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[ 2024/12/23 14:25 | ]
生きていれば役に立つ
もし、果てしない暗闇に迷い込んだような不安や虚無感がのしかかり、

まったくの絶望のきわみに置かれたとしても、

それは自分だけが特別な立場にいるのではなく、

世界中の誰もが経験することで、

過去には戦争や災害や飢饉などで、もっともっと悲惨な立場の人がいたはずです。

つらいこと、苦しいことは、ごく当たり前のことです。



あらゆることは変化します。固定したものなどありません。

自分も変わります。日々身体も心も変わる。

時代も環境も、一時も同じではない。

ですから、

世界中で自分だけが、いつも常に不幸で不満いっぱいということは無く、そう思うだけです。

事実は事実ですが、それを固定した実体と錯覚する瞬間に、目の前の出来事は幻や砂上の楼閣となります。

落胆することはありません。それはただそれだけのことで、またそれは変わるのです。


ところで、

人はみなゆっくり自殺しているようなものです。

まじめに精進していれば、健康と長寿が得られるのに、

お酒を飲んだり不自然なものを食べ散らかしたり、

夜遊び夜更かし不規則な生活をしたり、不平不満をもって良くないストレスをためたり、

と、自らの心身を弱め、寿命を縮めています。


ですから、自殺しても、その死は事故死病死などと同じです。

自殺だから地獄に堕ちる、成仏しない、などということはありません。みな、同じ死です。 

生の反対側にすぎません。

どんな死にかたでも、同じように供養・尊敬し、心を込めて祈るべきです。  


密教は、今すぐにこの身体のままで悟れる

という立場です。

この肉体があるからこそ、修行して悟ることができる。

この肉体があるからこそ、優しい言葉をかけ、誰かに手を差し伸べることができる。

僕らは生きていれば、人を救える。

そうして、慈愛の言葉と行動があれば、自分自身が安らかになり、心が解放されます。

これは現世においてのみです。


世の中に変わらないものはありません。

だから、不滅の霊魂などというものも無い。

神もなく、魂も無い。終わりも始まりも無い。 

 

避けがたいものを受け入れる智慧が得られた状態を悟りと言いますが、

それには自ら考えて判断することが重要で、死んでも嫌なものから解放されるとは言えない。幻想がまた、始まるだけです。

そもそも、苦しみの無い世界があるわけではなく、それは自分で作るものです。

苦しみは「思う通りにならない」という執着のことですが、

これから逃れる方法は、死ではなく「目覚め」です。

目が覚めたことをブッダ、悟りと言います。

お釈迦さまは亡くなる直前、弟子たちに、

怠りなく目を覚ましているように

とおっしゃいました。


陰陽で見ると、

誕生が最も陽性で死が一番陰性ですから、死にたいと思うのは陽性過多、と考えられます。

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望診法のうち、手相編講義録を出版準備中ですが、web版を眞天庵ホームページからご覧になれるようにしました。
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・内容
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内臓と心の関係
爪について
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パスワード発行料 500円(穀菜食の舎会員に限ります) 


眞天庵・穀菜食の舎 須永 晃仁
メール:gbqmk185@ybb.ne.jp
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[ 2015/04/04 18:27 | 米ぞうの家 ]



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