被害がひどかった東松島の野蒜小学校体育館や、鳴瀬二中の校舎が解体され、
何度か拝みに行ったところなので、ちょっといろいろな感慨があります。
当地では新米の出荷が始まり、スクリーニング・全袋検査が行われ、ご宝前にも新米がお供えされています。
さて、
居酒屋を兼ねたような定食屋で一杯やっていたら、隣のおじさんが天丼とビールを頼みました。
それが運ばれてくると、エビがはみ出した天丼に味噌汁を全部かけ、お茶漬けのように食べる。
ちょっと驚きましたが、
同じような光景を思い出しました。
僕らが中学高校の頃、
弁当はドカベンに白米がぎっしり詰まっており、おかずは単品のことが多かった。
僕はかっぱ巻きだけの弁当が好きだったけれど、
イシイのハンバーグ、もしくはマルシンハンバーグだけの弁当は羨ましかった。
ちなみにマルシンハンバーグのCMは信州・上田電鉄が舞台で、僕の好きな路線。
あのころは、
これひとつあればご飯がたくさん食べられる、というのが優秀なおかずでした。
そして、
H君のおかずはいつもエビフライだった。
S君の弁当にはいつも昆布の佃煮がたくさん入っていた。
ソーセージが芯に入っているパンをいつも持ってくる女子がいた。
というように、食べ物と人の顔が思い出として直結しています。
そんな中、
白米びっしりの弁当箱に、三角パックの牛乳をかけて、お茶漬けのように食べる級友もいました。
給食に牛乳が出ることへの意見はいろいろあります。
ごはんとキンピラに牛乳
焼きそばに牛乳
そんなメニューはおかしいという意見があり、僕もそう思います。
和食の店で牛乳は添えないし、中華屋さんで焼きそばと牛乳を一緒に出したりしない。
でも、ごはんに牛乳をかけて食べる級友を、それほど奇異には感じませんでした。
おいしい、というのは、不味くない、ということでは無い。
おいしいね
と言う食卓は、心豊かでおいしい。
何を食べるかはさして問題ではなく、
おいしいね
と言いながら食べるのはとても良いことで、
そういう食事は滋養になり、リラックスできます。
まずいってどういうこと?
と言うような味覚の持ち主ですが、
食べもの飲みものは 、
まずいから嫌い、というよりも、
臭いから嫌い
ということが多い。
僕は牛乳のにおいを臭いと感じます。
小学校入学時の給食は脱脂粉乳、アルマイトの器でした。
その後、瓶、三角パック、紙パックの牛乳になりましたが、やはり瓶に入っているのが飲み物らしくていい。
あの、牛乳瓶のフタを開ける千枚通しのようなものは画期的だった。
教室で、牛乳瓶のフタはメンコになり、社会科の先生は牛乳瓶の底のようなメガネをかけていました。
僕は海のない栃木県で育ったので、毎年夏に行く茨城の海は大きな楽しみ。
砂浜で海のかなたをじっと見つめれば、アメリカ大陸が見えると信じていました。
そして、確かに金門橋やケーブルカーが見えた、ような気がします。
その頃、海の家で売っていた瓶入りのコーヒー牛乳やフルーツ牛乳はごちそうでした。
それはさておき、
ガンジスの支流・ネーランジャー河のほとり、セーナーニー村長の娘・スジャータは
その土地の習慣に従って、ニグローダという大樹に、かねてから心に秘めた願をかけていました。
その願いがかなえられたので、樹の神に特別上等の乳粥を捧げることにしました。
まず、1000頭の牝牛を選んで放牧し、
その乳を500頭の牝牛に飲ませ
その半数の牝牛を選んで乳を飲ませる。
そのようにしてだんだんと濃い乳を得て
ついに16頭の牝牛の乳を8頭の牝牛に飲ませました。
春の満月の日
スジャータは夜明けに起きて8頭の牝牛から乳を絞らせ
その乳を新しい器で乳粥にしました。
乳は煮立つと泡が右に旋回し、一滴も外にはこぼれませんでした。
スジャータは女中にニグローダの神の様子を見にやらせます。
するとそこには、
6年の苦行を終えたゴータマ・シッダルタが樹の下に坐っており、
その身体からは光明が放たれ、樹全体が黄金に輝いていました。
これを見た女中は、
今日は神が樹から降りて坐っていらっしゃいます。
と報告。
それを聞いたスジャータは乳粥を黄金の器に盛り、美しく着飾ってニグローダの樹の下に行き、
礼拝して言いました。
わたしの捧げものを受け取ってください。
私の一生の願い事がかなえられたのと同じように、あなたさまもご心願が成就あそばしますように 。
ゴータマは河で水浴し、乳粥を49個の団子に作ってその場で召し上がりました。
そしていよいよ菩提の座につき、
次の朝までに四諦八正道の真理を悟り、ブッダとなられました。
ブッダが覚った真理とは
あらゆる苦しみには原因がある
それには原因があり、それは世界の本質が渇愛だからである。
自覚されないこの渇愛によって、無知無明が広がり、人は苦しむ
この渇愛を滅することにより、苦しみから離れ、寂静の覚りに至ることが出来る。
そのためには正しい生活と心のトレーニングをすれば良い。
金剛頂経の理解では、
そのトレーニングの本質は梵行、すなわち、欲望のコントロールとしています。
密教では、
行者が秘法を修するさいの食事は
粳米に乳、酪、を混ぜた粥とする
と『大寶楼閣経』や『十一面神呪経』にあります。
現在日本の口伝では、数年間の菜食の後に、修法期間は一日一食もしく断食。
菜食の場合も、修法の種類によって食するべき材料を伝えています。
これらは心身を爽快にして、修法に障りを無くすためです。
大根おろしの辛味は油を溶かします。溶かすというのは広がる力なので陰性。中でも油を溶かすものはとても陰性。
陰性なので、このような辛味を食べると、陰性な場所である頭部から汗がでて排毒されます。
○他にも野菜をすりおろす
ごぼうをすろおして塩を混ぜます。
しばらくおいて水分が出てきたら、その水分でまとまる量のグルテン粉を混ぜて丸め、からりと揚げます。
揚げ物には大根おろし、かんきつ汁、キャベツや白菜、キノコのスープ、りんごなどの油消しを添えます。
ごぼう以外にもすりおろせる野菜、じゃが芋、ズッキーニ、山芋などでも作ることが出来ます。
野菜のすりおろしは、独特の味があり、消化によく、面白い料理です。
○煮びたし
細切りの油揚げを鍋に入れ、その上に洗って切った青菜を載せ、醤油を回し入れてさっと炊きます。
青菜は鉄分カルシウムとも多く、特に大根葉カブ葉京菜小松菜などは、煮びたしにするとお通じにもよろしい。
○ねぎ・白菜
霜が降りるたびに甘くなります。
ねぎや白菜は塩漬け煮物鍋物椀物で、食べる、飲むの両方で陽性毒をよく溶かします。
白菜を昆布出汁でゆで、そのゆで汁に塩味をつけ、薄く葛を引きます。
こんにゃく、油揚げ、きのこ、炒り玄米を炊いて白菜で巻き、上記の出汁を張ります。
ねぎの詳細はメールサービスで配信済。
○葛
葛は濃く溶いて使えば陽性になるので、陰性な症状に効果があり、薄く溶けば陽性な症状に効果的です。
枝豆をゆでて薄皮をむき、すりばちでよくすり、吉野葛とその5倍の水を加えて溶かし、火にかけて練ります。
照りが出て鍋底に線が引けたら、濡らした器に入れて冷まし、固めます。
○コーフーカツ
グルテン粉を水でまとめて45分蒸し、素揚げしてから生姜醤油に一晩漬けます。
揚げなくても、漬けなくてもよろしい。それほど陽性にする必要はありません。
揚げ衣は地粉とリブレフラワーを等分に混ぜます。
こうすることでカラリと揚がり、油切れも良くなります。リブレフラワーに含まれる陰性の脂肪と揚げ油が反発するためです。
昔の豆腐はおいしかった。
今の豆腐は賞味期限が過ぎても食べられるけれど、
昔の豆腐はすぐに酸っぱくなった。
と言う。
この辺に、今の食品事情があらわれているのだろうな。
日本人は、
豆腐や白いごはん そのものをおいしく感じて、
日本の料理はおいしい素材の味を引き出すように作ります。
豆腐そのものがおいしくなければ、それもできなくなるのだろうな。
昨今、天然醸造の醤油などがあまり売れないようですが、そればかりでなく、ハウス食品のような大きな食品会社も減益です。
今や、カレーでさえ、家で作らない食卓になっているのでしょう。
この辺にも、様々な問題の原因があるのだろうな。
それはさておき、
『涅槃経』(大パリニッバーナ経)には、お釈迦さんが亡くなる前の言葉として
大海における島のように、自分をたよりとし、他人をたよりとせず
法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ
とあります。
法とは世間の実相、具体的には縁起や空などの法則。
そして、
身体については身体を観じ、よく気をつけて、貪欲と憂いを除くべきである。
感覚についても、心についても同じように、よく気をつけて貪欲と憂いを除くべき。
と続きます。
あらゆることがらについて、それをよく観察して、気をつけていれば、適切な判断が得られ、人に嫌な思いをさせず、自他ともに幸せと平安に向かうことができます。
例えば、
何かにつけて急ぐ時と、待つ時がある。
早く早くと急ぐ時、
じっくり変化を待つ時。
急ぐことに何か良いことがあるのかは分からないけれど、待つことにはメリットが多い。
それは、
待っている間に考えられる
ということ。
考えれば、それが正しいのか、自分に適しているのか、人に迷惑をかけないだろうか
などを熟考できます。
恩師でもダライラマでも父親でも、尊敬できる人が何かを言ってくれる。
ふむふむとうなずく
その後が問題。
「その人が言った」だけでは、ただの戯論やうわさ話に過ぎません。
仏教のことなら仏典にあたり、食養のことなら陰陽で考え、そして不明なものを含めて実践して確かめる。
そのような方法により、知識が智慧になり、人生の役に立つ可能性が大きくなり、
他人に不快な思いをさせることが少なくなります。
それに、
勉強しないで自分の意見を言うのは恥ずかしい。
個性には長所と短所がありますが、ちょっと待って考えれば、短所は長所かもしれない。
人生には生老病死の苦があり、愛する人との別れ、嫌いな人との出会い、欲しいものが手に入らない、自分の体や心が思うようにならない、という苦があります。
いずれにしても、苦しみは「思い通りにならない」こと。
世の中の多くは思い通りにならず、妄想だけが思い通りになります。
思い通りにならないものも、考えてみると思い通りになるものかもしれない。そもそも、思い通りになる必要があるのだろうか。
そのように考えると
しあわせは、いくらでもその辺にころがっています。
待つ、考える、
というのは、快適に平安に生きるための良い方法ではないか、と僕は考えています。
醤油の原材料は
大豆、小麦、塩
のみ。
ソースはいろいろな種類がありますが、「光食品」のウスターソースは、
たまねぎ・トマト・みかん・にんにく・にんじん・唐辛子(国内の契約農家で無農薬有機栽培しているもの)、純米酢(アルコール無使用。マルカン酢)、黒糖(国内、東南アジア産)、天日塩(JT。メキシコ輸入原塩)、香辛料(東京香辛、胡椒・ナツメグ・丁字・ローレル・桂皮などを原形のものから粉末にして使用しています。)
保存料・着色料・調味料など一切使用していません。
http://www.hikarishokuhin.co.jp/
とのこと。
醤油は、素材の味を引き出す力があります。
例えば、冷奴に醤油を少々つけると、豆腐のうまみが引き出される。
煮物でも醤油を使って味を引き出します。
この時、火加減、醤油の入れかたなどによって味が変わります。
しょうゆ大匙1とか2、というレベルではない。
ソースは材料の味を引き出すのではなく、素材にソースの味をつけます。味をプラスする。
醤油は天然醸造の発酵食品ですが、ソースは人工調味料。
だいたい以上のような違いがあります。
醤油に大豆小麦塩以外のものが使われていれば、それは醤油ではなく醤油みたいなものに過ぎませんが、ソースの場合は、何が入っていてもそれはソースです。ですから、ソースは種類が多い。
醤油みたいなものは味がかぶさるので素材の味を十分に引き出せませんが、ソースの場合は素材の味を封じ込めるタイプですから、何でもOK。
陰性な時や素材には醤油で味を引き出し、陽性な時や素材には、酢や油で引き出します。
元々の素材がおいしいものなら醤油、まずいものをおいしくするならソース、という使いかたも考えられます。
ともあれ、
醤油でもソースでも、良心的で無添加で真面目に作っている商品を応援したいものです。
かぶの葉、かぶ、大根葉、大根の成分を
Na K Ca Mg P
の順にあげると
かぶの葉 15 330 250 25 42
かぶ根 5 280 24 8 28
http://
大根葉 48 400 260 22 52
大根 19 230 24 10 18
http://
食養ではカリウムが多いほど陰性
カルシウムとリンの比率が1:4を越して、リンがより多いものを酸性食品と考えています。
かぶも大根もお通じによく、身体をアルカリに保つのによろしい。
かぶの葉と根を刻んで塩もみし、生姜やゴマ油やゆずや山椒など好みで食べると清々しい気分になる。
フライパンにスライスしたニンニク、細切りの油揚げ、刻んだかぶの葉を重ね、醤油を回して蓋をして弱火。
この煮びたしは熱いうちがうまい。
昆布出汁にきのこを加え、かぶを入れて煮立たせないように火を通し、柔らかくなったら塩と醤油少々で調え、火からおろす間際に水菜を入れます。
このような、熱と塩気と時間をかけた水分は、冬の乾燥した身体を調えます。
残った汁にがんもどきを加えて炊き、お弁当に。
二本松のネモトさんから新米のお供え。
これはネモトさんのグループが以前から栽培している特別なお米。
一般的なお米の成分は、同じく
Na K Ca Mg P
の順で
玄米 1 230 9 110 290
精白米 1 88 5 23 94
http://
http://
どちらも随分と陰性で酸性ですが、ネモトさんのお米はカルシウムが多い。
肥料の差、とのことですが、粘り気があり、お通じがとても良くなる。
写真は雑穀、フノリと炊いたごはん。
昨今は山形のお米が評判よく、つや姫、はえぬき、どまんなかが人気ですが、地元のお米もおいしく、豊かな秋を感じます。
_____________________________________
穀菜食の舎会員ページ
【冬の手当てガイド】
http://shintenan.syoyu.net/%E7%A9%80%E8%8F%9C%E9%A3%9F%E3%81%AE%E8%88%8E%E4%BC%9A%E5%93%A1%E7%94%A8%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8/%E5%86%AC%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%BD%93%E3%81%A6%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89
【精進おせちの作りかた】
http://shintenan.syoyu.net/%E7%A9%80%E8%8F%9C%E9%A3%9F%E3%81%AE%E8%88%8E%E4%BC%9A%E5%93%A1%E7%94%A8%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8/%E7%B2%BE%E9%80%B2%E3%81%8A%E3%81%9B%E3%81%A1%E3%81%AE%E4%BD%9C%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%9F
家の中に不穏な雰囲気があるので拝んで欲しい、
というお宅に伺うと、床の間にタンスが置かれていた。
それが原因かどうかは別として、床の間は礼拝の場所ですから、余計なものは置かず、きれいにしていたほうがいい。仏壇や神棚と同じです。
そして、
玄関には下駄箱があって、その上には物が置けるようになっていますが、そこはお客様が荷物を置く所。
さらには、元々玄関は神仏ご先祖さまが入ってくるところ。
だから、神仏が寄りかかるところ。
床の間と同じくきれいにしたいものです。
そのお宅で、
お茶受けに出されたのが、きんぴらごぼう。
甘味と塩気と唐辛子の辛味が効いて、お茶によく合いました。
きんぴらは「固く煮た」料理のことで、代表的なのがきんぴらごぼう。
ゴボウを噛む楽しさがあります。
きんぴらは材料を炒めて仕上げるもので、出汁を加えて煮たものは煮染め。
材料は大きく切れば比較的陰性な料理、小さく切れば陽性になります。
食べ物は良く噛めば心身が陽性になり、噛まないと陰性に。
昨今は肉食の陽性が増えたため、噛まなくても良いような柔らかい陰性が好まれるようになっていますね。
ななめ繊切りにしてよく炒める陽性なきんぴらは、陽性ゆえに身体の下部を引き締めます。
太く切って醤油や塩を振りながら水分を引き出して作る陰性なきんぴらは、陽性な人のお通じによろしい。
体調や他の料理とのバランスに応じて切り、味を決めます。
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11月7日(木) 『魔法のごはん』vol.3 ~おせちと冬の食・年末年始のこころ
~ (郡山市・cocochi)
http://
8日(金) 心臓について・料理と手当法(眞天庵)
15日(金) 写経と精進料理の夕べ(吹田市・PINO)
16日(土) 阿字観瞑想・魔法の食卓(吹田市・PINO)
http://
17日(日) 不動明王護摩供(鳴門市木津・不動院)
22日(金) 菜食料理教室・陰陽講座(群馬・甘楽町)
23日(土) エコ・クッキング(新潟大学)
28日(木) 不動明王護摩供(眞天庵)
http://
30日(土) 子育て支援センターにこにこひろば「健康講座」
(須賀川・プリムラ保育園)
__________________________________
穀菜食の舎会員ページ
【冬の手当てガイド】
http://
【精進おせちの作りかた】
http://
世の中何が起きるかわからないものでございます。
長年タバコを吸っていたおじさんが、健康のために禁煙したのだけれど、間食のお菓子が増えて陰性毒が溜まったのか、ずいぶんとボケが進んでしまった。
健康のためにとチーズを積極的に食べていたおばさんが、その陽性毒のためにずいぶんと苦労することになった。
あれは、干した魚よりだいぶ陽性で酸性です。
それはさておき、
時と場所をわきまえる、自分だけのルールで行動しない、というのが大人ですが、他に子どもと大人の違いは、
不安不満なことを感情的に表現するのが子ども、大人は冷静に論理的に考察し、発言します。
子どもは、自分に理解できないものがあることを知りませんが、大人は知っています。
子どもは好き嫌い、良い悪いの二元論で発言行動し、大人は多様性を理解します。
フランスの歴史学者フィリップ・アリエスの『子供の誕生』によると、
中世ヨーロッパには教育という概念も、子ども時代という概念もなかった。
7~8歳になれば、徒弟修業に出され、大人と同等に扱われた。
言葉のコミュニケーションがとれない7~8歳以前の子どもは、動物と同じ扱いだった。
17世紀になって、近代学校教育制度は大人とは異なる、子どもというものを編み出した。
同年齢の子どもを同一のクラスに編成し、寄宿舎制度を設け、子どもを外部から遮断した。
高島俊男『同期の桜』(文春文庫)で、
唱歌と童謡の違いを述べた中に、「子どもの発見」が書かれている。要約すると、
子どもは近代になって発見された。日本では明治20年代。
それまでは、
子どもは人になる途中段階の未熟なもの、未完成なものである。
その間、何が人として大事であるかなどの倫理道徳を教える。
ところが、そうではなく、
子どもは大人に対して独立した、そのままで価値を持つ存在である。
という思想が流行するようになった。
さらには、
子どもは、人の中でもっとも高貴な美しいものである。
それが堕落して薄汚れたものが大人である。
子どものほうが大人より上等である。
という考えかたも現れた。
東西古今に関わらず、これらの意見は子どもがそう思っているのではなく、大人が勝手に思うもの。
なぜなら、大人はその美しい子どもには、もう戻れないから、そう思いたいのだろうか。
子どもは成長し、いつしか力強い大人になり、僕らは老いて弱くなる。
それが生き物の当然の姿で、
世代が交代し、生き物はそうして生き延びてゆく。
昨今は子どもが増殖しているのかな。
食事などの生活を調えるばかりでなく、身体を使って呼吸と心を調え、寂静の世界を目指します。
いくつかご紹介しましょう。
1、坐って左右の足を大きく広げ、上半身を前に倒します。太ももの内側が痛いくらいに。
身体を前に倒す時に息を吐き、戻る時に吸います。
その時、足の親指を握るとなおよろしい。
肩甲骨を動かしのもよろしい。
この体操で肝臓が調い、その結果、幻覚を防ぎ、怒りが抑えられ、耐え忍ぶ力がつきます。
幻覚妄想怒りは、悟りにとって最大の障害です。
2、立ったまま、あるいは坐ったまま、両足を伸ばして前屈します。腿の裏側が痛いくらいに。
前屈させる時に息を吐き、戻る時に吸います。
その時、足の小指を持つとなおよろしい。
これは腎臓の働きを調える体操で、幻聴を防ぎ、怖れや不安を取り除き、勇気が湧いていきます。
3、腸と背骨をねじります。
悲しみや心配事を消し、安心感を得ます。
4、清浄体操
坐禅瞑想する前の準備運動です。
まず、正坐して呼吸を調えます。
両肘で体を支えながら静かに後ろへ倒れ、そのままの姿勢で深呼吸を数回。
起き上がって合掌。
前に上半身を倒して額と両手を床につけ、できるだけ前方に伸ばします。
この時、眉間に意識を集中し、深呼吸数回。
起き上がって合掌。
右手を前に左手を後ろに伸ばしながら、上半身を左へねじって額と掌を床につけます。
右手は左足前方の外側に、左手はやや内側に、お尻を浮かさないようにして、深呼吸数回。
元にもどって、逆に右へねじる
起き上がって合掌
息を吸いながら合掌のまま頭上に伸ばし、両手を左右に開きながら親指を握り、息は吸いながら上半身を後ろにそらします。
息を止めて緊張
息を吐きながら両手を前下におろし、こぶしをゆるめて弛緩し、その手を後ろに握りしめながら上げ、上半身を前に伏せて緊張し、息を全部吐き出します。
息を吐ききって緊張。
ゆっくり元の正坐に戻り、深呼吸数回。
5、倒立(逆立ち)
一切の顛倒夢想(誤った考え、恐怖、不安、迷い)を遠離します。
清浄体操と逆立ちは少々難しいので、お気持ちのあるかたはご連絡ください。ご指導します。
姿勢と呼吸が調うとリラックスしてストレスが減り、食事が乱れることもなくなります。
そうすれば、きれいな血が脳へ流れて、心静かに悟りに向かうことが出来ます。
そして、デパートの食堂は憧れの場所で、クリームソーダは夢の飲み物だった。
あの頃はウソやインチキは無かったと信じています。
それはさておき、
おいしくて安全な水がタダで飲めるのは日本くらいである、という話を巷間よく耳にします。
デパートの食堂でもタダで飲める。
ちなみに、食後30分以内に湯茶水分を摂らないようにすれば、風邪予防になります。食後にすぐ水を飲むと免疫力が下がりますから。
さて、
ラーメン屋さんでもお蕎麦屋さんでも居酒屋でも、
醤油はタダですね。
醤油かけ放題、使い放題です。
お店によっては塩もお酢もラー油もコショウも無料。
こんなことで良いのでしょうか。
醤油はタダに値するものなのでしょうか。
タダでも良いような、タダ同然の調味料ということでしょうか。
素材の持ち味を引き出すのは鹹味と酸味。つまり塩気と酢です。
味を着せるソースやマヨネーズや砂糖と違い、塩・醤油・酢は少量使えば素材の味を引き出します。
湯豆腐に醤油を少したらせば、豆腐の味が引き立つ。
そのような醤油を、無防備にかけ放題にしてよいのでしょうか。
料理人の調味はどうなっているのでしょうか。
醤油無料は料理を作る側食べる側双方に問題があるのではないでしょうか。
さらに、
小皿に醤油をとって使う場合、
とる醤油の量を間違えたのかワザとなのか、たっぷり注いで残す人もいます。
醤油は捨てても良いものなのでしょうか。
僕は醤油が無いと生きてゆけません。
ですから、
是非とも、まともな醤油が生産され消費され、無駄にされないことを希望します。
精進料理では、「無駄にしない」ことが最も大切です。
なぜならそれは「いのちを生かすこと」「いのちを大切にすること」だからです。
無駄がなければ、積極的に時間もモノもいのちも生かして使うことができます。
それは、他人や自然に迷惑をかけないことにもつながります。
醤油は無料、使い放題で良いのでしょうか。
そして、インチキな醤油を使うことも控えていただきたい。これは偽装してもすぐに分かります。
僕より年長の女性店員が、
なんでもかんでもいちいち「お客様」と言う。
お待たせしました、お客様。
10000円お預かりします、お客様。
こちらがチケットでございます、お客様。
おつりでございます、お客様。
ここに受領印を押させていただきます、お客様。
お預かりするも、させていただくも日本語としてちょっとアレですが、このように「お客様」を続けられると、とても耳障り。
何より日本語として不自然だなあ。
圧力鍋の性質には長短があります。
長所利点は、
早く柔らかくなる
よって省エネ、エコである。
短所欠点は
圧力をかけない鍋で料理するのと比べて味が落ちる。
素材の味を引き出せない
長所でも短所でもない特徴が
材料を陽性にする。
で、
圧力鍋で調理したものを食べ続けていると陽性過多になる。
高い圧力をかけるのは、料理としては不自然な方法と感じます。
時々使うのがよろしいでしょうね。
厳格な玄米菜食者がマムシに噛まれて、卵醤を飲ませたら容体が悪化したのはなぜでしょうか
という質問がありました。
そういう人がマムシに噛まれるということが興味深いですが、
陽性で血が濃いため代謝が悪く排毒できないので、陰性なマムシの毒にあたる。
陽性過多なので、陽性な卵醤と合わない。
などが考えられます。
いずれにしても、厳格な玄米菜食者は陽性な料理が多く、味が濃くて野菜の摂取量が少ないことが予想できます。
野菜が少ないのは、どんな人にとっても不自然です。
DNAの二重らせん構造はすべて右回りです。
病的な環境では左巻き。
高濃度の塩分の環境を与えると螺旋が左巻になる。http://
などから、基本的にDNAは陰性な構造と考えられます。そして、陽性な環境にすると病的な状態になる。
つまり、生き物が陽性になる、陽性な食べ物を摂る、というのはDNAレベルでも不自然なのかもしれない。
僕らが日常唱える『理趣経』では、煩悩などの執着を「菩薩の位」としていますが、自然に沿った形で「生」に執着すれば、悟りにつながるということです。
自然に沿った形とは慈悲と智慧があること、戒律と心を鎮める瞑想修行が身についていることです。
そうでないのは不自然。
『雑阿含』(15・17)などにあるように
お釈迦さまの最初の説法では、
愛欲にふけることと、苦行で身をさいなむこと
この両極端を離れて中道を実践しなさいと説かれます。
中道は自然な心で、それは無執着で無差別。
寒くなっても寒いだけ、ということ。
なんて無邪気な質問を耳にすることがありますが
人間は、リンゴが好きな人とミカンが好きな人とどちらでも無い人、の三種類に分けることができます。
リンゴが好きな人は
腎臓、怖れ、勇気、同情心、たんぱく質、耳に何らかのつながりがあり、肉食系。
ミカンが好きな人は
肝臓、怒り、忍耐、脂肪、眼に何らかの関心があり、魚食系。
リンゴがおいしい季節になりました。
当地東北は産地が多くておいしい。
赤いリンゴを洗って丸のままガブリとかじるのが嬉しい。最初のひとくちが特にいい。
ミカンもそろそろですね。
わが家は徳島・みその農園のミカンが好き。
http://
橙色のミカンは誰かが皮をむいてくれると、より嬉しい。ふさはそのまま食べるのがいい。
僕は両方好き。酸っぱいのはもっと好き。
クリスマスイヴまでに読むといいよ、
と先輩からもらった本が
『輝く夜』(講談社文庫・百田尚樹 著)
クリスマスは神さまが身近になるような気がしますが、神との交流が書かれている
『ラーマクリシュナの福音』の中で、ナレンドラ、のちのスワミ・ヴィヴェーカーナンダが言います。
男が色欲を持っている限り、かれにとって女は存在するのだ。
色欲から解放されれば、人は性の違いを見なくなる
そしてラーカールが言います。
明かな智慧に到達するためには、人はマーラー(色欲と物欲)の領域を越えなければなりません。
このように若い修行者たちは語り、完全な孤独の生活に入り、神に浸りきって生活したい、と思います。
完全な孤独は、完璧な自由です。
ラーマ・クリシュナは言います。
私は、誰から何をしてもらう必要もないのです。主(神)が、私の唯一の拠り処です。かれが、私どもの世話をしてくださいます。
これくらいの信仰があれば、神は永遠の伴侶となる。
信仰ということは難しいもので、簡単には身につきません。
人類は「疑う」という煩悩によって、科学技術などの文明や思想を進歩発展させてきました。
だから、信じるという力が弱いのかもしれない。
だから、妄想や錯角を簡単に信じてしまうのかもしれない。
両親、つれあい、我が子、友人を微塵の疑いもなく信じることでさえ、簡単ではない。
でも、理性的に信じることができれば
より良いものを選ぶ力
他者への無限のいたわり
心を静める力
を得られると『菩提心論』や『三昧耶戒序』にあります。
そのように信じることができる相手がいれば、自分にとって永遠の伴侶となり、自分を大きな力で守ってくれます。
世の中には色々なことがあり、
地震津波台風があれば多くの人が死んでしまう。
そうでなくても、僕らはいつか必ず死ぬ。
なのにわざわざ人を殺す戦争や犯罪があります。
自分が手を下さなくてもいつかは死ぬのに、どうして殺そうとするのだろうか。
何も信じていないからだろうか。
タイトルは
今こそ政治を話そう「好きな子の名前は秘密」
何かを隠したければ、その何かの存在さえも知られてはいけない
言ってしまえば、いることがバレるのだ。
この中で
秘密とは
「今はまだ想像もできない事柄の到来をただ待つしかないことに耐えること」の省略形
と言う。
秘密とは何なのか自体が秘密なのである。
ふつう、こんなバカげたことはない。
「秘密が何かは秘密」のすごさは、その秘密なるものが存在していなくても構わないところである。だって、秘密なんである。
秘密をほしいままにしようと試みるとき奪われるのは、秘密と名前をつけただけで壊れてしまう細やかな秘密の生活
などとあり、おもしろく読みました。
僕らの業界は密教と言います。秘密仏教のこと。
秘密には二種類ありまして、ひとつが「衆生の秘密」
事実(真理)はすべて公開されているけれど、 衆生はその公開されてる真理を知ることが出来ない、その能力が無い、ということ。
電波はたくさん飛んでいるけれど、ラジオにその電波を受信できる性能が無いようなものです。
花が咲き雨が降り風が吹く。
そのような形で如来は真理を説法しているのに気がつかない。
心が調っていない、修行が足りないから、衆生自ら秘密にしている。
もう一つが「如来の秘密」
『向こうから隠す』ということ。
泳げない人にいきなりバタフライを教えても危険なだけですから、まず水に慣れて浮くことから教えます。
小学生に微分や積分を教えてもわからないから、足し算から教える。
そのように、僕らのレベルにあわせて真理を教える、ということ。
そうでないと錯覚や妄想に陥り危険なことが多いので、会得体得していない人から見れば秘密になっている。
ですから、あるレベルまで行ったらバタフライができるように、微分積分も解けるようにならなければいけない。
そうしないのは罪悪になります。怠けてはいけない。
秘密とは自心の中にあり、精進修行すればすべて明らかになるものです。
政治家は秘密をどのように思っているのだろうか。
今年は学生さんからの要望で、
ひじきごはん、キノコ汁、大根の煮物、大学芋その他。
彼らは若い。
輝く未来と希望が感じられて羨ましい。
こちらはただのオッサン。
学生さんは丁寧に煮物を仕上げていました。
煮物に味をつける時は少しづつ塩や醤油を入れます。
柔らかくするのは陰性にする、ということですから、陽性な塩気が少ないほど柔らかくなります。
もちろん、水分が多いほど陰性になり柔らかくなります。
柔らかくなってから塩、醤油、味噌で味を調えます。
その時、陰性な水、香辛料、香味野菜を一緒に使えば、その陰性で味がしみこみやすくなります。
例えば、醤油、
先ず少し入れて煮る。
味を見てまた入れる。
醤油を入れるたびに素材から水分が出てきますから、その素材の味と醤油が混ざるように、少しづつ、何回かに分けて入れればおいしく仕上がります。
一気にドーンと入れては台無し。
納豆はよく練って、またよく練ってトロトロにして、豆の味が出たら、葱と醤油を少し入れて混ぜます。
そしてまた少し醤油を入れて混ぜ、また少し入れる。
こうして豆と醤油の味が重なります。
少しづつゆっくり入れたほうが良い味になる。
いっぺんにではなく、少しづつゆっくり話し合ったほうが安全で平安な話ができる。
そういうものがたくさんあります。
少しづつ、少しづつ。
人生もそんなものかな。
という時は、
その代り、これとこれは公開します、秘密にしません。
というものもはっきりさせるべきではないのでしょうか。
と法律に疎い田舎坊主は考えています。
それはさておき、
悪業の中で最も罪が深く最悪なものが怒り・憎しみ。
対して、最も良質で心を純化する修行のひとつが忍耐。
というのが仏教の立場です。
怒り・憎しみには
不快、醜さ、汚れ、痛み、動揺があり
忍耐には
冷静、矜持、品格、教養、美しさ、平安、心の静けさがあります。
何より、
怒れば損をし、耐えれば得するはすですが、
昨今は物分りの良い人が多いから、腹が立ったらとりあえず怒ってみても損は無いようです。
『理趣経』では怒りも悟りの道であると説きます。
不動明王など密教の仏は怒りの表情をしていますが、
あれは自分の心の中にある煩悩をやっつけるために怒っている。
怒りの対象は自分の中にあります。
そうした自分のための怒りを、世の中の不幸不平等に対する怒りに変える。
これを「慈悲」と言います。
私情が入らず、人類の平和のために怒る。
無我で怒る
どこにも対立が無い。
そして、心の中にどこか悲しみを秘めた怒りであり、
心は静かでゆとりがある怒り。
これが仏のレベルでの怒りです。
通常僕ら凡夫が怒るのは、
相手のせいでも世の中が悪いからでもなく、
僕の心が動くからです。
眼を閉じれば見えないように、心を止めれば怒らない。それは執着が無くなるから。
執着があると怒る、その破壊と無慈悲と差別のエネルギーは大きい。
だから、怒りは大きな煩悩であり、悟りの障害なのです。
冬になって我が家の庭にも枯葉が舞います。
なぜ舞うのか。
風が吹いたから
木の葉が枯れて枝から離れたから
そうではなくて、僕の心が動いたからです。
雨が降り、護摩堂の屋根をたたいて音がする。
なぜ雨音がするのか。
雨が降るから。
屋根をたたくから
そうではなくて、僕の心が動くから。
心地よい音か、うるさい音かと、時と場合によって心は動く。
だから、音を聞き、それを感じて認識することも固定的なものではありません。
苦手な人がいる
その人は僕の悪口を言うだろうか。
僕をいじめるだろうか
その人は
ただいるだけである。 僕がその人に対する自分を決めます。
その人も、雨も、僕も形あるものだけれど、形あるものは現象としてあるだけで、実体としてはない、というのが空(くう)の立場です。
なぜなら物質的存在は縁と条件によって、相互依存の間でしか存在しないからです。
だから、あらゆるものは常に変化している。
雨の音を感じる
雨、というものを了解する
雨の存在を知り、雨の音を聞く。
雨音を心地よく感じる.
そして心が止まる時、雨と一体になり、雨音は消え、僕は雨になる。
ただ、聞こえるだけ。
その時、怒りも喜びも無く、
あらゆる苦悩から解放され、心は寂静になります。
厄は生きているうちに日々積もるものです。人生の節目に、気がついた時に、自身を見つめ直して反省し、よりよく生きようとするきっかけのひとつが厄除けです。
厄年には諸説あり、
『仏説灌頂菩薩経』では
七、十三、三十三、三十七、四十二、四十九、五十二、六十一、七十三、八十五、九十七、百五歳。
『黄帝内経霊柩』には
七、十六、二十五、三十四、四十三、 五十二、 六十一歳
とあります。
世間で通用しているのが、
男二十五歳、四十二歳、六十一歳
女 十九歳、三十三歳、三十七歳
また、身体は
二十歳、四十歳、六十歳の周辺で、
精神は
十二歳、二十四歳、三十六歳、四十八歳、六十歳の辺りで
変化がおこります。
いずれにしても、環境や生活の転換期と、疲労やストレスの蓄積が災厄につながります。いつもと違う何か変調がある時は、心身に注意を向け、丁寧な生活をしましょう。
心身不調の原因は必ず自分の中にあります。
丁寧な生活と、心を静かにする祈りは、その原因を見つけ、苦厄を避ける良い方法です。
『如意輪陀羅尼経』には、
厄を除くことが観音の本誓である、とあり、
密教の加持作法では、大日如来と行者と衆生が無差別であると観じて煩悩を取り除き、その結果、心身の病が快癒する、としています。
厄除けのご祈祷は当庵でも行っております。どうぞお申し込みください。
不動明王護摩供にて、如来の力添えと、自身が健康快活になる智慧が得られます。
その際、各位の体調に応じた厄除け招福の食事法・呼吸法を伝授いたします。
平成26年新年祈祷の受け付けも始めております。
お気持ちのあるかたは、当庵ホームページhttp://shintenan.hanagasumi.net/からお申し込みください。
〒963-1246
福島県郡山市田村町谷田川字矢平202-12
電話・FAX:024-955-5370
メール:gbqmk185@ybb.ne.jp
高野山真言宗 眞天庵 須永 晃仁
眞天庵では例年の通り、正月三日間 平和安穏と各位の万福を祈念して、不動明王護摩供を修法いたします。ご祈願のあるかたはどうぞお申し込みください。三日間ご祈祷した後、護摩札をお送りいたします。
護摩は火を焚いて拝みます。本尊の智慧の火で迷い・不安などの煩悩を焼尽し、平安と静かな心を得て悩みを消します。
どうぞ、お護摩によって皆様の煩悩を焼き浄め、大厄を消除し、すすんで家内安全、商売繁昌、病気平癒、心願成就など、開運の祈願をなされますようご案内いたします。
【新年祈祷】
・元日護摩 午前八時より
・二日、三日不動明王供 午前五時より
祈祷料 五千円(護摩札三十㎝)
【添え護摩祈祷】
添え護摩という木にお願いごとを書いて護摩の火で焼きます。お電話で願意とお名前を伺い、こちらで代筆することもできます。
添え護摩木代 三百円
【年間護摩祈祷】
・元旦と毎月二十八日の十二回ご祈祷します。
祈祷料 一万円(護摩札三十㎝)
【先祖供養】ご来庵できない場合は、当庵で拝んだ後、回向の証をお送りします。
○一座供養(年忌法要などの法事、追善供養) 供養料 一万円
○年間供養(過去帳に記し、毎月命日に拝みます) 供養料 五万円
お気持ちがありましたらホームページよりお申込みください。
http://
福島県郡山市田村町谷田川字矢平二〇二の十二
眞天庵 須永 晃仁
2013年12月3日
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、国際情勢の複雑化に伴い我が家及び親族友人知己有縁無縁諸精霊の安全の確保に係る情報の重要性が増大するとともに、高度情報通信ネットワーク社会の発展に伴いその漏えいの危険性が懸念される中で、我が家の安全保障【(我が家の存立に関わる外部からの侵略等に対して家族親族友人縁者の安全を保障することをいう。以下同じ。)】に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該情報の保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定めることにより、その漏えいの防止を図り、もって家族親族友人縁者の安全の確保に資することを目的とする。
(定義)
第二条
この法律において、我が家とは私の家のことである。この家は、物件としての建造物である家の外、世間で平和と安心の象徴とされる家庭の意味も含む。
第二章 特定秘密の指定等
(特定秘密の指定)
第三条 我が家の長(だれが長であるかは家族のその時々の雰囲気で決まるものであり、法令等で決定してはならない。場合によっては亡き先祖の場合もあり得る)は、我が家に関する情報であって、公になっていないもののうち、その漏えいが我が家の安全に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるものを特定秘密として指定するものとする。
2、我が家の長は、前項の規定による指定をしたときは、定められた書式により自筆で記録し、仏壇に保管しなければならない。
3、秘密の具体的内容については別表に定める。
4、特定秘密に指定する事項は、我が家に関わる縁者に対し、同情と慈悲を基本とし、苦しみを抜き、楽を与えるものでなくてはならない。
(指定の有効期間及び解除)
第四条 我が家の長は、指定をするときは、当該指定の日から起算して一日を超えない範囲内においてその有効期間を定めるものとする。
指定の有効期間は、通じて三日を超えることができない。
(特定秘密の保護措置)
第五条 特定秘密の取扱いの業務は、我が家の長に限る。ただし、さまざまな手を使って我が家の長を誘導し、追い詰め、業務を無理強いさせることもできる。
第三章 特定秘密の提供
第六条 我が家の長は、当該特定秘密を利用する必要があると認めたときは、どこのだれに当該特定秘密を提供しても構わない。ただし、それが円満な人間関係を構築するために必要な場合に限る。
第七条 特定秘密を保有する我が家の長は、秘密を提供するにあたり、家族の中で優位な立場にある者(特に指定しない限り妻である)に相談しなければならない。
第四章 特定秘密の取扱者の制限
第八条 特定秘密の取扱いの業務は、これを漏らすおそれがないと認められた者(今まで決して嘘をついたことが無い者)でなければ、行ってはならない。
(特定秘密の指定等の運用基準等)
第九条 特定秘密の指定及びその解除に関しては、秘密というもの自体を厳密に定義できる場合に限る。
2、秘密とは個人的なものであり、集団組織が秘密を持つことは最小限にしなければならない。なぜなら、秘匿すべき真理は個人の心の中にのみ在り、集団組織に真理は無いからである。
(この法律の解釈適用)
第十条 この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈してはならない。
また、事実とウワサ話の区別を明確にしなければならない。
第十一条 特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、三日間の断食と正坐六時間、または般若心経写経百巻と五体投地礼拝一万遍に処する。
附則
第一条 この法律は、公布の日後『宿曜経』において吉祥となる日を卜し、不動明王加持作法執行後施行する。
別表(第三条、第五条―第九条関係:何を特定秘密とするかについて)
一 防衛に関する事項
イ 魔法のスープの作りかた若しくはその研究
ロ 炒り玄米に関し収集した重要な情報
二 外交に関する事項
イ 悲嘆にくれている人に関するもの
三 特定有害活動の防止に関する事項
イ 特定有害活動とは嘘つき、煩悩による怒りと貪り、因果の法則を知らず論理的バックボーンが無いままに情報を垂れ流すことである。
トントントントン♪ ひげじいさん♪
・・・・・・・♪
を歌います。
そして、
キラキラキラキラ♪ 手はおひざ♪
(合掌して)
いただきます。
と食事を始めます。
これはとても良い所作で美しい。
息子が学校で高校受験の面接練習をしてきた
と言う。
先生から
足は心持ち開いて、手はひざに置く。
と言われたらしい。
そう、軽く握って手はおひざ。
その時、人差し指の横外側を親指の腹で押すようにするとなおよろしい。
如来慈悲の手になる。
それはさておき、
寒い朝に坐るのは、ことのほか気持ちがいい。
寒さは人の心に規律と矜持を与えます。
時折、受験生の息子も坐ります。
初門の基礎から教えるので、僕も基本的な所作を繰り返す。
坐りかたも呼吸法も唱えかたも基本に戻って。
そうすると、
長い間に余計なものがくっついて、ほこりまみれになっている自分に気がつきます。
寒いとかお腹が減ったとかは我慢すれば良いだけですが、
イライライする、許せない、憎い、マイナス思考になってしまう、不安が消えない
などは我慢できないこともあるようです。
そんな時も、基本的なことを試みると心が変わります。
もっとも、日本には昔から
短気は損気
ならぬ堪忍するが堪忍
などと言って、魚を食べる民族特有の陽性がありますから、イライラするのは日本人の特徴。
仏教は「ものは思いよう」
心を柔らかくするテクニックを多く持っています。
例えば、
来る日も来る日も徹底的に懺悔し礼拝する。
毎日ただ真言を唱え続ける。
ひたすら坐る。
牛のようにただ歩き続ける。
みな、基本的なことです。
単純なことを繰り返し続けるだけ。
そうすることによって、自分の内側が見えてきます。
そうなればしめたもの、心はどのようにも好きなように転換することができます。
見えているのだから簡単
心が見えればいつしか忍耐と精進の力がつきます。
すると、執着から解放され
まあ、いいか。
感覚の問題に過ぎないな。
と認識します。
雑巾がけでも野菜の繊切りでも草刈りでも、
単純なことを一万遍くらい繰り返せば、何とかなります。
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「風邪予防の精進料理メニュー」
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すべては心の弱さが原因であると僕は思っていますが、
そうは言っても、いつもつも強い心でいられるわけではない。
悩み不安があるのは、心身が成長期にあるからかもしれない。
完成していれば悩む必要は無い。
で、悩んでうまくいかないことがある
青春の蹉跌ですね。
ですから、
悩み・迷い・将来への不安がある、のは青春力があるということ。
解決する方法がとてもたくさんあるのだけれど、
それに気がつかないこともあるし、
それに気が合わないこともある。
でも、
方法がある
ということだけ認識していれば大丈夫。
迷いは煩悩だけれど、
煩悩が無くなって人は始めて仏となるのではないこと、雲が晴れて始めて日月が生じたのではないのと同じい(『秘蔵記』)
病の数が多いのであるから、処方もひとつではすまされない。心の疾はさまざまであるから、それを導く教えも一種ではない。(『三昧耶戒序』)
そして
医者が見ればあらゆる毒は薬になり、仏の智慧で見れば、あらゆる人はみな仏である。
(『平城天皇灌頂文』)
つまり、
迷い多きに悟り多し、であります。
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「陰陽で考えるガンが治るしくみ」
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