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遇うと遇わざると
暖かいお正月で過ごしやすいですが、白菜がうまく漬からない。水が上がらないのに暖かいから。

今日は三日とろろ

お正月のお腹を休めるために、とろろご飯を食べる日。

円谷幸吉の遺書にも出てきます。


それはさておき、



恩師・田中先生がよくおっしゃっていた言葉に、

「遇うと遇わざると、なんぞそれ遥かなるや 」

があります。『性霊集』巻第四にあるもの。


仏法に遇うか、遇わないかは、ずいぶんと違うものだ、と。

仏と私

あなたと私

すべての関係がそのようだ、と。

お正月の味に遇うか、遇わないか

師や友に遇うか、遇わないか



そもそも、

僕らはあらゆるものに出会っているのに、

遇うべきものの一番近くにいるのに、すれ違っている、気がつかない

そういうことが多い。



僕らは、お勤めに最初のあたりに『開経偈』を唱えますが、

そこにも、

「百千万刧難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)」

とあります。


仏法の真理には

ものすごく、とてつもなく長い時間をかけても巡り合うことは難しい。

 ということ。


ですから、

遇えた、会えて良かった

ということは、これは大変なことなんだ。

遇うと遇わないとでは天地の違いがある。

恋人に、家族に、趣味に仕事にも。

ということに気がつくのがひとつの悟りです。


それに気がついたとき、

美しい氷を大海に入れ、それが溶けてひとつになるように、

氷と海の境目が無くなるように、

仏と私が、

あなたと私が、

自分と周りが

そういう状態になることを、

自分の心を知る

と言います。



上の『性霊集』の言葉の前後、少し書きます。


石は重くて水に沈み、 蚊や虻は遠くまでは飛べない。

でも、

舟があれば、大きな思い石も世界中の海を渡ることができ、

鳳凰の翼につかまれば、蚊も虻も、世界の空を飛びまわれる。

もし、それぞれに出遭えなかったなら、

自分の能力ではとても達することはできないだろうけれど、

遇えばできる。

遇うと、遇わないとでは、遥かな違いがある。


だから、

仏教や密教に出会えば、

あなたに出会えば、

仕事に出会えば、

・・・・。


さて、

今年は誰に、何に遇えるだろうか。



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[ 2016/01/03 08:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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