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under control
マージャンを覚えた息子が、

平和という字を見ると、

ピンフーとしか読めない

と言う。

 
若い頃から強かったらしい母は、

向かい側をトイメンと言う。


昔、高野山大学の授業中、

音読を指示された学生が、

東西南北をトンナンシャーペイと読んだ。

彼は今、どうしているだろうか。


それはさておき、

言いたいことが言えないことは、よくある。

そこには遠慮や自信の無さがある。

言いたいことを言わないこともある。

これには、

たしなみとか羞恥とか、品格の問題もある。


感情を外に表さないように堪えることを、

僕は美しいと感じるけれど、

そうできないことも少なくない。

先日、

千葉ZOZOマリンスタジアムで、

ロッテ対ソフトバンクの試合を観戦した。

ロッテ側外野応援席である。

そこでの応援は抑制が効いて、少し物足りない気がした。

タイガースの試合では、

絶叫と興奮とヤジとトランペットと太鼓とで、

コアでカオスで尋常ではない。

感情のコントロールがない替わりに、

ある種の開放感がある。


もう会えないと思っていた息子が、

ある日突然帰ってくる。

息子は、感情を押し殺し、うつむいて「ただいま」と云う。

それを見た母も、

我慢して無言で迎える。

そんな話がスタインベックの『怒りの葡萄』にある。

原文は、

Then she knew,and her control came back,and her hand dropped.


意識はコントロールできるけれど、

その下にある自我は制御しにくい。

でも、訓練すればできる。

そして、

その自我を支配している心の種子があり、

それはいつも電源が入っており、

ハードディスクのような記憶装置(自分では忘れてしまっている記憶も)から、

メモリに情報が常に移動し変化している。

ここが、

心のコントロールにもっとも重要なところであり、

自他を苦しめるか助けるか、

迷うか悟るか

を、制御不能で自由に動いている。

まあ、宗教的トレーニングによって抑制できるのだけれど。

それがコンピュータと人間が違う、大きな点である。



※料理のブログもご覧ください。 『阿吽・精進料理散策』

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[ 2018/09/20 11:35 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]

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