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犬になりたくなかった犬
中学生のころに親しんだ本のひとつが、F・モウワット著『犬になりたくなかった犬』

『船になりたくなかった船』という作品もある。

この本に登場する駄犬・マットは、猫からバカにされないように、狭い塀の上を歩いたり梯子を登ったりして、飼い主家族とともに冒険生活をする楽しい話。

時が過ぎ、マットがいなくなった時、

主人公の子は

それから僕の人生は、長いトンネルに入った

と言い、彼にとって、ひとつの時代が終わります。



桜が散って春が過ぎ、

長年飼っていた犬が死んで、桜樹下に埋葬し、引導を渡して真言を唱えました。

しばらくして、雨が降り始めた。


死ぬ直前

何も食べなくなった犬に、

これなら食べるわよ

と、母はスーパーで一番高価なロースハムを買って食べさせていました。

亭主には一番安いプレスハムを食べさせながら。

晩年、散歩に出て、向かい側から他の犬が来ると、プッと尻尾を向けて帰ろうとしました。

犬が嫌いになったのか、臆病なのか、何かを思ったのか。



思えば小学生の頃から、我が家では犬を飼っていました。


その間、何度も犬の死に遇い、そのたびに、

はたして犬はしあわせだったのだろうか、

と思いました。

鎖につながれて、食べ物は恵んでもらい、自由なんて無いじゃないか、と。

可愛がるなんて、こちらの勝手な思い込みじゃないか、と。

僕は慈愛を持って接していたのだろうか。



よくよく考えてみれば、

今いる家族に、友人知己縁者に、

僕は慈愛を持って接しているのだろうか、

と問われれば忸怩慚愧共にあります。
 
慈愛が無ければ大人として失格であり、人としての基本ができていない、ということである。


子どもらが巣立つと、親の手間は随分と減ります。

犬が死ねば、散歩やエサの手間も無くなる。

迷惑や世話や手間がかかることは面倒なことだけれど、それが無くなると随分とさみしいものです。

人には迷惑をかけないようにしたいと思うけれど、僕自身は誰かから適度に迷惑をかけてもらいたい。

手間や迷惑はそこそこ嬉しいものでもあります。



あらゆるものは大地から生まれ、大地や空に帰ります。僕らを作っている要素がそこで形を変える。

だから、そこは不生不滅で、万物の所依です。

そして雨が降って熱悩を去り、

風が吹いて煩悩の塵を除去します。

上には、差別の境目が無い、何事にもとらわれないような、大空が広がっています。





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[ 2015/04/11 06:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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