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[ 2024/03/29 06:32 | ]
金剛頂経雑感 6 ~どうすれば良いのだろうか~
『即身成仏義』には、

即身に成仏する典拠を八つ上げています。

『金剛頂経』から四つ、

『大日経』から二つ

『菩提心論』から二つ。

1、この三昧を修するものは現に仏菩提を証す

2、もし衆生あってこの教に遇い、昼夜四時に精進して修すれば、現世に歓喜地を証得し、
  後の十六生に正覚を成ず

3、もしよくこの勝義によって修すれば、現世に無上覚を成ずることを得

4、まさに知るべし、自身すなわち金剛界となる。自身金剛となりぬれば堅実にして傾壊なし、
  われ金剛身となる                          以上『金剛頂経』

5、この身を捨てずして神境通を逮得し、大空位に遊歩して、しかも身秘密を成ず

6、この生において悉地に入らんとおもはば、その所応にしたがいこれを思念せよ。
  まのあたり尊の所において明法を受け観察し相応すれば成就を作す
                                   以上『大日経』

7、真言法のなかにのみ即身成仏するが故に、是れ三摩地の法を説く。
  諸教のなかにおいて闕して書せず

8、もし人仏慧を求めて菩提心に通達すれば、父母所生の身に速に大覚の位を証す
                                   以上『菩提心論』


この、即身成仏への批判は昔からあります。

ひとつは、

行が欠けている。

菩薩の修行には六波羅蜜があり、
 
布施 ほどこし
持戒 いましめ おきて
忍辱 たえしのぶ
精進 はげみ
禅定 心のしずけさ 
智慧 存在の意味

このうち、

真言密教が即身成仏の方法としているのは三摩地、

つまり、
 
禅定のひとつだけであり、他の行を欠いているから不完全である、

というもの。


もうひとつは、

慈悲を欠いている。

禅定だけで、自分ひとりで悟りへ向かうのは、利他を捨てている、

というもの。


大乗仏教では、

煩悩障と所知障
(迷いの原因=我への執著と、知るべきものを知ることができない原因=モノへの執著)を断じれば、

自利と利他(自らの悟りと、他の人の救済)を、

同時に達成できると考えています。


即身成仏は、

自利がなければ、利他はできない

と受け取れる面もありますが、

弘法大師は、

「衆生尽き、虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」(『性霊集』)

とおっしゃっており、

修生(修行して生じる)あっての本有(本来悟っている)であり、

修行してから、衆生を永遠に救う修行をさらに続ける、

という立場だと、僕は考えています。


そのあたりは、

『三昧耶戒序』に具体的に書かれています。


「この乗にはいって修行せんと欲わんものは、先ず四種の心を発すべし。

 一には信心、二には大悲心、三には勝義心、四いは大菩提心なり」

とあり、

慈悲による信心 、

すべてを己のことと思う大悲行願心
 
道を求め、向上しようとする勝義心

それを支える大菩提心(三摩地)

この三摩地によって、

自己の本源に目覚め、迷いを悟りに帰入する。

これは、

帰りたかった自宅へ帰る心と似ており、

その帰るところが、慈悲(行願心)と智慧(勝義心)

そして、

金剛頂経の世界へ三摩地によって入り、

そこから永遠に衆生利益の道を歩く、

それが即身成仏かもしれない。



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[ 2019/05/30 10:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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