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眼は何を見るのか
老眼になってメガネが無くて不自由することがありますが、

メガネが無ければ無理に見なくてもいいや、と楽な気持ちにもなります。


眼は耳鼻舌皮膚心とともに対象を認識する器官ですが、眼は色や形を担当。

「あなた」を「眼」が「見て(認識して)」、脳へ伝わり「きれい」とか「素敵だ」など心が生まれます。

きれいとか素敵だなどの判断は、心の源底にあるDVDに記録されているものから引き出され、再生される。

その眼は見えるものと見えないものが、常に変化しています。

日常作法の洗目の真言は、
 
目を洗うことで眼病が去り、十方に諸仏を見る

という意味がある。十方に仏を観る心になろうとすることが大切。

毎日拝むどんな作法の中にも、仏眼仏母という仏さまがいらっしゃいます。

名前の通り諸仏の母で、このお母さんに加持されて、魔が避け、事業が成就する。

母が子を守り育てるようなもの。

誰に対してもそういう気持ちを持つようになりたい。


仏眼さんには五つの眼があり、

肉眼は普通の目、

天眼は肉眼よりもっとよく見える眼

この二つは世俗の眼、自分の外側を観る欲望の眼。

慧眼、法眼、仏眼 は自分の内側を観察する眼で、

この眼によって空や縁起や覚りを知る。

それによって、すべては成就する。


もうひとつ、

拝む作法中に金剛眼があります。

両目に梵字を観想し、右目が日に、左目が月になり(この左右が逆の経典もあるけれど)、

その光りによって一切の悪が消えます。


暗闇に明かりを灯せば総てが見えるように、

智慧の光があれば、迷い苦しみの闇が消える、ということ。

眼から智慧の光が出る。


ところで、

『古事記』に重要な神々が生まれた時の記述があります。

まだ仏教の影響が無い時代の話。

イザナギノミコトが死んだ妻恋しさのあまり、冥土へ尋ねて行くけれど、

そこは来るべきところではない、そして見るべきものではないものを見た、と覚り、

急いで帰り、日向の橘の小門の阿波岐原で禊(ミソギ)をします。

そして、

左目を洗ったときに日の神 天照太神が生まれ、

右の目を洗ったときに月の神 月読命が生まれた

とある。

日本古代史では、ミソギによって眼から日の神と月の神が生まれ

密教では、

梵字(これは仏のシンボル)と智慧と瞑想により、日月の光明が生まれ、大日如来の悟りにつながる。

日(太陽)は智慧(勉強)

月は禅定(心を静かにする修行)

の象徴。



陰陽五行説で眼は肝の蔵。

望診法でも眼で肝臓の様子を判断します。

肝臓は怒りに敏感で、肝臓が健康なら忍辱(耐え忍ぶこと)に優れる。

なので、

和やかに微笑むことは眼の滋養になり、悟りの仏眼につながる。

食べ物では酸味、辛味。



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[ 2017/03/06 07:37 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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