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穢れはどこにあるのか
大乗仏教では、心について、

その本質(体大)、その姿かたち(相大)、その働き(用大)

という三つの側面を見ます。三大と云う。


すべてのものは元素などのモノで構成されていますが、それをそれと認識するのは心ですから、

どんなものにも三大がある、と考えられます。

総てに、

本質、姿、働き

の三つがある、ということ。


密教や多くの大乗各宗派は、

僕らの本心は元々仏と同じである、仏(清浄な悟り)の性質を持っている(如来蔵)という立場です。如来蔵でなければ、僕らは悟りたいと思わないはずですから。


「六道四生の一切有情は皆如来蔵を具す」(『四無量心観』)

「一切有情は如来蔵なり」(『理趣経』第十二段)

などとある。


あらゆるモノも心も、本源的なものがある。(それは仏の本質を象徴する地水火風空識の六大なのですが、詳細はまたいつか): 体大

それらは縁と条件によって、目に見える姿、音声、サイン、動きなどで表され : 相大

それぞれ慈悲の働きをしています。: 用大

太陽という本質には

大きく光輝く姿があり、

地球を暖め、生き物を育む働きがある。


死を穢れとしたり、

女性は穢れているから、特別な場所に入れないとか、

福島から来た僕らは汚ないとか、

そういう考えかたがいくつもあります。

えんがちょ、では済まないことが。



仮に姿かたちが汚れていても、その本質は清浄で如来蔵。

死が不浄だとしても、その本質は仏と同じく美しい。

故人も女の人も、どこに住んでいる子も、

みな如来蔵だから、成仏の可能性を持っている、本来清浄な存在です。



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[ 2017/02/02 14:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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