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輪廻する心
昨日は月例の不動明王護摩供。暖かくなりました。



梅も咲き始めました。春になりました。


去る26日、仙台市龍宝寺にて僧侶30数名が参座して土砂加持法会。その後4組に分かれて被災地へ。

山元町、石巻、南三陸、女川で、光明真言で加持した土砂を撒きながらご供養。
 


津波被災地は何台もの重機が動く工事現場のよう。人々の暮らしも続いております。終わったこともあり、始まることもある。



土砂加持法会は『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光明真言経』に説かれる精霊供養には大切な法会で、清浄な土砂を諸仏諸菩薩の総呪である光明真言と樒の葉で加持します。

この土砂は滅罪生善、息災敬愛等の妙用功徳があり、亡者得脱安産成就罪障消滅に使われます。

お加持の際に唱える光明真言は、耳に触れるだけで一切の罪障を消滅させ、読誦すれば無量無辺の功徳があるので、僕らはそれを何百万回も唱えています。




先週、阿字観にいらしたご婦人からいくつか質問がありました。

〇仏教徒ってどういうこと? 


仏教を信仰している人のことですが、信仰と言うのはなかなか難しいものです。身近で大切な人のことさえ、完璧に信じることはできない。

キリスト教徒は聖書の教えを守る者、ということらしいですが、仏教は実践的かつ瞑想の宗教なので、仏教的な生活をする者、というのがよろしいかと。


〇お葬式って必要なの?

これはね、なかなか難しい問題です。

人はひとりで生きているわけではありませんので、社会的な幕を下ろすためにある程度の儀式はあったほうが良いですし、親族家族の心を調えるためにも必要かもしれません。

いずれにしても、自分の死に際、死に方を考えておくことは大切なことでしょう。


〇輪廻ってあるの?

紀元前500年ころのインド・ブラーフマナ文献に初めて輪廻の思想が表れます。バラモン教です。

生き物が死んだ後、生前の行為である業の結果が次の生となって生まれ変わること。

この生死の繰り返しは「苦」であり、そこからの解脱を理想とします。


仏教はちょっと違う考え方を持っています。

輪廻するのは肉体などの物質ではなく、認識という働きである、ということ。

心は脳という物質の「働き」ですが、脳が目や耳や鼻などで認識する力の連続、とも言えます。

そこには「自我」という錯覚が生じます。錯覚ですから常住するものはありません。だから輪廻する主体が無い。

輪廻するのは、認識したものが後日別の認識に影響される、ということにすぎません。その認識は流れとしてはつながっていますが、別物です。

ですから、輪廻とは心がどのように機能するかを説明する概念です。


仏教では、今現在の修行によってのみ「悟り」や「しあわせ」が得られるというものです。生まれる以前の業や血筋によって私が影響されることはありせん。自身の努力精進が結果を生むものであり、努力精進しない人が前世や霊魂のせいにするのでしょう。


そういう意味で人はみな平等です。だれでも悟れるし、しあわせになれます。


心も空(くう)であって固定的なものではありませんから、輪廻する主体も無いのではないか、というのが僕の考えです。
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[ 2013/03/29 07:28 | 米ぞうの家 ]



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