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[ 2026/03/15 04:00 | ]
法力と懺悔
お客さんと話をしていたら

あんたは法力があるのか?

と聞かれました。

法とは仏教の中心となる概念で、サンスクリット語 ダルマ(dharma)の訳語。

法則、存在、教理、真如という意味があります。

ですから、
 
法力は、教えの力、真如の力、自然の力、存在の力

おそらく、先の人は神通力とか超能力のようなものを期待していたのでしょうが、

そういうものではない。

もし、あるとすれば神通力のひとつである漏尽通(ろじんつう āsavakkhaya-ñāṇa)

煩悩が尽きて、自分の心を知る力。


恩師からは、

相手は優しくあたたかく、穏やかであるにもかかわらず、

頭が上がらない心持ちになってしまうのが法力で、

それによって、人は円満になり、物も豊かになる。それで安心して覚りに向かうことができる。

と教わりました。



家族、両親、祖父母、その他の先祖をひとりひとり思い出し、想い浮かべながら礼拝懺悔する。

次に、

昨日会った人、話をした人、手紙をもらった人を想いながら、そのひとりひとりに懺悔礼拝する。

さらに、

昔会った人、心に残っている人、気になる人をひとりづつ思い浮かべて懺悔礼拝する。

そうしていくうちに、

自分の中に責められてい良いものを見つける。

その中で仏の声が聞こえるようになり、いわゆる法力のお蔭を受ける。

健康な人に医者が不要なように、

罪悪感や後ろめたさが無いと仏の声は聞こえない。


「衆生痴暗にして自ら悟るに由なし。如来加持してその帰趣を示したもう」

と『声字実相義』にあります。

この加持は、自分の中にある慈悲と心のトレーニングが合致すること。


やむを得ずしてしまったことに心をおき、

この世の総てのものに生かされていると実感することが法力であり、

それを感じるために懺悔礼拝します。



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[ 2017/04/09 09:01 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
味噌汁の残り
小学生が

最近、味噌汁飲んでねえなあ

というのを聞いて、へえー、と思ったら、

先日電話で話した女性は、

お味噌汁、飲めないんです

と言っていた。

体質が陽性なら陽性なみそ汁は不要だろうな。



若い頃に蓄積された陽性なものが、50歳前後から少しずつ排毒されますが、

これには、陽性症状なのにノドの渇きがない、という特徴があります。


その時期には、

閉経や運動量の低下で陽性が排毒しづらくなるので、

五十肩、腰痛などの陽性症状が現れたり、

陽性なチーズやごま塩の過剰で、陽性な臓器器官が硬化して生理が止まるなども、

同じ仕組みです。 


陽性な男の中に陰性な精子があり、陰性な女の中に陽性な卵子があるので、

それに影響する陰陽が足りないと、いろいろなバランスがとれない可能性があります。

心身とともに環境も陽性になっていますから、以前より陰性なものはより多く必要です。

男に必要な陰性は、

砂糖やアルコール脂肪などで対応すると、

野菜やキノコの陰性が摂れなくなるので工夫したほうが良い。



どんな食事でも、

野菜と豆腐とワカメの味噌汁やおすまし

青菜のおひたし

酢の物

浅漬けか塩もみ

ねぎやミョウガやシソやミツバなどの薬味

大根おろし、とろろ、納豆

などがあるとよろしい。


女性に有用な陽性は、海藻類、黒豆、きくらげなどの黒いものがいい。




みそ汁の残りに油揚げをそのまま入れて煮込み、

味がしみたらナメコを入れてひと煮立ち

からし菜を添えます。 



みそ汁の残りにパスタとブロッコリーを入れてゆで、

塩コショウとオリーブオイルで調え、レタスを加えてひと煮立ち。



[ 2017/04/11 12:41 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ちばなれ
イオンに山本貢資商店のグルテン粉が売っていたので、使ってみたらまあまあだった。



野菜料理にはちょっと力が弱いかな。



それはさておき、

「離乳」も「離乳食」も日国(第一版)に載っているけれど用例は無い。

漢和辞典(新明解第四版)には載っていない。

リニュウ(ショク)なんて元々の日本語では無いから、誰かの造語だろうけれど、

どこかの業者が作ったのかなあ。

ちなみに

僕の母子手帳(昭和36年8月交付)には、離乳はあるけれど、離乳食という言葉は出てこない。

乳幼児は大人より陽性なのだから、陰性なものを与える。

陰性にするには薄味にする、柔らかくする、水分を多くするなどがあるけれど、

素材は陽性なナトリウムやマグネシウムより、陰性なカリウムやカルシウムが多いものを使う。
 
その点では、小麦より大豆のほうが陰性だから、豆腐などは向いているだろうな。


産後、生理が止まっている間は陽性の排毒が止まるので、その陽性でウツになったりするから、

そういう時はお母さんも陰性なものを多くすれば良い。

 
砂糖も陰性だけれど、陰性過ぎるし、身体を酸性にするし、味が下品でいけない。

その味は強すぎるので野菜の淡味などわからなくなる。

ハチミツはなおさらである。



[ 2017/04/14 07:37 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
僕の本性
東海林さだおの『誰だってズルしたい!』に、

「悟りというものは常に突然やってくるものだ。

悟りは常にひらめきと共にやってくる

ブッダやモハメッドやニイチェやアインシュタインのひらめきも突然やってきた」

とあり、

ショージ君は、

「この世の仕組みはすべてズルでできあがっている」

ということをひらめき、大悟したらしい。

それは、

人間の本性はズルである

ということ。


『大日経』に

菩提と一切智性は自心の中に尋求すべし

とあり、これは「心が本性清浄」という前提です。

人間の本性は清浄である、ということ。

いろいろまとわりついたり染まったり執らわれていることばかりだけれど、

そういうものをどんどん取り除いていけば、最後の最後に光り輝くものが現れる。

それが清浄な本性。


お大師さんの著作には、

本性清浄とは、衆生本来清浄の心なり。この清浄の心は、なおし円鏡の垢無く、よく諸の色像を現するがごとし(法華経開題)

衆生は無明妄想をもって本性の真覚を覆蔵するが故に、衆生の自秘という(二教論)

自心に菩薩および一切智々を尋求す。何を持っての故に、本性清浄なるがゆえに、心は内に在らず、外に在らず、および両中間にも心不可得なり (秘蔵宝鑰)

この三昧を修すれば、またよく、妄心より起こるところの雑染速やかに滅し、疾く本性清浄の法門を証す(法華経密業)

など、他にもある。


ところで、

お釈迦さんは長年の修行を経て、自心を如実に知るという悟りに至った。

アインシュタインは長年の勉強によってひらめいた。

かように、

修行、トレーニング、練習、勉強を長く続けていればこそ、悟りやひらめきがある。

何もしないでひらめいたのは妄想錯覚だ。


ショージ君は、長年のズルの積み重ねによってその本性を知ったのだろうな。

僕も同じ。






[ 2017/04/16 07:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
おいしかった
若いころ、

あんたはなぜ肉魚を食べないのか、なぜ野菜ばかりなのか

と、ある住職さんに聞かれて

こっちのほうがおいしいからです。
 
と言ったら、それでは答になっていない、と怒られた。

確かに、

おいしいといって喜び、まずいと怒り、いつもと同じだと不平を言うのはよくない。

でも、

食事は悟り(しあわせ)のために作り食べるのだから、おいしいと言ったほうが幸せである。

その時、陰陽を云々してもしょうがない。
 

息子が

春巻きか餃子を作ってよ

と言うので、材料を買って作った。
 
たくさん食べて、ご飯を何回もお代わりしていた。

ある雨の日、揚げたてのカレーパンを買って、ふたりで口の中がヤケドしそうになりながら食べた。

食べ終わって、

おいしかった、と息子が言った。


恵比寿のイシハマ先生宅でお料理教室の際、

スナガの料理が食べたい、とウエダくんたちが来てくれた。

作ったのは、

豆腐ごはん

春雨スープ


竹の子炒り出し

野菜パン焼き


高野トマト煮


ごぼうサラダ


お暇した後、

本日は御馳走様でした!
最高に美味しかったです。

とLINEを貰った。

僕は、たくさん食べてくれて、おいしかった、と言われるのが、ことのほか嬉しい。


東京中野・百観音の先住様、草野榮應僧正の『やさしい言葉』(素敵な本です)に、

少年院から卒業したある子は、不遇な生い立ちの中で、優しい言葉に出会うことが無かった。

そのことで悩み、自分を見つめ、自分から優しい言葉をかけてゆく者になろう。そうすれば優しい言葉に出会える、というすばらしい結論にいたる話がある。


だから僕も、

あぁ、おいしかった

と毎日言う。




 


[ 2017/04/17 07:04 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
生きる意味

剣道柔道などの道は、

目的の追求や精神の鍛錬ということですが、

仏道の道は悟りのこと。

悟りに達したことを成道と云う。


誰もが死すべき身であることを知り、

生きている生命を喜び、人に生まれたことの意味を問う。


生きてきたからには無意味ということは無く、

たとえ一日でも意味はあります。

生きてそれを求めるのが道。この道を人生と云う。


すでに亡くなった人に対しては、

生きている周りの人がそれを考えて生きる。

道の中に、亡くなった人の生命を生かすことが供養になり、

故人の素敵な行いに気づき、それを自分の人生で生かします。



[ 2017/04/19 07:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
正坐
肩や首が張ったり凝ったりする時はヒザが固く、

鼻が曲がっているのは姿勢が悪いから、と望診法で観ますが、

いろいろな修正方法の中で、正坐も有効です。


最近は、仏事でも正坐の会場はほとんどなくなりました。

正坐は畳の作法ですから、畳の部屋が無ければ正坐しない。

そういうご家庭も少なくないのでしょうね。
 

お寺の本堂は畳の所がまだ多いですから、お寺で正坐しましょう。


正坐は坐法のひとつですが、見た目が美しい。

正坐して食事すれば、腹八分目以上食べられない。

食事で心身を改善することは可能ですが、

その際、正坐して食時作法したほうが、心身が調う。心身の正中を取りやすいから。


正坐は腹式呼吸しやすく、止息も楽にできる。つまり、心を制御するのに便利。

正坐はゆっくり食べるのに適した姿勢になります。イスでは早く食べられる。

速く食べるというのは陽性な行動ですから、身体は陽性になる。

つまり、固くなる、コリや痛みが現れる。


正坐してゆっくり食べましょう。

その際、あまり噛みすぎないように。

噛めば噛むほど陽性過多になります。







[ 2017/04/20 07:45 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
旅の途中
十一面観音像は美しい作例が多いですが、顔が十一あるというのは異形。

聖天さんも、身体は人間で顔が象という異形。

どちらもヒンドゥーの影響だろうけれど、信州飯田市立石寺の本堂には、この二体がお祀りされています。

東京高幡不動の聖天堂にも、二体でお祀りされている。

何か関係があるのかなあ、と思っていたら、『十一面観音神呪経』に、

身中障難の除去を目的とする息災法として、この二体を拝む作法が説かれていました。

ずいぶんとヒンドゥー的な呪法です。


その立石寺から岐阜県中津川市加子母へ。

桜満開の美しい土地で、すばらしい仏像を彫っている仏師・木村僧正の工房にお邪魔しました。
http://kimurakoshu.jp/

仏さまを拝見して、造佛の話を聞いて、

ノカンゾウやヨモギを食べて、

幸せな時間でした。
 

お暇して名古屋へ。

ここまで同行のフジイ僧正は四国へ戻り、徒歩遍路を再開。

三界は客舎のごとく、お遍路さんは歩いて拝んで功徳を積む。

功徳は、与えられる報償ではなく、修行できることが功徳 。

僕らが生きて悩んで迷って苦しんで、それが戒めであると気づくのも功徳。

この功徳によって、心は潤いを受けます。心が乾燥すると、怒りの火種となる。


  
出張の旅が長く続くと、食事が不規則で酒ばかり飲んで、体調が陰性になり眼球が拡がる。

眼球の見かたは拙著『望診法講義録 人相編』http://shintenan.syoyu.net/%E7%B1%B3%E3%81%9E%E3%81%86%E3%81%AE%E5%AE%B6/%E3%80%8E%E6%9C%9B%E8%A8%BA%E6%B3%95%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2%E3%80%80%E4%BA%BA%E7%9B%B8%E7%B7%A8%E3%80%8F

に詳しく書きましたが、

今朝は左の眼球が外側に寄っていたので、

呼吸を止めて、足のストレッチをして、

醤油を多めに入れたスープを作って飲む。

陰性が強いと交感神経が刺激されて興奮するので、

眼球の位置を戻して旅の続き。





[ 2017/04/21 10:08 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
田舎にお墓
少子高齢化、核家族化、

または、

子どもがいない、いても跡を継がない、

などによって、先祖代々のお墓に入っても、その後はお参りしてくれる人がいない、

ということになり、いつかお墓は放置されてしまう。

お墓は次に入る人がお参りするものなので、その人がいなければお墓を片付けなければならない。

永代供養塔や合同祀などに移す、散骨する、そのために墓じまいをすることも少なくない。


自分たちは都会に住んでいるけれど、田舎に両親が住みお墓がある。

その両親が亡くなると、田舎で葬儀をして、田舎のお墓に埋葬する。

年忌やお彼岸にはお墓参りに行く。それが年に数回の家族旅行になる。

何より供養の心が育まれる。

そういうご家族の法事を、時折つとめます。

 管理は面倒だけれど、生活にメリハリがつき、心は豊かになる。

世の中は手間と時間がかかることを避け、

便利で合理的なものが優先されるけれど、

手間と時間がかかることは、心身の健康に良いだろうな。

でも、

次に入る人がいなければそこまでになってしまう、ということには変わりない。







[ 2017/04/23 09:49 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
春菜
庭でセリが採れたのでセリごはん、炊き込むだけ。





山椒の若芽とワラビを摘んでテンプラ。揚げるだけ、アク抜きは不要。かき菜のごま和えを添えて。




岐阜のキムラ家でパスタとノカンゾウ。さっとゆでるだけ。


[ 2017/04/24 07:04 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
みきわめの智
何かに押しつぶされそうな精神状態でいると、酒の量などが増え、身体の表面にもいろいろな症状が現われます。 

左の小鼻に吹き出物が増え、これは肺か生殖器の疲れ、と望診法では診ます。

そういえば同じ肺系である親指の色も悪い。

こういう時はコーレンやレンコンと葛の飲み物が効果的なのだけれど、

ストレスが強いと何も口に入らない。

そういう時は「安心感」が有効。

そのために心を観察します。

苦しみや悩みは心が作ったもので蜃気楼や幻と同じですから、

楽も心から発生させることができます。

しかも、

苦しみ不安も安心幸福も、その実体は作られ滅するのではなく、どちらも元々あるものです。

どこからかきたものでも、どこかへ消えてゆくのでもなく、ただあるだけのもの。


心は自由です。遠くのこと、昔のこと、未来のこと、何でも今すぐに思うことができます。

その時、何でもが心の中にあるから、心は宇宙より広い。

心の中に宇宙のすべてが詰まっている。

恩師、両親、家族友人知己、植物鉱物動物いろいろ思い浮かべると、

それらの性質が自分の心の中に広がる。


恩師への感謝、両親のあたたかさ、家族のありがたさ、石の硬さ、風のさわやかさ、ごはんのおいしさ、すべてを美化する必要は無いけれど、とりあえず良いところを思えば、その良い点がすべて自分の心の中にひろがる。

自分の外に広がっていたその大きな心を、

自分の身体の中にある心にまとめます。すべての性質が自分の中に吸収される。

見習うべきもの、優しさとおもいやり、感謝反省、もちろん宇宙そのものである仏も自分に入る。

そのように、

心の様子が分かれば、

大地がすべての生き物のよりどころであるように、心もあらゆるものの拠り所であり、

水がすべてを潤すように心もそうであり、

火が薪を燃やすように心は迷いを燃やし、

風が塵を吹き飛ばすように心は不安を消し、

空が大きく広いように、心もそうであると知ります。


その瞬間、仏の心ではなく、仏の身体になります。

仏になれば苦しみは消え、安心感がやってきて、心身が癒される。


そして、

吹き出物も汗と大小便で排毒されて改善する。 


[ 2017/04/25 07:46 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
タケノコの始まり
タケノコが採れ始め、しばらくは楽しめます。

楽しめるしばらくが過ぎても、タケノコは次々に発生し成長してしまうので、

薮防止のためにそれを刈り続けるという面倒な時期も近い。


新鮮だから、母は唐辛子だけで、僕は大根おろしだけでアク抜き

田舎だから気合いだけでも抜ける。




タケノコ昆布は食養的(ごま油で強火にして炒め、昆布は1割量、醤油は純正天然醸造、水は使わない、油は飛ばす)に作れば抗がん剤代わりになり、少し陰性にすれば毛髪の滋養になります。ということは小腸の滋養にもなる。小腸は免疫力に関係するところ。

ということは、毛髪で免疫力を望診できる、ということ。


食品成分データベースhttps://fooddb.mext.go.jp/
によれば、

たけのこ               昆布
ナトリウム  無し         2800
カリウム  520         6100
カルシウム  16          710
リン     62          200
(可食部100g中の㎎)

なので、

タケノコはとても陰性、昆布は陰陽両方の要素が多く、アルカリも強い。

これを利用すれば 、いろいろな味と効果が期待できます。





焼いて大根おろしとサラダ 



アラメと煮〆る。


山のものは海のものと合い、

白いものは黒いものと合うので、

タケノコと海藻は相性が良く、

腰回りの臓器の滋養や、古い陽性を溶かすのにも効果的です。

何より、季節のものはうまい。






[ 2017/04/26 08:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
最強の言葉
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[ 2017/04/28 07:58 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
篤信
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[ 2017/04/29 10:22 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
甘い煮物
こういう類の飲み物についているストロー



どうして左上から右下に向かって貼り付けてあるのだろうか。

右利きが摂りやすいのかな。


それはさておき、

『食欲の奴隷』(酒井順子)を読んでいたら、

「料理屋さんの煮物は物足りない。

それは野菜自身、まだ煮物になりたてで緊張感が漂っているのと、そのせいで味が染みていないから ・・・」

とあり、おもしろいなあと感じた。

味がこなれる、馴染むのには時間がかかるけれど、そういう煮物を好む人は減っているのではないだろうか。


世間の煮物は甘いものが多い。

砂糖や塩分濃度を高くすると変質しにくいからか、

「甘い」ものは「うまい」と感じる人が多いからだろうけれど、

砂糖の味は強いから、淡い野菜の味が負けてしまうことがある。


砂糖を減らす工夫を教えて欲しい、

という質問が時々あります。

お菓子などは良質な値段の高いものを選ぶと、大切に食べるので量が減り、
 
陰性な砂糖は排毒されやすいので、良く運動して発汗すれば良い。

問題は調味料としての砂糖、

甘い煮物に慣れていると、砂糖を入れない煮物はおいしく感じない。

砂糖の代わりに蜂蜜や甘味料を使っても、まずくなるだけで解決しない。

砂糖を使わない、おひたしや揚げ物にしたほうが簡単。陰性な砂糖が多いと、陽性な肉も多く食べたくなります。

野菜の味だけでおいしく作る工夫に、先の味を染みらせる、ということがある。

出汁で煮たり置いたり塩気をつかって、素材の味を引き出す。

味覚は経験によって発達するので、

新鮮な野菜や、素材の味を引き出した淡味を知らないと、

甘いものしかおいしくない、と感じるようになるかもしれない。


____________________________


講義録、よろしくお願いします。


 
『望診法講義録 人相遍』
http://shintenan.syoyu.net/%E7%B1%B3%E3%81%9E%E3%81%86%E3%81%AE%E5%AE%B6/%E3%80%8E%E6%9C%9B%E8%A8%BA%E6%B3%95%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2%E3%80%80%E4%BA%BA%E7%9B%B8%E7%B7%A8%E3%80%8F



 
『望診法講義録 手相編』

http://shintenan.syoyu.net/%E7%B1%B3%E3%81%9E%E3%81%86%E3%81%AE%E5%AE%B6/%E8%BF%91%E6%97%A5%E5%87%BA%E7%89%88%E3%80%81%E5%86%8D%E7%89%88





[ 2017/04/30 07:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
迷わない工夫
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[ 2017/05/01 07:48 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
善意
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[ 2017/05/02 09:12 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
拝む理由
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[ 2017/05/03 16:55 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
縦と横
この時期のうつ症状は陽性過多と考えられます。

五月病、産後、更年期なども同じ。

季節が陽性になって、しかも陽性な食事をしていると、水分が足りなくなります。

運動によって発汗すれば、脱塩して陽性が排毒されますが、運動不足ではより陽性過多になります。

こういう場合、腎臓も陽性で硬くなっているので、

水分が必要なのにノドが乾かないことが多い。

なので、水分をたくさん摂って運動すれば、陰陽のバランスがとれて、脳の血行も改善すると考えられます。そもそも陰性な野菜が陽性の5倍あれば問題無い。


それはさておき、


ある会に参加して名刺交換をしたら、花屋の社長さんの1枚を除いて他は総て横書き 。

仏教の論文を渉猟してると、こちらはほとんど縦書き。

サンスクリット原文も縦に書かれている。

たまに横書きの論文もあるけれど、ちょっと読みにくい。

最近は住民票も戸籍謄本も横書きで、このブログも横書き。


向田邦子が『無名仮名人名簿』のなかで

「横書きが苦手である。電車の窓から眺める看板も、横書きになっていると、一度では頭に入らないことがある」

と書いているけれど、僕もハガキや原稿は縦のほうが書きやすい。横書きでは文章が長くなってしまいがち。

縦書きは字を崩したり続けて書くのにも便利だけれど、眼が上下に動いて読む形。

横書きは左から読んで右端から左へ戻るときに、眼が追いつかないというか、正確な位置に戻れないことがある。慣れの問題なのだろうけれど。


今後、経典が横書きになるとは思えないけれど、他はどんどん横書きになるのだろうな。


ところで、

仏教では、横を頓悟(一足飛びに悟る)、竪を漸悟(順次進んで悟る)

とします。自力を竪に、他力を横に例える、と云うこともある。


密教では『声字実相義』に、

横(平等):この世のあらゆる音声は、すべて仏の言葉である(悟りの立場)
 
竪(浅深):この世の音声には、真理の部分と盲の部分との差がある(凡夫の立場)

と、見かたの違いを縦横で示しています。

また、

蓮体和尚の『真言開庫集』(第三真言宗得名之事)には、

「真言法は甚深広大なれば、あまねく一切の機根に応じて世間出世間の所願満足せずということなし。故に大日経疏には横統一切仏教と釈する」

とあり、この場合の横も、平等ということ。



今月に入って二度、葬儀の導師をつとめました。

位牌に戒名を書くのは、もちろん縦書き。

いつか横書きの位牌ができたら、順応できるだろうか。




[ 2017/05/08 08:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
阿吽
きゅうりのネットを張り、ナスとピーマンの支柱を立てていたら、

隣の畑のおじさんが、

腰が痛くならないかい? 

と聞いてきた。


望診法では、

腎膀胱系に古塩がたまった陽性症状と診ますので、腰部を温めて大根湯を飲みますが、

股関節が固いと腰痛になりやすい。どこでも痛いのは固いからで陽性過多。

陰性な野菜をたくさん食べて、ストレッチや運動で柔らかくしましょう。


それはさておき、

お位牌に書く戒名の一番上に「ア」という音の梵字を書きます。

これは和尚さんの考えによるので、書かない人もいる。


このアは口を開いて発生する最初の音,

サンスクリット語のアルファベットで最初の文字。

なので、

文字のもと、源泉。アがあるからイ、ウ、エ、オやカ、サ、マ、バなどの音が生まれる。

そういうことから、

ア字はあらゆる言語の本源。



これに対して、

口を閉じて発生する最後の字音がウン。同じくサンスクリット語のアルファベットで最終の字。

だから、

阿吽(アウン) はものの最初と最後のこと、とされます。



仏教、特に密教は悟りをシンボリックに表現しますが、

字音の最初である「阿」は一切の根源、

最後の「吽」は 一切の帰着を象徴します。

つまり、

本来の混じり気無い心と、悟りの象徴。


僕らはすべての物事に名前をつけて認識理解しますが、

それらが何から生じているのか、それをどんどん探してもわからない。

たとえば、肉体は筋肉と骨と血などで出来ていて、

それらは細胞から作られ、

その細胞は、元素から作られ、

といくらたどっても、次から次へと原因が原因を生じさせて、存在の本源は永遠に不明。

だから、

あらゆる存在の本源を極めるなら、それはあるがままに存在しているものであり、原因によって生じたものではないもの。


密教では本不生(ほんぶしょう)と云いますが、それを「ア字」によって象徴します。

そして、

あらゆるものが原因と条件から生じていますが、

すべてのものは常に変化しているから、変化しつづけていることが存在の本質で、

その変化をいくら辿っても、固定的な実体は見つけられない。

それを「ウン字」が象徴している。


つまり、

あなたも僕も宇宙も元素も、

妙なるもので、存在が真実である 

ということ。


『吽字義』には、

僕らが本来持っている清浄な心の力を因として、

やさしさと思いやりを根本とし、

それによって自然に湧き出る行動、言葉、思いを究極として、

自他の悟り(平安なしあわせ)に至る。

この、生きることの理念を阿吽が現している、

とあります。

それは、

すべてのいのちとともに生きる喜び

という境地。



[ 2017/05/09 13:25 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の科学
子どものころ、この季節になると光化学スモッグ注意報が頻繁に出された。

小学校4年生の時(1973年)には、年間300日も発表されている。

空がどんよりして視界が低下すると、そろそろだなあ、とみなが思う。

注意報が出ると校庭では遊べない。

休みの日は家の中にいるように言われていた。そんなことは守らないけれど。

光化学スモッグの影響で、運動会や遠足が中止延期になるということもあった。


僕は1962年神奈川県川崎市生まれ。その頃の川崎は公害の街と呼ばれ、
「白い雲をかえせ」というスローガンを覚えている。

※参考「公害の歴史:川崎市ホームページ」
http://www.city.kawasaki.jp/300/page/0000080437.html

「慢性気管支炎」、「気管支ぜんそく」、「ぜんそく性気管支炎」、「肺気腫」という公害病の子も少なくなかった。


僕は小学校から栃木に移ったけれど、田舎にも光化学スモッグは流れてきた。それでも森があり田畑が広がり、虫も鳥も多く美しい緑が多かったから、公害病は無い。

時折上京すると、東京の空は汚く、隅田川は濁って臭かった。

公害とは、

経済合理性の追求を目的とした社会・経済活動によって、環境が破壊されることにより生じる社会的災害。

便利さを求めた代償。科学がもたらした進歩の副作用。



寺田寅彦は、『科学者とあたま』の中で、

「科学の歴史はある意味では錯覚と失策の歴史である。偉大なる迂愚者の頭の悪い能率の悪い仕事の歴史である」

「頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。

それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。

しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない 。芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。

そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。理屈ではない。

そういう事実を無視して、科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう」

と云っている。


仏教の目的は悟りであり、極簡単に云えば「しあわせになること」

ダライラマはそれを「心の平和」であると云う(『傷ついた日本人へ』)

科学も人類の幸せのためにあるはずである。

その幸せ、心の平和には人間の意識というものを知らなければならないけれど、科学はそれを捉えられていない。

識と智、精神と感情、という仏教が追求解明してきたことが、

心の科学として自然科学に役立つようになりたい、と考えています。






※陰陽研究熟

「PM2.5と黄砂について」

https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/2ZiUCT6AJZw




[ 2017/05/11 08:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
私を信じてはいけない

『迦羅摩経』に、お釈迦さまがカーラーマの町で説いた話があります。


あなたがたは、ある説かれたものを真理として受け取るときに、

1、人々の耳に伝えられるもの、例えば秘伝や呪文、神の啓示などに頼ってはいけない

2、世代から世代へと伝え承けたからといって頼ってはいけない

3、古くからの言い伝え、伝説、風説などに頼ってはいけない

4、自分たちの聖書や教典に書いてあるからといって頼ってはいけない

5、経験によらず頭のなかの理性だけで考えることに頼ってはいけない

6、理屈や理論に合っているからといってそれに頼ってはいけない

7、人間がもともと持っている見解等に合っているからというような考察に頼ってはいけない

8、自分の見かたに合っているからというようなことだけで納得してはいけない

9、説くものが立派な姿かたちをしているからといって頼ってはいけない

10、説いた沙門が貴い師であるというような肩書などに誤魔化されてはいけない


真実は自分で確かめ、実証したうえで求めなさい、ということ。

誰かが言ったから、経典に書いているから、では噂話を信じるのと変わらず、

自分を正当化したものではなく、

本当にそうだろうかと勉強し、実践して確かめる。

知識のないままに瞑想修行しても意味は無く、

勉強して実践修行することで覚りに近づきます。


そうすれば危険がなくなり、安心と平安が生まれる



[ 2017/05/15 06:27 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
現状を分析する。
残った乾物は夏までに食べきったほうがよろしい。



黒豆を昆布と醤油で炊く。

こういう黒くて鹹味のものは、腎臓の滋養になる。




セイタンと生姜を炒め煮して生麩時雨。

この時期、生姜の陰性が殺菌と消化吸収に役立つ。



それはさておき、 

現状を分析する方法はいろいろありますが、

例えば、身体に不調がある時

望診して現状を把握し、治病、改善、力をつけるなどの目的があれば、それぞれにあった食事と運動で対応する。


心が不調な時は、

よくよく観察して、状況に合った実践修行をする。

どうなりたいか、という目的がはっきりしていれば、現状を分析することでどのようにでもなる。

目的が無ければどうでも良いけれど。

この時、

不調やトラブルの原因を探すことはそれほど重要ではない。

『不動次第』に、

心月輪の上にहां字有り、是れ因業不可得の義なり。因業不可得なるがゆえに果位もまた不可得なり、因果共に不可得なるがゆえに生死涅槃無差別なり、

とあり、他の心を観察する修法も、みな因業不可得を説いている。

つまり、

結果には原因があり、その原因にはそれを引き起こす原因があるけれど、

原因の原因をたどっても、究極の原因は出てこない。原因をたどる限り、

別の原因が出てくるから。

なので、

すべては妙有、かつ存在が真実であり、

本性として、ただあるだけ。仏と同じように原因がある。

なので、

現状を分析して、その対応をとればよろしい。



[ 2017/05/16 12:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
合掌平安
ピーナッツペーストが余っていたので、吉野葛と溶かして落花生豆腐



葛の料理が合う季節になりました。お腹が冷える梅雨時によろしい。



それはさておき、

誰かの役に立ちたい、誰かを助けたい、より良い人になりたい、

などと思うのは、仏性(仏の性質)や自性清浄心(何にも染まっていない本来の心)がある証拠です。

これがあれば、僕らは成仏できます。迷いを悟りに換え、人格の向上につながる。

教理的には、すでに成仏しているのですが。


そのさとりは幸せのこと

幸せとは平安な心のこと

心を平安にするために瞑想修行をします。

心が平安であるには思いやりと優しさがあること

難しい修行でなくても、

合掌すれば心は平安になります。

花を見る時、笑顔に触れる時、「ありがとう」「おいしかった」と言われる時と同じように、

合掌して怒り出すことは無い。


このように、

合掌するだけでも慈悲の心が生まれ、

さらに、

さまざまなことを勉強すれば、怖れや怒りや不安が無くなります。

知らないと不安だけれど、勉強して知れば不安は消える。

ですから、

慈悲と智慧を体得するために、

たくさん勉強して、心静かに合掌する。

それほど難しくない。


[ 2017/05/17 07:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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