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5月になれば彼女は
真面目そうな学生で満員の教室も、新入生でごったがえしていた学食も、

5月の連休明けにはずいぶんと隙間の多い空間になるものだったけれど、

今は5月でも混んでいるよ。授業には出なくても、みんな学校へは來るんだ。

と息子が言う。



4月、新しい生活が始まって、彼女は僕と出会う


春先は冬にたまった陽性毒で肝臓が疲れて、大人はイライラする。

春の若者は不安や迷いがまだまだあるものだ。

若者が経験することは、年上の人間から見れば自分たちが体験したことばかりだから、

ああ、あの時は僕らもそうだったなあ

と思って暖かく見守ることができる。


若者よ、心配しなくていい。

同じような悩み苦しみを味わったおっさんたちは、こうしてそこそこ幸せな人生を送っている。

もっともっと悩んで、精神の基礎を強くすればいい。悩んだ特は、その悩みがどこから来たものかを考えれば、君の頭脳は発展する。



5月、彼女は僕の腕のなかで眠るだろう

少し落ち着きが出て、新しい愛が芽生える。それが安らぎのひとつだと知るようになる。



健康な人に医者が不要なように、心の強い人は自分だけを信じて進むことができるだろう。

しかし、人生には必ず行き詰まりがある。

その時、1冊の本、ひとりの師、ひとつの実践哲学があれば、人は問題を解決し、困難を克服することができる。


お参りに来るおじいさんが、重い病気から生還した時に言った。

いやあ、あの世の入り口まで行ってきたよ。

でもさあ、あの世に向かって歩いていくとさ、いくつか分かれ道があるんだ。

オレはその時にすべて左側の道を選んだ。

そうしてここに帰ってきた。


だからさあ、和尚さんも、分かれ道があったら必ず左側を選んだ方がいいよ。



これもキルケゴールやナーガルジュナに匹敵する実践哲学かもしれないけれど、理論的バックボーンがあればもっと良い。



6月、彼女の態度が変わり始める

落ち着きをなくして、夜をさまよい出す

そして7月、彼女は何も告げずに旅立つ


と、アート・ガーファンクルは歌っているけれど、


愛とはそういうものさ、と諦観できるようになれば、人生の味が深まる。



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[ 2013/04/30 07:17 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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