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瞑想と免疫力
息子から、

集団的無意識について聞かれ、

西洋哲学のことは良く知らないけれど、

大学在学中、仏教学概論で唯識との違いを習いました。


僕らが常用している『理趣経』には

発菩提心即為於諸如来広大供養

とあり、

本当の供養とは、まず菩提心をおこすこと。

菩提心を起こすは、すなわち諸の如来において広大の供養するになる


ということ。


同じく『理趣経』には、

一切有情如来蔵  

とあり、

人の本来の性質は、

如来のそれと同じである

ということ。


この菩提心というも如来蔵というも、

あらゆるものが心をよりどころとしており、

それはあたかも、

一切のものが大地をよりどころとして存在するようなもの

ということにつながります。


その心を分析してみると、

僕らは、

眼耳鼻舌身で感じ、

見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る

という感覚を得て、

好き嫌いどちらでも無いなどの意識を持ちます。

これは個別の心の働き。みな違う。

意識はモノを認識して、

過去・未来・現在も対象とします。

さらに、

眼耳鼻舌身は執着無く、ただ感覚するだけなのに、

意識は、過去を思いだしたり予想したり、

錯覚妄想したりします。まあ、分別するんですね。

この意識は、

価値を判断する「自我意識」から生まれます。

これを仏教では末那識と言う。個人的無意識です。

この自我が曲者で、

苦しみ迷い煩悩の原因となります。

自我が無ければ一切の苦しみは消える。

自我は汚れた心であり、

認識もすべて執着という汚れです。

この自我は阿頼耶識という根源的な識から生じます。

阿頼耶識は無色透明、善悪浄不浄何もない。


僕らは夢を見ますが、

夢を見ているときにそれを夢とは気づかず、

夢から覚めた時、夢とわかります。

同じように、

汚れの無いまっさらな状態になった時に、

阿頼耶識を根拠として、心が生じているとわかります。

これは中性で、

汚れの画像が生きている間に録画され、

汚れを取り除く画像も録画されます。

僕らが普段に感じる印象が取り込まれるのです。

この阿頼耶識が、

ユングのいう集団的無意識に似ていますが、

阿頼耶識は集合的無意識を支えている自心の源底です。

違いは、

その根底に、

自我から自由であるかどうか

汚れは偶然か根拠を持つか

でしょう。


ところで、

この阿頼耶識を悟るには瑜伽という瞑想修行が必要なのですが、

その瑜伽行の階梯を進むうちに、白血球が強くなる

と後期唯識瑜伽行派の経典にあります。

つまり、

免疫力が向上する

ということ。

瞑想中の呼気によって副交感神経を

吸気で交感神経を刺激して自律神経が調い、

観察の瞑想によって、

不安迷い悩み貪り怒り無知などの、

免疫力を低下させるものが無くなるからでしょう。




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※陰陽研究塾


「結石とピロリ菌の関係」

https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/5rpRgxkJ





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[ 2016/11/08 09:26 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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