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[ 2024/04/20 17:28 | ]
雑草
夏は草取りの季節ですが、

畑に種を蒔き苗を植えたら、

ある程度の草取りをしないと、その力に負けて芽が出ない、苗が育たない。

苗が大きくなり、茎が太くなり、根を張るようになれば、

雑草が生えていても問題ない。雑草と共存してくれる。

心も同じようなもので、

仏性があるからといって、何もしなければそれは発現しない。

努力精進してこそ、自分の心、つまり仏がわかる。
 
最初は煩悩や迷いを知らんぷりする工夫をして、

生活を調え、

懺悔反省して周囲の雑草を抜いたほうが、悟りへ向かう心は育ちやすい。

慈悲と自らの心を静かにする方法が身につけば、

雑草があってもかまわない。何の問題も無い。


でも、

トレーニングをしていないと、そこにいくまでに煩悩に負けることが多い。

酒でだめになれば酒までの人になる。



『大日経疏』には、次のようなことが書かれています。

今ここに菩提の種が蒔かれてあるとする。

しかるにその周りには煩悩の雑草が生え茂っているので、中々その種は芽生えない。

そこでその雑草を取り除くことばかりをするのは、

煩悩を断ずる難行苦行の教えである。

しかるに今、

雑草はいくらとっても後から後から生えてくる。

それがむしろ雑草の本性。

人間の煩悩もまた取り除けられるものではない。

それは生命の根深いところから生えてきている。

むしろ煩悩はそのままにそっとしておいて、

それよりは菩提の種の根元に仏の大悲の肥料をしっかり施す。

そうすると、すぐにその種は芽生えて忽ち雑草を追い越し枝を張り根を繁らす。

そうなれば、下の雑草は蔭となって自然に枯れ、かえって菩提を培う資量となる。




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[ 2016/08/23 07:19 | Comments(2) | 米ぞうの家 ]
1. posted by 坪井  2016/08/23 11:03
清いもの 汚いものと分けてしまうのは、物の見方を誤る事に成るのかもしれませんね。

人間の身体も菌だらけですものね。
腸も口内も皮膚も.... それらとバランスを取って居られれば問題はおこない。 バランスを崩すと日和見感染で重篤にもなる。

今日は悪くても 調子を整えれば明日は少しはよくなる...かも。

菩提の種はいつ発芽するのかしら?これは発心した時に発芽するのですか。
2. posted by 米ぞう  2016/08/23 16:27
『華厳経』梵行品第十二に

「初発心の時に、たちまち正覚(さとり)を成ず」

とあります。

でも、これは、

仏と自分と衆生がまったく差別無く平等であるという心に住した時のことです。

すべては心が作り現した世界ですから、僕らは努力しなければ仏になれない、心で仏の世界、境地を作らなければならない。

心とは強い願いをかなえるために実践する機能のことをさしています。

お大師さんの『般若心経秘鍵』冒頭にも、

「発心する一念のうちに、直ちに悟りの境地に到達する」

とありますが、これも

迷いの暗闇と悟りの光明を見分けるために、努力工夫しなければ、到達できません。

勉強すれば合格できる能力が本来誰にでもある

練習すれば勝てる力を、本来誰もが持っている。

だから、

実践すれば、すぐに到達できるということです。

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