや料理人も同じです。


インターネットがポピュラーになって、その値打ちというものが変わったように感じます。

自分のスキルを錯覚しやすくなる

ようやく泳げるようになったレベルなのに、大海へ出て行こうとする。

先徳を探して師事し、授業料を払って勉強し、それを実践して体得する

という手順を踏まない傾向が、僕にもある。


 
何を食べるか食べないか、

というのは、食に関心を持った人が最初に考えることですが、

勉強して経験が深まると、何を食べるかはそれほど問題ではなくなります。  


多くの場合、量の概念が伴っていないから、食べる食べないが不安恐れの原因になるのかもしれない。

そもそも、

あれこれと区別する、分別する

そこからどちらかに執着が生まれ、苦しみが起こります。

何でもそれぞれに本分があり、

高級料亭とファミレスでも、どちらが良いということはなく、それぞれに本分があるだけ。

有機無農薬野菜と、そうでない野菜も、それぞれ本分がある。


蜘蛛と僕も

〇者もみんな

本分がある。

それを知ると知らざると、何ぞそれ遥かなる。



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[ 2015/07/28 06:24 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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