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死相
お大師さんの言葉に

「わが身中に本より法爾無漏の性あり」

というのがあります。

私の中には何物にも汚されることのない、清浄心がはじめからある

ということ。


自分が何かに成功したり、立派な人柄に達したような場合、

それは価値あるものが外からくっついたのではなく

内なるものが現われ出たものである。

同じように、魔も外から来るのではなく、内から作られる


ようは心がけ次第。




同じ材料で、良質の調味料で、便利な道具を使って料理しても、

おいしくできる時と、できない時があります。

なぜ、おいしくないのか。

おいしさは材料や道具の良し悪しではない

というのが精進料理の立場です。

丁寧に心を込めて作った、ということがおいしさになる。


お米も大根も醤油も味噌も、それらを作る人はみな真剣に真面目に仕事をしているでしょう。

だからおいしいものができる。

無駄話をしながらうわの空で作っているのではない。

台所も同じで、ペチャクチャしゃべりながら適当に作ればまずい料理になり、真剣に作ればおいしくなる。


これも心がけ次第。


心は自由自在です。

感謝をすると不満が無くなる。

不満が多い人は感謝が少ないのかもしれない。

うらみ妬みが多い人は慈しみの気持ちが無いのかもしれない。

迷っている人は自信が無いのでしょう。

なら、逆にすれば解決します。



つらいと思えばつらく、不幸と思えば不幸になります。

楽しい、幸せと思えば良いのだけれど、そんな簡単なことが実は難しい。

座禅瞑想などの宗教的修行はそのためにあります。

僕らの業界がしているのは、思いかた・考えかたを変える、というそれだけのことです。


ものは思いよう。思う通りになります。

自分が今、しあわせだ、と思えば、その瞬間に幸せになる。

しあわせは僕自身の問題だからです。


ああ、つらい

そう思わなければ良いのだけれど、思ってしまうのなら、

諦める

放っておく

という方法もあります。

難しく言えば、

執着を捨てる

自我を無くす

ということ。


何がつらいのか、誰がつらいのか

をよく考えてみると、それが実在ではなく、全く自分が作ったイメージであることが分かるでしょう。



僕は望診法が専門のひとつだから、人の顔を観ます。

場合によっては手も見せてもらう。

すると、ほぼ全員に死相が出ています。 僕自身にもある。


当たり前です。この世に死なない人間などいないのだから。

生きるか死ぬかで考えれば、明日生きているか死ぬかの確率は誰でも半々。どちらかに決まっています。



僕は修行道場時代、痔とあかぎれが酷かった。

とても痛かった。


でも、よく考えると痛いだけだった。

最悪でも死ぬだけだし、ここで死ぬか家に帰って死ぬか

その程度の違いでいつかは死ぬ。

だから、今の時間が貴重になり、

恩師の言葉は宝石になりました。



死ねば痔もあかぎれも治る

そう思ったら痛いことは僕の中で重要なことではなくなりました。

すると、他に考えることが山ほどあることに気がつきました。そして、今すぐ勉強しよう、修行しようという気持ちになりました。



そんな星雲の志(充分にオッサンだったのだけれど)が今でも間断なく続いているわけではなく、面倒くさくて怠けることも多くなりましたが、

何かの時には思い出します。

そして僕の死相を確認します。



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[ 2013/09/13 08:46 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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