と娘が言う。
そう、ちょっと硬めの揚げ出し豆腐。食べやすいのです。
破れたトマトを煮込み、味噌とコショウで調えたソースを敷いて、焼いた高野を載せます。
最近はアルデンテでなければおいしくないパスタが多いですが、このソースは小麦の味を引き立てます。
それはさておき、
こんなことで良いのだろうか、と感じるのが医療保険制度。
本日、今年度の国民健康保険税の納税通知書が届いて、約54万円。
ここ20年以上医者にもかからず、皆様の税金を使わず、そこそこ健康なのに、この金額を払わなくてはいけないのかと思うと病気になりそう。
先日、用事の合間に東京都慰霊堂にお参りしました。
http://
関東大震災による遭難者(約58,000人)と、東京大空襲などによる犠牲者(約105,000人)の御遺骨が安置されています。軍人さんではなく、一般市民の犠牲者がおまつりされている。
現在、耐震工事中ですが、だれでもお参りできます。
あんなことが二度と起きないように、と祈りました。
高校を卒業して35年になりますが、母校の卒業生名簿が業者に流通しているらしい。
つい先日、こんなことがありました。、
オガサワラ ドアラ君(仮名)とオガワ ジャビット君(仮名)と僕はクラスメート。
先日オガワサラ君(仮名)のお母さんに電話がきました。
もしもし、オレ、ジャビット(仮名)だけど。
お金が無くて困っているんだ。送って欲しいのだけど。
・・・・・? ウチにはジャビット(仮名)なんて居ませんよ。
えっ! お宅は??
ウチはオガサワラ(仮名)ですけど。
えっ! オガワ(仮名)さんちじゃないの?
名簿ではオガサワラ君の次がオガワ君。
ちゃんと見なきゃダメでしょ。サギ失格だね。
タナカ君とタナベ君、ノムラ君とノノムラ君も間違えるのかな。
それよりも、わが母校の名簿が出回っている事実が判明したわけで、困ったことです。
最近は葬儀の形も随分変わってきました。
お通夜お葬儀をしない、という人も増えています。それが良いことなのかどうかは何とも言えません。
色々お金の事情もあって、質素に済ませたい人もいます。
お通夜葬儀などはせず、火葬場の炉の前だけで読経をして、火葬後収骨して解散、という形もあります。
全員立ったまま、お経の時間は10分くらい。
先日、こんなことがありました。
お金が無いから炉前のお経だけでお願いします。
と頼まれた坊さんが、10分拝んで請求したのが100万円。
お経は長さの問題ではない、と言う。
まあ、そうだけれど、それ以前に問題があるでしょ。
福島の知人から電話で 、こんな話もありました。
ご主人の背中に赤い湿疹のようなものができ、それが増えて、とてもかゆい 、
とのこと。
ある所へ行ったら、放射能の影響だ、と言われたらしい。
場所が背中で、赤くてカサカサしていたら陽性の排毒です。
放射性物質の影響なら陰性の症状が出るはず。
まったくもって適当なことを言う輩がまだいるのですね。
暑い夏によく聞くのが、信長に焼き討ちされ、炎に包まれて遷化した甲州・快川和尚の
「心頭滅却すれば、火も亦涼し」
これ、間違いですよ。
正しくは、
「火、自ずから涼し」(ひ、おのずからすずし) 出典は中国の詩人・杜荀鶴の七言絶句
火も亦涼しでは、水や風のように、火もまた涼しいと言っているようだし、やせ我慢して熱いのを熱くないと言っているみたい。
そうではないですね、
火、自ずから涼し
であって、
火は熱い、坐禅しても悟っても熱いものは熱い。ただ、熱いんです。
多くの人は避けられないものを避けようとして苦しみを作っています。
快川和尚が言うのは、
火は熱い。それだけのこと。
熱さ寒さなどは論外のことで、熱ければ熱さに徹する、なりきる。
苦悩に任せ、苦悩になりきる。
そうすれば、熱さなんて重要なことではなく、もっと生きるために必要なことが分かります。
執着するな、比較するな。熱いだけのことだ。
熱さになりきれば、それは涼しさと共に止揚して昇華し、涼しくなる。
炎天下の甲子園で、球児たちは暑さより大事なものを追いかけていますね。
__________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
「解毒法ガイド その1」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/w9V7Au5hUHw
クルミをすって味噌と合わせ、昆布しいたけ出汁で伸ばしたら、
パンチが無いわ
と妻が言うので、梅干しを叩いて練り混ぜ、朝の冷奴。
このような、朝から一杯やりたくなるような料理を毎日作ってはいけない。
鼻を高くしたい、という女性に、高くするためのストレッチを教えたら、鼻づまりも治ったと言う。
鼻づまりが治るなら、毎日ストレッチするのはいい。
姿勢が悪い人は両手を使わない生活をしがちですが、両手を使わない人は足が悪いことが多く、そのような人は頭痛持ちになる傾向があります。
両手を使って、丁寧に生活するのはとてもいい。
それはさておき、
お葬儀が続きまして、火葬の間に喪主さんたちと少々お話をして、いろいろと聞かれます。
例えば、
「戒名って必要なんですか?」
戒名は仏弟子の名前です。生まれた時に親が名前をつけるように、仏弟子となった時に、師から名前を貰います。戒律を授けて戒名を授ける、ということを、仏教の得度式やお葬儀で行います。
戦国武将の武田信玄・上杉謙信・山名宗全・大友宗麟などの名前も戒名。
もちろん、僕ら僧侶の名前も戒名。
では、お葬儀に際して戒名は必要なのだろうか。
これ、結構悩ましい問題なんです。
無くても構わない、という立場もあります。
生前の名前を戒名にしても良いですし、信仰があるなら、あなたの名前が仏教徒の名前ですから。
そもそも仏教徒なら、キリスト教の洗礼みたいに、生前に授戒して戒名を貰うべきだけれど、そういう機会に巡り合わないだけでしょうし。
戒名を授ける側が、あまり経典読んでいない、全く勉強不足の場合もありますし。
でも、そう考えない人もいます。いろいろな考えかたがある。
信仰は無いけれど戒名欲しい、という人もいる。
戒名をつけないのなら、仏式の葬儀をする必要は無い。他の宗教や無宗教でも良いのだから。
と言われれば、そうかもしれない。
ただ僕は、戒名にそれほど重きを置いていない。
僕は剃髪が良いと思っているけれど、お釈迦さんはそんなこと言っていないし、螺髪だし。
何を大切に思うかはいろいろです。
仏教は修行の宗教なので、もっとみんなで仏道修行するべきなのですが、そういうことに戒名の問題はつながらないように感じています。
最近多いのが、
「お墓をどうしようか悩んでいます。」
近頃お墓はいらない、という人が少なくありません。
子どもがいない、跡継ぎがいない、結婚しない、
お墓を作ってもお参りする人がいない。
それぞれ事情がありますから、一概には言えないけれど、
散骨も今は5万円程度の費用で難しい方法では無くなり、共同納骨墓や、無縁塔など、いろいろな埋葬の方法がありますから、有縁のお寺や葬儀屋さん、公営や民間の霊園などに相談されると良いでしょう。
もうひとつ、
「死んだ人はどこへいくのか? 四十九日までは近くにいるのか?」
僕なら、死んで霊となり、その辺をふわふわ漂い、家族縁者の様子を覗いていられるなら、それはそれでおもしろいなあ、と思うのだけれど。
僕らのまわりには、見えるものも見えないものも、思ったことが「在る」のです。
思わないことは「無い」。
霊魂もあの世も、それを思う人には存在します。どこにあるかというと、その人の脳の中にある。心の中ですね。
実際に、どこそこの何番地にいる、というものではないし、宇宙のどこかでもない。
そう考えるのは面白いけれど、無い、と僕は考えています。
お釈迦さんはそういうことを言っていません。有るとも無いとも。
そんなことは修行に関係ないのだから、役に立たないことだから。
『摩羅迦小経』には
「(お釈迦さまは、死後存在するのかしないのか、などの疑問は)目的にかなわず、修行のための基礎にもならず、厭離・離欲・滅尽・寂静・智通・正覚・涅槃に役立たないので、説かない」
とあります。
もし、死んだ人の霊があるのなら、それは恐怖や慰撫の対象ではなく、仏になる(悟りの)可能性を持ったまま亡くなったのだから、仏の境界に上るように成仏を願うものです。
おそらく、死んだ人の霊よりも、生きている人の思いのほうがずっと強い。
それは壁をも突き通して、他に影響することがあります。その中に「霊」を見る人がいるのかもしれない。
で、大切なのは、その「在る」も「無い」も、有無どちらも「空」である、常に固定化した「これだ」という実体は無い、流れるように変化している、ということ。
それに執着しては煩悩悩み不安迷いの種になるだけです。
それから
「仏さまって何?」
仏はわが心の別名であり、この身体は仏の住居であり、だから肉体も大切なのだけれど、そのことを忘れてしまいがちなのがわが心。
月が多くの水鏡に映るように、仏は多くの人の心に映ります。
ある人が
歳をとると怒るのがもったいない、と思うようになった。
怒ると損するからね。
明日死ぬかもしれないから、笑顔でいたほうがトクなんだ。
だからといって、特別に喜ぶことも無い。
ただ平穏に、心が波立たないよう静かにしている。
怒ったりイライラする前に、優しい言葉を口に出せばよい。
だけど、肝臓が弱い人には難しいから、健康になったほうが得。
心が寂静になれば、世の中も静かになる。
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※穀菜食の舎会員ページ
「結婚・妊娠・出産と不妊症について」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/shintenan/dLoB1j-G0qA
この時期、冷たいものの摂りすぎでお腹が冷えることがありますが、冷えた時に塩気の陽性は身体を引き締めるだけなので、それほど身体を温めません。固くして血行が悪くなるだけ。
カリウムのあるもの(味噌など)、炭素を含むもの(おこげなど)、時間をかけたものが効果的です。
例えばゴボウをちょっと焦がす。
ごぼうを敷いて厚揚げを焼いたもの。さらに醤油を回してちょっと焦がす。
それはさておき、
例えば身体にできるイボやホクロは、自分の身体から出現した「私」の一部です。
イボやホクロが自分から独立して存在しているのではない。
おなじように、地球上の植物は、それ自体が独立しているのではなく、地球から生えている、地球の一部。
さらに、僕らは宇宙から独立して存在しているのではなく、宇宙の一部として、その中からイボやホクロのように飛び出ているだけ、と考えてみます。
身体はそうだとしても、心はどうなのだろうか。
お大師さんの『三昧耶戒序』 最後の部分に
この世における最低の人間は悪心を離れることができないでいるけれども、善知識に出会い、教え導かれれば、自分の分を節制して他人に施すようになる。
その人が倫理道徳を護り、因果の法則を知るようになれば、良い人間に生まれ変わろうとし、決まりを守ろうとするようになる。
その次には、優れた解脱の智慧を願うようになり、悟りや幸せのために修行するようになる。
そうしているうちに、善知識によって諸仏の教えの誘いを受けるようになるので、自分だけの悟りではなく、他を救いたいと願うようになり、
その中で最も優れた結果を願うようになるから、心身の不生不滅を悟るに至り、あらゆる対立を離れてそれ自体の自性が無いこと、つまり「空」を悟る。
そして、宇宙や自然や縁者の力で眼を覚まされ、究極のもっとも優れた「固く壊れない心」を願うようになる。
この「固く壊れない心」とは
自らの心の奥底をはっきりと見極め、自らの身のありようを根源からつかむもの
と『大日経』にあります。
この「奥底」は宇宙と同じ底辺である、と僕は考えています。
脳は身体の一部ですから、宇宙の一部。心は脳の働きだから、そこには宇宙の心があるのかな。
ちなみに善知識の略語が知識。
サンスクリット語のkaryāṇ -mitra(カルヤーナ・ミトラ)の訳語で、友人、優れた仲間の指導者という意味の仏教語。
心は一定ではなく常に変化しますので、一定のところに執着するべきではない、と悟れば、心は次々と展開し、優れたほうへ進みます。
この他、心について『十住心論』に多くの記述があります。
・自分のものでありながら、その実体を知りがたいのは、わが心である。
・目には見えないけれども、宇宙に遍満せるものは自分の中の仏である。
・人は生まれながらに仏である。しかしそのことは容易に悟ることができない。
・自分の心は小さく見えるけれども、実は際限もなく広くまた大きいのである。
・人は自分の心に迷って自ら苦しい世界を作っているのである。
・心の実体を悟ることができれば、澄み渡って静かな世界に、平穏に生きることができるのである。
・心はいつも動かぬ固定したものではない。固定したものではないので向上がみられるのである。
親の介護や葬儀、という年代になっております。
歳をとるといろいろな感覚が鈍くなりますが、
厚着の父は、裸姿の僕に向かって
お前とは親子ほど年が離れているから、体感温度が違うんだ
と言う。
その通りでございます。
その父が僕の仕事部屋に来て
幼いころ過ごした町に帰りたいなあ、
連れて行ってくれよ
と言う。
僕も、あの日に帰りたい、と思うことがある。
それ以上に、希望もあるから生きています。
陽性なアレルギ―の人は陽性ゆえに関節が固い。
例えば手首も固い。
掌小指側の縁、手相では打撃縁と言いますが、ここを叩くと運が良くなります。
つまり、幸運のカラテチョップ。
このチョップで手首の骨が自由に動くようになると、頭が良くなり、いろいろなことがうまくいく。
お隣から見事なゴーヤをいただいたので、豆腐と炒める。
ピーマンとトマトとコーンと味噌でサラダ。
いろいろ作る。
ゴーヤの小さいものを、僕らの業界では高野と言う。
そのお宅から赤紫蘇もいただく。自分の畑で育てた赤紫蘇で梅干しを漬け、土用干ししたもの。
赤紫蘇と生姜をみじん切りにして醤油に合わせ、ごま油で炒めたナスに添える
食養で使う青菜、里芋、豆腐などのシップは、その陰性とアルカリで排毒を促しますが、野菜はみな陰性でアルカリなので、触って料理をしていれば、それが外用になります。
だから、野菜を料理するだけで健康快調。酸性で陽性なものでは、その効果は期待できない。
護摩堂はいつできるんですか、早くしてくださいね
とみなさんから聞かれ、
うーん、なかなか進まななくてねえ、
とcocochiのT・メグミさんに言ったら
おいしいごま豆腐、食べたいわね
と言う。
護摩堂と胡麻豆腐 ?
除染が続く郡山市
一般家庭も一件づつ除染。5~6人がかりで一週間かかります。
我が家は不要です。
と断っても良いのだけれど、きれいに草刈りして、庭木の剪定もしてくれます。国の費用で。
きれいな芝生をみな剥がし、同じ庭に大きな穴を掘って埋めます。
えっ、ここに埋めるの?
はい、中間貯蔵施設ができたら、掘り出してそちらに移します、
と言う。
そんな時期が本当に来るのだろうか。
僕らも通学路の除染をしたけれど、高圧洗浄機で流した水は、歩道から隣の敷地や側溝に流れ、歩道の線量は下がるけれど、隣や側溝の線量は上がります。
田舎は樹木が多いから、そこに付着した放射性物質が放出されて、また元の線量に戻ります。
移動しているだけ。
そのために、多額の費用が使われています
線量が下がると言っても、大きい所で30~40%程度。
費用対効果がねえ。
そもそも、・・・。
この先は言わないほうがいいか。
ちなみに郡山市の放射線量は、
http://www.city.koriyama.fukushima.jp/186000/shinsai/kekka.html
健康に良いもの、身体に良いものが好きな人は多い。
これ、身体にいいんですよ、
とすすめられることがある。
では、みなさん健康なのだろうか?
身体に悪そうなものの知識はどうなっているのだろうか。
なぜ、どういうわけで身体に良いのかを考える、調べる、勉強する人はとても少ない。
そして医療費が増大し、風評被害や誤解が生まれる。
同じようなレベルで、
インターネットの情報をシェアする輩が多いですね。まったくの無教養というか、ひどい事です。
ねえねえ、知ってる?
あの人、昔、キョンキョンと付き合っていたらしいわよ。
なんてね。
若い人と話をしていたら、施餓鬼とお盆の区別がついていないみたい。
施餓鬼会は、
六道輪廻の中、もっとも飲食の不足に苦しむ餓鬼に施食し、仏法僧三宝の徳をもってその苦難を抜済するための法会。
拝む人は滅罪とすべての人の利益を志します。
『救抜焔口陀羅尼経』や『施諸餓鬼飲食法』が典拠。
これは「毎日修法するべきもの 」
盂蘭盆会は、先祖供養で、故人の滅罪と悟りを祈るもの。
『盂蘭盆経』が典拠で、7月15日(お盆の期間)に拝む。
いずれにしても、たくさん拝んで、感謝して、素敵な夏を過ごしましょう。
白ごまをまぶしてごま油で利休焼き
最初は強火で焦げ目をつけ、その後弱火でカリッとさせ、塩気を少々強くするとうまい。
それはさておき、
縁者から桂米朝上方落語大全集のCDを借り、運転中に聞いて至極の時間。
僕がいちばん好きなのは『地獄八景亡者戯』(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)
1時間を超える大作名作
http://
地獄はサンスクリット語 naraka(ナラカ)の訳語。罪障あるものが死後に行く世界。
地下にある牢獄と考えられたので地獄。
ちなみにこの世、現世は娑婆。サンスクリット語のsahā(サハー)の音写語。
サハーは大地の意で、仏教では生ける者の住む世界。
仏典では忍土とも訳します。
サハーの語源に「耐え忍ぶ」という意味があるからで、
現世とは「耐え忍ぶ世界」なんですな。
耐え忍ぶ姿は美しい。耐え忍ぶことが自由につながる。
世とは元素の集まりです。
原子番号1番の水素から、炭素、窒素、酸素、ナトリウム、カリウム、鉄など多くの元素で構成されています。
界とはその元素が集まった藏のこと。僕らの身体もその藏。
これが世界の本体。
元素が化学反応で動いているだけだから平等であり、不生不滅不増不減で常恒。
その姿には、智慧や慈しみや楽しみなどの功徳がある。
そして、その働きは、他を助けたり、協力したりしながら、良いことや悪いことを行わせる。
だから、世界の中では、
仏もあなたも僕も好嫌害毒も、同じような存在で平等。
あたなを構成する元素は私の構成物でもあり、一切の存在を構成している元素も私の中にある。
どの存在も差別なく、世界に周辺して差し障りが無い。
元素は化学反応しながら、くっついたり離れたりして、大きい宇宙になったり、小さな塵になったりしている。
僕も宇宙も同じだから、大きくなったり小さくなったりしている。この身体の範囲だけではないんだ。
そして、それは過去現在未来の三世に渡り常住。
その元素を単なるものと見るか、僕らを生かせている仏と見るかで、ちょっと人生が変わるかもしれない。
石をただの石としか見ることが出来ないのなら、ちょっとつまらないように。
お腹が冷えすぎないように葛餡で。
タンパク質の多い豆腐はキノコと合う。
そして今日もナス
ごま油を多めに引いてナスを焼き、強火で焦げ目をつけてから、弱火でじっくり。
味噌、みょうが、酢でタレを。
それはさておき、
○○町××寺で住職後継者を探している。アンタを紹介したから、行ってみてよ。
と先輩に言われて伺い、世話人さんに会ったら、
ちょっとあなたを霊視させてもらいます。
と僕を見つめる。
同年代のオッサンからじっと見つめられるのは恥ずかしい。
その世話人さん宅でトイレを借りたら、とても汚れていた。
料理教室で講師の包丁を借りる人がいて、
ずいぶんと失礼だなあ
と思ったら、その人が
心の勉強会に来ませんか
と僕を誘う。
霊能者が講師らしい。
僕が僧侶と知っていて。
こちとら専門家なんだけどなあ。
僕が坊さんらしくないのか、それとも仏教そのものがバカにされているのか、両方なのでしょうね。
添加物のような、味ではない刺激があちらの世界には、あるような気がします。
僕みたいな偏食はご迷惑をかけることが多々ありまして、
あんたは精進なんだね。肉、食わないんだね
だから、これをあげるよ。
と有名ホテル製缶詰セットをいただく
気を使っていただいて恐縮で、とてもありがたい。
僕の偏食は、肉魚卵よりも、
Kッコーマン醤油、Kゴメケチャップ、Bルドックソース、Qピーマヨナーズ、味の素、ダシの素、Mツカン味ぽん、Yマキのめんつゆ、糖類添加のお酒
などの余計なものが入っている類が苦手。
素材の味が台無しだもの。
陰性な旨味であるアミノ酸等の添加物は、味の面からも陽性な塩を強く引きつけます。
だから、その塩の陽性で固くなって排毒されにくい。
それが酸化して、いろいろな症状に結びつきます。
旨味を引き出すのには塩が必要です。
高血圧は血液が濃すぎて血行が悪いので、心臓が圧力を上げて送ろうとする結果ですが、
降圧剤で血圧を下げると、血液の質は変わっていませんから、末端まで流れにくいのは変わらず、冷えなどが生じると考えられます。
さらに、脳の細い血管までも流れなくなるので、認知症などの原因になるかもしれない。
食養では玉ねぎ、大根、シイタケなどで高血圧に対応しますが、これらは血を流れやすくするためなので、末端や脳まで流れますから、影響はないと考えられます。
同じように、
陽性で濃い血液の場合、脳の血行が悪くなるので、それが異変を起こす原因と予想されます。
つまり、肉食や玄米の陽性+砂糖や添加物の陰性が引き起こす。
巷間の玄米菜食の場合は陰性が少ないから、陽性毒を排泄する力が足りない。
この料理、 出汁は何?
と聞かれることがありますが、出汁は気にせず、材料をうまく使えばおいしくなります。
出汁の旨味はグルタミン酸などのアミノ酸の味ですが、多くの素材に含まれています。
グルタミン酸を多く含む食品
http://wholefoodcatalog.com/nutrient/%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3%E9%85%B8/high/%E9%A3%9F%E5%93%81/
旨味には(出汁には)相乗作用があるので、グルタミン酸の他にキノコなどのグアニル酸、魚のイノシン酸 いろいろ足せば味が広がります。
多くの野菜やキノコを、やはり旨味のアミノ酸と塩気がある天然醸造の醤油や味噌で料理すれば、それだけで秀越な出汁が引ける、という次第。無添加で。
さて、
会津と長州、イスラエルとパレスチナ、栃木市と宇都宮市
当事者でなければ分からないような感情が世の中にはあるようです。
僕が30年近く医者へ行かずに済んでいるのは、たまたまの偶然ではなくて、特別なことをせず、普通(旬)の食生活をしているから、と思っています。
人間の心も、特殊なことを思わず、普通自然ならば、それほど苦悩にもならないと感じています。
眼は心の窓、などと申しますが、
明るく輝いて、角膜に曇りが無く、眼球が自由に動き、眉毛も引き締まっていれば、肝臓が健康で、落ちつきと冷静さがあり、忍耐力も優れています。
そして、下まぶたが桜色なら大吉。
鼻は自我を象徴する、と人相学ではとらえており、
学問をすると顔の諸筋肉を多く用いるので鼻が高くなり、
足を使うと顔の左右の頬骨が真ん中に寄り、鼻が高くなります。
まあ、あまり鼻高々なのは目障りなものでございますが。
汚らわしいものは眼を閉じれば見えず、臭い物は鼻をつまめば匂わない。
同じように、心を閉じれば争いや怒りが消え、静けさと平安を得ます。
それは瞑想行によって訓練することが可能。
姿勢良く坐り、
目を閉じてひとりになり、無言。
聞こえるものがあっても関心を持たない、ただ聞こえるだけ。
匂うものがあっても関心を持たない、ただ匂うだけ。
蚊が飛んできても興味を持たない。
ただ羽音が聞こえ、刺されて痒くなるだけ。気にしない、関心を持たない。
何か思い出しても、気にしない。忘れてしまう。
こうしなければ、ということがあってもとらわれない、こだわらない。
自分の思いかたを変えることで変わること以外は諦めるのがいい。
だんだんいろいろなことがどうでもよくなればしめたもの。
ただ、坐っているだけ。
生きていることも忘れ、何も考えない。
脳内の血液が流れ、何かをしている、脳細胞が勝手に動いているだけ。
広い野原に、風が吹いているだけ。
この風は執著という煩悩を吹き消す。
その状態を涅槃と言います
sb_id="ms__id160
イライラもない、不安も迷いもない、慢心貪り、疑いもなく
同じように、幸福感も喜びもない
ただ、目に見える、耳に聞こえる、脳が動くだけ。
風が吹くだけ。暑いだけ。
そのような寂静の世界で、しばし過ごせば、もう何も不安も困難も無い。暑さも寒さも無い。
そんなことは元々無いのだから。自分が勝手に作ったものだから。
そのような時、
鼻筋がきれいに通り、目は静かに輝きます。
雨が続いて涼しいので、ゴボウ料理。
水溶きの地粉をからめて揚げ、生姜、コンニャクと煮染める。
お揚げ、豆腐と、かみなりゴボウ
台風や豪雨で濡れる日は、ゴボウや乾物やおコゲがいい。
少し涼しい日は、最初の具だけ炒めてから煮るといい。
それはさておき、
迷いもイライラも苦しみも
嬉しい楽しい安楽も
自分の心からやってきます。どこか遠い所から来るのでは無い。
ものは思いようで、どのようにもなります。
それをコントロールできるようにするのが、修行の、宗教の役割のひとつ。
ガン、アトピー、認知症は、食養から見れば同じ原因ですが、
これらも、どこか他所からやってくるのではありません。
自分の行為と思惟から発生します。
食事や生きる姿勢や勉強の不足から。
それから、
台風は台湾方面からやってきます。
いい加減にしてよね、もう、知らないからね!
グズグズしてないで、早くちゃんとしなさい
なんて、いつも怒られていると、だんだん言葉が少なくなる。
だって、本当のことを正直に言っても信じてもらえないような気がするし。
また、何か言われるのは嫌だし。
そんな人には話しかけることさえ、とても勇気がいる。
でも、
そんな優しい言葉を知らない人とでも、
おいしいね
と言いながら食事をすれば、スムーズな会話が期待できます。
ナスを薄切りにしてごま油で炒め、しんなりしたら炊いた炒り玄米と繊切りキャベツを加え、醤油で炒りつけて、最後にラー油を少し回します。
鍋にごま油を温め、乱切りのナスとピーマンを入れ、蓋をして鍋を揺すりながら炒めます。
味噌を加えて蒸し焼きにし、焦げる寸前に天地を返して仕上げます。
おいしいね
は、優しい言葉。
と縁者から連絡があり、
仏具屋さんのナイスガイ・トミーにお願いして、お越しになった大日如来。
大日の智慧の光は、すべてのものを照らし、闇を消す。
大日の慈悲の光は、存在するものすべてを育む。
大日の智慧と慈悲の光は永遠。
大日如来とはあなたそのもの。僕もそう。
または、あなたも僕も大日の光の中にいる。
そしてまた、あなたや僕の身体は如来の住居。
さらには、あなたや僕の中に如来の種がある。
いろいろな言いかたができます。
息子が
悟りを開いた後はどうなるの?
もう、目標が無くなるの?
と聞く。
心を観察して、制御するトレーニングを続けていると「解脱」という状態になります。
心が変容した状態
それまで放し飼いの動物のように、煩悩まっしぐらだった心が、
いつでもイライラし、妬みや疑いや不安だった心が、
変わる。
解脱する前と後では、「自分」とか「自分のもの」という執着が消えています。自他の仕切りが無い状態。
誰を見ても、自分の一番大切な人と同等に見ることができる状態。
でも、解脱という状態では、
「もの」への執着は消えていません。
「自分の身体」のうち、「自分」は消えているけれど、「身体」は実体がある、と思っている。
煩悩は止滅しているけれど、一切を仏と見る智慧は得ていない。
で、
その解脱を越えたところにある「悟り」は、苦を滅する智慧があるので、
世界が変わり、あらゆる仕組みが分かる
という状態。
妄想と錯覚の無い世界。
暗闇では何も見えないけれど、ろうそく一本の光があれば、ぱっと明るくなっていろいろなものが見えます。
幽霊やお化けと思っていたものが、明るくなれば、柳の木や縄だと分かる。
同じように、智慧が無ければ真っ暗で何も見えませんが、智慧の明かりがあれば、すべてを正しくありのままに見ることができます。
仏教では根源的な無知のことを無明と言います。明るくないこと。
全ての苦は無明(迷い)が原因です。
この無明からあらゆる煩悩が生じ、
それは四諦八正道によって取り除かれる、
というのがお釈迦さまの教え。
自分とか我がある、という無明によって
それは変化するものであるのに、いつもあるものと見る無明によって
苦が生じますが、
無明は智慧によって消滅する。
そもそも苦というものが存在しているのではなく、智慧が欠如しているだけ。
智慧が無いから、無いものを有ると見たり、貪ったり執着した入りするのです。
おおざっぱに言えば
智慧=苦を滅する方法=空と縁起=比べない、こだわらない、つるまない、諦める。
悟りはenlightenment
とても明るい。
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※穀菜食の舎会員ページ
・「エボラ出血熱を陰陽で考える
附 動物性食品の安全な食べかた」
https:/
・「心の探求」
https:/
ご質問などはメール、電話、FAXの他
※Facebookグループ 穀菜食の舎
https:/
※LINEグループ 穀菜食の舎
でもお答えしております。どうぞ、ご利用ください。時々の情報も載せています。
ナスはごま油で焼いて酢で締める。
息子がシイタケを焼いて食べたいと言うので、 フライパンで焼く。
どれもスダチが合う。
歳をとると心身が固くなるので、酸味が口に合うようになる。
酸味は陽性なタンパクを溶かすから。
それはさておき、
娘から
爪のへこみは何?
とメールが来て
写真を送らせて見る。
爪は皮膚が固くなったものでたんぱく質です。
爪は生え際から先端まで伸びるのに半年程度かかります。
半年間同じような体調なら同じように爪も成長するのできれいだけれど、体調の変化があると、そこに筋やへこみができます。
三か月前なら爪の真ん中あたりに。
最近は陽性の人が多いので、指先がどんづまりで、スプーンを伏せたような陽性な形の爪が多い。
一般的に顔でも手でも爪でも、
肝臓が疲れると縦線が多くなり、腎臓が疲れると横線が多くなる。
パソコンの画面で娘の爪を見て、気がついたら僕は自分の小指の爪を噛んでいた。
たんぱく質についたスダチの酸味はなかなか消えない。
涼しくなったら焼き物を。
キャベツ玉ねぎ人参をグルテン粉でまとめて。
ゴボウをすりおろしてグルテン粉でまとめて。
エリンギと人参は塩茹でして。
それぞれソテーしてちょっと焦がす。
ビールやジュースやスイカやクーラーで冷えたお腹を温めます。
乾燥野菜数種をマリネにしたのが余ったので、カレーに入れて煮込む。
熟れて割れたトマトを冷凍したもので野菜を煮込んだカレー。
乾燥野菜マリネはいつか「そらや便り」に書きます。
カレーのことも少し書きました。
【そらや便り】
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大きく固くなったオクラは味噌漬けに 。
筋があっても漬けて刻めば大丈夫。
ご飯にもお酒にも合うけれど、ペペロンチーノに添えて。
ペペロンチーノはトウガラシのことだけれど、今回は日光トウガラシを刻み、ニンニクと一緒にオリーブオイルで炒めピーマンを加える。塩コショウのみ。
それはさておき、
脂肪だけ落として筋肉量は増やす、つまり格好よく痩せようと思って、工夫しています。
お腹がすくことがあるけれど、仕事をしたり、拝んでいれば食べる暇はないから食べない。
病気の時も貧乏な時も被災した時も食べられなかったから、それと同じと思えばいい。
お腹が空いても、食べるよりもっと良いことがあると思えばお腹が空いても気にならない。
お腹が空いたのを我慢すればもっと大きな喜びがあるのだから。
その我慢する自分が格好いい。
もっとも、それほどのことではなく、痩せたいと思ったからあまり食べなくなっただけ。
目的のために障害となるのもは自然と離れてゆくものです。これが戒律にもなる。
世の中を見回すと、こんなもの食べられるか、というようなものばかりな気もするし。
どうしてあんなものを食べるのだろうか、何か有意義な目的があるのだろうか。
いろいろ考えると、食事ひとつも大変なことであります。
無理をしてでも遠くまで行けばお金がたくさんもらえるなら、多くの人が行く努力工夫をする。
なのに、神さまに会う努力をなぜしないのか。
会いたい、恋しい、と神さまに向かって泣き続けることをなぜしないのか。
とラーマ・クリシュナは言う。
ものは思いようだから、暑くても暑いだけだし、寒くても寒いだけ。おなかが空いてもそれだけのこと。
あとは姿勢を良くし、呼吸を深くし、足をよく使い、筋肉量を増やします。
時々ボウリングやバッティングセンターにも行く。
風が吹いて波が立つように、外からの色や音や刺激で心は動きます。
風鈴が鳴るのは風が動いたのではなく心が動くから。
心に波を立てないようにするのが難しいのなら、内に潜ってしまえばいい。
外へ外へではなく、心の内へ内へと探検する。
そうして心もスマートにしたい。
ぶくぶくと太った心にならないようにしたいものです。
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※穀菜食の舎会員ページ
【皮膚の症状を陰陽で診る】
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これはジュール・ベルヌの小説『地底旅行』をモチーフにしたものだけれど、子どもの頃、ベルヌの作品に夢中になりました。
『十五少年漂流記』、『海底二万哩』、『八十日間世界一周』・・・。
『地底旅行』では、
鉱物学のオットー・リーデンブロック教授が、骨董店で購入した本のなかに ルーン文字で書かれた暗号文のメモを見つけたことから物語が始まります。
で、地球の内部を探検するわけです。ドキドキワクワクしながら読みました。
それはさておき、
高野山加行道場では最後のカリキュラムが護摩修行。
その結願の座で拝んでいる時、下級生たちが廊下でお不動さんの真言を唱えながら応援してくれます。(今はどうなのかな)
修行している僕らをお不動さんとして拝んでくれるんです。
その声を聴きながら泣きそうになって拝みます。そして僕らも心の中で真言を唱え続ける。
人から拝まれるというのがこんなにもありがたく嬉しいものなのか、と感じたものです。
震災後、
世界中の人が息災と復興を祈ってくれました。
それによって、どれほど勇気と希望を持ったことか。
今も続く災害に僕も祈り、拝みます。
知己が病気や不幸になれば、何かお手伝いをしたいと思うけれど、なかなか役に立たない。
だけど、拝むことはできる。
治りますように、幸せになりますように、と。
そのおかげがあるのかどうかはあまり関係ない。取りあえず拝む。
どうぞ、皆さんも拝んでください。安心と希望を得る人が増えますから。
ジュール・ヴェルヌの言葉として流布しているのが、
「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」
拝むことも実現できることです。
広島土砂災害犠牲者の菩提を心よりお祈りし、早期の復興と平安を祈願しております。
合掌。
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【そらや便り】
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【穀菜食の舎会員ページ】
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・皮膚の症状を陰陽で診る
・心の探求
・エボラ出血熱を陰陽で考える。附 動物性食品の安全な食べかた
・結婚・妊娠・出産と不妊症について
・解毒法ガイド その1
・アトピーの料理メニュー 夏の基本編
・豆腐の料理 (1)
・緑内障メニュー 簡易版
・虫刺され・熱中症
他。
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一過性の熱性疾患であり、症状には、発熱、頭痛、筋肉痛、関節痛、はしかの症状に似た特徴的な皮膚発疹を含む 云々。
陽性な症状です。
比較的陰性な生き物である蚊が媒介するから陽性とも考えられます。
形は
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を見ると丸くて陽性。
陽性な形、陽性な症状が出る、ということは、陽性毒が溜まっている人は感染しやすい。
きれいな陰性の人は感染しにくい。
手当ては陰性な飲み物
と考えられます。
ウイルスは遺伝子をタンパク質の殻が覆っている構造。
外側の殻になる、というのは陰性な性質があるから。
また、
たんぱく質は熱や圧力などの陽性な力で変性するので比較的陰性と考えられます。
だから身体が大きくなる。
陰性だから陽性な塩と結びつきやすく、その陽性のために排毒しにくい、という特徴になります。
たんぱく質を構成しているアミノ酸は、塩によってうま味に変化するので、食べ過ぎかつ塩分摂り過ぎになりがち。
だから、たんぱく質はそれを溶かす酸味や野菜と一緒に料理すると、ヘルシーでございます。
人間はたんぱく質を少ししか必要としない生き物ですが、そこに含まれるアミノ酸が旨味になるので食べればうまい。
だから食べます。
で、
まいたけを醤油で炒め、高野豆腐をすりおろして高野とじにする。
ごぼうをすりおろしてグルテン粉で固め、白ごまをまぶして信太焼き。
最近の僕は作るだけで、ほんの少ししか食べないでいたら、すっかり胃が縮んでしまったみたい。
経済的です。
「犬にも仏性はあるか」(『無門関』)
があります。
犬も悟れるのか、犬も仏なのか、犬にも幸せになるための智慧と慈悲があるのか。
実際の犬と、頭の中で思う犬とでは違う。
目の前にいる犬でも、脳のフィルターを通して思った犬は妄想だから仏性は無い。
そもそも、有るかと無いとか、というレベルではまだまだなんでしょうな。
そして猫は?
それはさておき、
好きな人、大切なもの、夢、希望、自信、仏
そういうものがあるなら、それをじっと思惟し見つめます。
眼底に焼き付ける。
毎日それを続ければ、自分の中にそれが染みこみます。
そして、
その大切なもの、人の名前を常に唱えます。
布団の中でも、ウンコをしながらでも、電車に乗っても、
いつも心の中で唱えます。
そうすると、大きく広いそれらの中で、自分がはぐくまれていると如実にわかります。
大きな宇宙と、自分の内なる宇宙がひとつになり、溶け合う。
生と死、極楽と地獄、仏と自分という区別が無くなる。
『三昧戒序』には、
身体と言葉と心の修行により、それが仏と同じになれば、
智慧と慈悲の光明は全宇宙に広まって根本的な闇はたちまち消え、
迷いは悟りになり、毒薬も薬となる。
そこに住することを三昧(秘密の三摩地)という。
とあります。
『瑜伽師地論』には、そこに住するための具体的な方法が書かれています。
修行に適切な場所、適切な床や寝台、服装
坐りかた、歩きかた
が説かれます。
そして、呼吸の工夫ができたら、
精神集中
これによって、ものを考えるということ、貪り、怒り、慢心、疑いの心がどのように起きるのか探求します。
例えば、
なぜ貪るか、その貪りはどこからどのようにして起きたのか、を思惟します。
次に心を一つの対象に住する。
これによって、食や性の欲望を欲しいままにした後にはその欲が去ってしまうように、心の動きを慮ることによって離欲の念が生じます。
離欲と放棄は悟りの条件。
最後に三昧。
精神をひとつに集中し、それを時間や場所に限定せず、平等に維持します。
すると、一切の妄想から離れ、心身が静かな境地に安住します。
そして、常に正しい認識を得、正しく分別できるようになる。
犬も猫もそれができている、かな。
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なるべくエスカレーターより階段を選び、
時間があれば一駅くらいは電車やバスから降りて歩き、
荷物は簡便にせず、おそらく不要なものでもバッグに入れてわざわざ重たくする。
そのようにして、カロリーを消費しています。
朝食はご飯と味噌汁を一膳だけ。
味噌汁は昆布しいたけ出汁、季節の野菜とわかめ、時々豆腐。
それに季節の野菜の漬物少々。
以上のみ。
昼は基本的に食べないけれど、料理教室などでは少し箸をつけます。
夕食は日本酒の晩酌、
肴は油揚げを焼くか、湯豆腐か、
ナスの煮びたしか、その程度。
その後、シャワーを浴びていろいろ準備をして、真言唱えながら就寝。
食事が少ないとウンコはたくさん出ます。
ただし、繊維が多く脂肪が少ない食事でないと、それほど出ない。
また、カルシウムとリンの割合が、食事全体の1:4以下であれば、たくさん出ます。
もうだいぶ涼しくなりましたが、暑い時期は一番暑い時間帯に、外で作業をしてたくさん汗をかきます。
どうせ汗をかくのだから、いちばん暑い時にかくほうが得。涼しくなったら涼んだほうがいい。
汗をかけば体は冷えます。
同じように、
冬は日の出前後が一番冷え込むので、その時間に拝みます。呼吸法や瞑想で身体を温める。
ヨーガでも掃除でもいい。
一番寒いのだから、動いたほうが得。その寒い時間に暖まるのはもったいない。
いちばん暑い時に涼しくしたり、最も寒い時に温かくするのは、とても損です。
一番強い寒さに慣れれば、それより寒くない時は寒くないし、最も暑いときに活動すれば、それより暑くない時には暑くないから得です。
さらに、
最もお腹が空いている時に食べなければ、お腹が空くことに慣れます。
それに慣れれば、お腹が空いても気にならない。
お腹がすいている時に食べるのはもったいない。たくさん食べてしまうから。
もちろん、不調時や特別な時にこんなことはしないけれど、健康な時にこうしていれば、いざと言う時に役立ちます。苦悩が減る。
食べた、飲みたい、怒りたい、もっと、もっと、何かをしたい、なんていう欲望は、
シャワーで冷水を浴びれば流れ去ります。
煩悩は酸性の排毒だから、アルカリにすれば無くなる。
冷水を浴びると体が急速にアルカリ化します。
煩悩なんて水で流れる程度のもの。
なのに、それから離れられないことが人間にはありますね。
横浜都筑区のクリハラさん宅には、毎月伺って、精進料理を家族分作り、その後、望診法のお勉強会をしています。出張料理&家庭教師みたいな形式。
昨日はコロッケ。
「インカのめざめ」という、とてもおいしいジャガイモを蒸して、玉ねぎ、セイタンと混ぜて揚げる。
ナスも蒸して、ニンニク生姜醤油にキュウリ、赤ピーマンと共に漬け込む
トマトを煮込んで、キノコや高野豆腐や余りの野菜を入れてスープ。
揚げものが多くても、油消しの野菜がたっぷり使ってあります。
せっかくの油を野菜で溶かすのだけれど、油を損したとは言わない。
今僕は、両親宅に居候状態なので、護摩堂も料理教室ができる厨房も無い。
年内には何とかしたいものです。
どこにどんなものを作ろうかしら、
と損得勘定しています。
僕はカツオ出汁や砂糖の甘さが苦手なので、外でのお蕎麦は醤油で手繰るか、何もつけずにそのままの蕎麦を味わいます。
ところで、
蕎麦には薬味でワサビが、うどんには生姜が添えられます。
どちらも強い陰性で、消化を助け(陰性はものを柔らかくする)、味を膨らませ、消化吸収が早くなります。殺菌力もある。
外用でも、
生姜シップは血行を促し、痛みや凝りなどの陽性症状に効果的。
ワサビも同じ効果がありますが、皮膚が焼けるほど強い。ですから、生姜よりワサビのほうが陰性。
カリウムは生姜よりワサビのほうが倍近く含まれているから、生姜より陰性。
この強い陰性は、マグロなどの脂肪をよく溶かします。
蕎麦はナトリウムが多く、うどんよりかなり陽性な食品なので、より陰性なワサビが合う。
魚を多く食べる地域には、魚のたんぱく質や脂肪を溶かすミカンや大根がとれるので、一緒に食べる。
イワナなどの陽性な川魚が獲れるところには、陰性な山菜も採れるから、一緒のお善に出すとバランスが取れる。
同じように、蕎麦が採れる涼しいところでワサビが採れます。
そういうこともある。
勿論、
お蕎麦を生姜で、うどんをワサビで食べようと、何も問題は無い。