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自我と呼吸
昨日書いたように、

Ātman(アートマン)は元々呼吸の意味でしたが、人間の内面の実在を指すことになり「自我」を現す代表的な語となりました。

仏教ではこの自我を否定します。アートマンは実在しない。

それが仏教であるかどうかは、無我であるかどうかですが、

「神」なども無我です。絶対的な神が存在するのではなく、

我々との関係の上にのみ存在する。

無我であれば、執着が消え、苦しみが無くなります。

「私」も何もかもは常に変化して、あれが欲しい、もっと欲しい、思い通りにならない私は過去の私。

「私」とは概念に過ぎないのです。

で、
 

呼吸を止めれば自我も無くなる。

肉体の束縛から離れ、心は開放されるけれど、それでは死んでしまう。


お釈迦さまは長い間の苦行を捨て、菩提樹下の瞑想によって悟りを開きますが、 

その悟る前、最後の苦行が無息禅(阿含経によれば阿婆頗那迦三摩地)で、

これを境に、
一切如来の真実に至る観法によって悟ります。

死ぬような呼吸停止ではなく、

呼吸を調えることにより自我の迷い煩悩を減らして、より良い希望に転換することはできます。

数十秒間呼吸を止めることで、副交感神経を刺激して、ストレスを開放できます。

 
呼吸の乱れは自我の混乱で、苦しみの原因。

呼吸を調えることが
自我を調えることになり、

心は静になります。


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[ 2017/03/22 17:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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