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金剛頂経雑感 2 ~苦行について~

一切義成就菩薩は、

普賢菩薩であり、お釈迦さまでもある、

解釈によっていろいろなのですが、

『理趣経』には、

一切義成就金剛手菩薩摩訶薩という長いお名前で登場します。

その菩薩が、

無上の悟りを求めて、

無息禅とか無動三摩地と呼ばれる苦行をしていました。

口も鼻も耳も閉じてしまうような行。

そこへ、

一切如来が現れ、

一切如来の真実を知らないで、

苦行難行に喜びを探しても、悟りは得られない

苦行をして、どうして無上の悟りを得ることができるのか

と言います。



一生懸命何かをしても、

大切なことを知らなければ何にもならないよ、

ということは世間でもあるでしょう。


寺院仏教では、

真面目に葬儀や先祖供養をしているけれど、

大切なことを忘れていないだろうか。

それで仏教が分かり、成仏できるのだろうか。



それはさておき、

一切義成就菩薩が行じていたものは、

仏教一般に許容される禅定ではない

と『普曜経』にあります。

なぜなら、
 
衆生に対する利益行が不可能だから。


金剛頂経というのは、いくつもの経典が集まったものですが、

その中でも、

苦行を否定しているものが多い。

一般論で、

極端な安楽と、極端な苦行の両方とも無意味であり、

その間の中道を選ぶべき、

という意見もありますが、

多くは苦行のみ否定し、

反対側の安楽享楽放逸は、そのままにしていないだろうか。


『普賢金剛薩埵瑜伽念誦儀軌』などは、

苦行を否定していません。観法・禅定の前行としています。


あの、お釈迦さまの6年間の苦行も、

苦行ではなく、心の探求であり、

菩提樹下で悟るための前行だったかもしれない。


中道で済ませるのではなく、

苦行でも何でも、

さあ、やってやろうじゃないか

という気持ちは意味があります。

やらなければわからないこともある。


現在の僕らが教わっている次第(『金剛界』の五相成身観)は、

『金剛頂蓮華部心念誦儀軌』にあるもので、

当該場面は苦行ではなく

数息観のような、穏やかな呼吸法が示されています。


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[ 2019/05/26 05:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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