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肉食の思想

政治家の言葉で耳障りなのが、

「きちんと」とか、「しっかり」やるとかやらないとかの言葉が多いこと。

本物の自信がないのか、いかにも口先だけ、という印象がぬぐえない。


ある家庭ではよその家と比べて病人が多い、とか、

あるひとつの保育園では、他の保育園と比べて体調不良の子や先生が多い、

ということがあるとしたら、原因がその家や園の中にあると考えるのは当然なのだけれど、

外へ外へと原因を探しがちなのは昨今の特徴です。

中身に自信がないのか、口先だけで生きる方針を決めているのか。

政治家も民衆も同じなんだろうか。



それはさておき、

『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見』 (中公新書 鯖田 豊之著)

『菜食主義』 (食の科学叢書 末次 勲著)

の二冊は、充分な実例や文献、統計を基にして、説得力のある論が展開されています。


人間が何を食べるかは、住んでいる場所で何が採れるか、というのが要因なのは当然でしょう。


ヨーロッパが肉食をするのは穀物が採れず、牧草には適した気候だから。


『肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見』から引くと、

「キリスト教(一神教)圏で育った人間には、いくら本人が自称『無宗教』であっても、全ての動植物は神が人間の為に好き勝手に扱えるようお造りになったものだという考えを捨てきれない」

西欧精神とは『肉食』の思想であり、肉食の思想には『強烈な断絶論理』がその根底にある。

『人と動物』、『人と自然』、『人と神』を断絶することによって、形作られたのが西欧精神、キリスト教精神(一神教精神)であり、哲学的には、主体と客体、肉体と精神、彼岸と此岸などの相互に対立(並立)する『二元論』な考え方である。

その一神教的な世界観から、人間中心主義が生まれ、其処から派生した人道主義、個人主義的な民主主義思想、そして遂には近代科学文明をも誕生させていく。  

日常的に家畜を食する西欧人にとって、宗教的にも思想的にも、人と動物を断絶する根拠と理論が何よりも必要で、そうしなければ日々を共に暮らす動物たちを殺して食する肉食中心の西欧文化は生まれ得なかったかも知れない」



まあ、原罪ですね。それを許してくれるのは神しかいない。だから、神と契約して生きてゆく。


そして人と動物、人と自然、人と神、善と悪、あなたと私、天と地、という二つを分けるような思想になる。そうしなければ生きてゆけないのだから。あの気候では。


東洋の仏教や陰陽は、それらはみな一緒というか、同じというか、溶けあっているというか、とても曖昧。 神のようなものは人の中にあり、人はそれになることができ、そうなるために修行します。


陰は陽になり、陽は陰に、と常に変化し、諸行は無常であり、諸法は無我です。

こういう思考から中庸、中観という思想が生まれます。両極端から離れる真ん中が良い、という考えかた。



陰陽で考えてみると、

肉は極陽性なので、陰性なものが必要になります。

自然界では陰陽は5~7:1なので、陰性が強い砂糖や香辛料が欲しくなります。


陰陽両極端な食事なら、陰陽どちらにも傾きやすい心身になります。陰性が排毒するとき、陽性が排毒するとき、それぞれに大きな動きが出てくる。

科学技術の発達には、このような思考が必要なのかもしれない。


肉食の思想では、陰陽も「陰」と「陽」という二つのものに分けるのだろうけれど、東洋の考え方では、陰陽は二つにはわかれない、臨機応変に動いてバランスをとっているだけです。



いずれにしても、思考も身土不二であり、思想哲学は着飾るものではなく、そこの環境とともに身に沁みこむものなんだろうな。
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[ 2012/09/11 10:21 | 米ぞうの家 ]



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