かゆいの?
これ、塗れば。ステロイドだから効くよ。
と母が言う。
まあ、効きますよね。
数日前に高校生のお母さんから、もうちょっと前に乳児のお母さんから、アトピーの相談があって、ステロイドのお話をしていたこともあり、いろいろ雑感があります。
外用のステロイドについてです。
タンパク質を処理する腎臓の機能が低下したり、摂取するタンパク質の量が多すぎて処理能力を越えた場合、
おしっこで排泄できないタンパク質が皮膚から排毒されるのが、アトピーなどの皮膚症状
というのが食養の考えかたです。
で、
その症状が赤く乾いて陽性なら、陰性の手当てと陰性な食事をし、
冷たく湿っていれば、陽性な手当てと食事をする
というのが食養手当て法。
そこに薬を使うかどうかは、あまり関係ない。
薬は比較的陰性なので、もしその影響が出るなら陽性な手当てと食事にすれば良いだけです。
ただし、塩の陽性では排毒できないでしょう。
皮膚の外用薬ではステロイドがポピュラーですが、それがどういうものかを知れば、使う時に役に立ちます。
でも、玄米がどういうものかを知らないで食べ過ぎ、その結果、陽性過多で酸性体質になるような人も多いですし、
テレビや噂話での食べ物の効果を信じるだけの風潮が多い世の中ですから、
ステロイドとは何か、を知る人も少ないのでしょうね。
さて、
外用薬は内服薬に比べて効果が限定的ですから、ステロイドを外用するより、おかしなものを食べているほうがトラブルの原因につながると考えています。
基本的には量の問題。
量が多ければ危険な可能性があり、少なければ問題ない。
これはあらゆることに当てはまります。
また、薬はその薬効以外に、
精神的安心感や、本人家族の負担軽減効果が大きい。
食事療法は、
それをだれかが作らなければならないですし、その料理のスキルが無ければできませんから、
誰でもいつでもどこでも
というわけにはいかない。
でも、薬なら、お医者さんの処方に従えばいつでもどこでも使えます。
また、お医者さんの薬なら保険がきくので安価ですが、
食事療法はそれを習得するのにずいぶんとお金と時間がかかります。
ですから、食べ物で治すのと、薬で治すのは、どちらが良いかという比較はできない。
違うレベルの話で、状況によって選択するのがいいでしょう。
外用薬のステロイドは抗炎症作用と免疫抑制作用がありますが、それは陰性な効果と言えます。
陰性なので、皮膚を柔らかくし、熱や痛みの陽性症状を抑え、毛細血管を拡張させる、
ですから、同じように陰性な食材を利用できれば、ステロイドと同じ効果が期待できます。
ステロイドは僕らの体内、副腎皮質で作られています。
このホルモンは多くの炎症反応を抑制し、体の免疫バランスを保つように働いてくれます。
そのステロイドを人工的に作ったのがステロイド薬ですが、
身体の中で作られてものと、薬のステロイドの何が違うかを答えられる人は少ないでしょう。
自然界からの放射線と原発由来の放射線も同じ元素なのに、何が違うかを説明できる人はほとんどいなくて、
違うに決まっている、違うからよろしくないものだ
と、妄想しているだけのように感じます。
低線量被ばくも同じ、量の問題。
人口か自然か、は問題ではなく、量の問題です。
体内では、身体が適切な量を分泌していますから。
そうでないものは、量を自分で考えればいい。
お経の百科事典である『大正新脩大蔵経』に収められているのは3,053部(11,970巻)
その中で、最もポピュラーなお経が般若心経でしょう。
葬儀や法事で、護摩祈願やご祈祷で、巡礼やお遍路の際にも、日常のお勤めでも、お唱えします。
このお経は三百文字に満たない短いもので、
大乗仏教の中心的思想のひとつ、「空」を説いた大般若経の精要を略出したもの
とされていますが、
密教では、
大般若菩薩の悟りの境地を表した真言を説いたもの
としています。
その真言が、経文の最後にある
掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶
(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)
お大師さんは、『般若心経秘鍵』のなかで、
真言は不思議なり 観誦すれば無明を除く
一字に千理を含み 即身に法如を証す
行行として円寂に至り 去去として原初に入る
三界は客舎のごとし 一心はこれ本居なり
(真言の意味を観想し、真言を唱えれば、迷いの闇が取り除かれる
真言の一文字に仏の真理が含まれ、それを知ればこの身このままで悟りを体現できる
全てのものは行き行きて死に至り、あらゆるものは去り去って墓場に入る
人の世は旅に宿る借りの姿、心こそ真のよりどころ)
と言っています。
また、
真理を悟るものは誰でもない自分自身である。
迷いも悟りもひとごとではない、自分自身の問題である。
世界は自分の心のありかたによって、たちまちにその姿を改めるものである。
酔っ払いが飲んでいない人を笑い、目覚めている人を眠っている人があざけるのは、何とも哀れで気の毒な事である。
名医はあらゆるものを薬として用いる。名工は宝石を見出す目を備える。薬が薬と知れず、宝石が宝石と知られないのは、それを見出す力を持っていないほうに罪がある。
教えの真の意味をくみ取るのは、人の教養学問人格である、言葉の表面の意味だけではない。
と、般若心経の内容を解説しています。
お経はその題に、その内容が凝縮されています。
般若心経のタイトルは
仏説摩訶般若波羅蜜多心経
(ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう)
お経はインドから中国に伝来して漢訳されますが、その時の訳者によって少しづつ違いがあり、仏説がつかないものもあります。
般若心経は、玄奘三蔵、法月三蔵の訳が著名ですが、お大師さんが釈したのは羅汁三蔵の訳とされています。
そのタイトルですが、
仏説 仏が説いた
摩訶 偉大な
般若 智慧(こだわらない、とらわれない、比べない、あきらめる)
波羅蜜多 しあわせの岸に渡る
心経 心の縦糸
という意味になります。
般若心経の冒頭は
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一苦厄
(観自在菩薩が、般若の智慧の完成に至る瞑想をしている時、あらゆるもの(五蘊)は空であると見通した。 すると身も心も空なのだと分かり、一切の苦しみが消えた)
五蘊(ごうん)とは、色受想行識(しきじゅそうぎょうしき)
・色蘊:姿形、「あなた」がいる。
・受蘊:感覚、「あなた」を見る。
・想蘊:知識、「あなた」を好きになる。
・行蘊:意志、「あなた」に近づきたいと思う。
・識蘊:認識、「あなた」が、○○な人だと知る。
ということ。
つまり、身体と四つの心の働き
それらは何の気なしに変化する、実に不安定なものです。だから執着しないほうが楽。
そして最後に
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
(これは大いなる智慧の真言、無常なる真言、並ぶべきもののない真言であり、一切の苦しみを除く空しからざる言葉)
ということです。
般若心経は「空」を説いている、とされるその空とは、
何を見る時でも、その本質を見る、ということはなく、先入観や色メガネで見ています。
純粋にそれを観る、ただ見る、ということはしないものです。
そして、勝手な思い、例えば、見たものを「かわいい」「汚い」「好き」「嫌い」だと思考します。
それは普遍的真実ではなく、自分の妄想です。
その妄想は苦しみ・迷いの根源となります。
何かを見ているその何かは
他のものを原因としてある条件のもとで結果として存在しているので、
固定しておらず、移ろいゆくものです。
幻のようなもの。
それ自体の固有なものはない。それを空と言います。
恒常不変な「私」は無く、五蘊が仮に合わさったもので、実体はない。
ということ。
そういうものに執着するのは意味がない、実体が無いのだから。
幽霊に恋をしているようなものです。
ですから、
諦めて、とらわれないで、魂を解放しましょう
というのが空の考えかたです。
________________________________
【修行してみる】
般若心経を唱える時は
仏壇やお寺の本尊の前で、身支度を整え、姿勢を正し、呼吸を調え、心静かに唱えます。
そのように、心を集中してひとりで唱えることは大切ですが、
それとともに、いつでもどこでも世界中宇宙中に広がるように唱えることも意味があります。
仏に、誰かに、誰にでも届くように、この真言の功徳が行きわたるように唱えます。
お風呂に入りながら、歩きながら、トイレでも布団の中でも、ただ唱えます。
何も考える必要はなく、何か考えてもよろしい。ただ唱えます。
唱えた経文や真言に自分が包まれるように。
世界中がそれにつつまれるように。
そして、
世話になったひとりひとりを心に浮かべ、その人たちが悟りを開くように、幸せになるように唱えます。
特別な時と、特別ではない時、両方唱えます。
体脂肪を落として筋肉量を上げる
という料理教室をしている間、
息子は京都駅から鴨川へ出て、下賀茂神社まで往復歩いてきたらしい。
昨年、歩き遍路をしてから、ウォーイングハイになっているみたい。
ふたりで羽曳野の叔母宅に泊まり、翌朝早く高野山へ。
南海電車 極楽橋で降り、不動坂を上る。
新緑とヤマザクラが美しい。
大木に感動しながら1時間ほど山を登ると女人堂。
師僧寺に荷物を預けて奥の院へ。 極楽橋からゆっくり歩いて2時間くらい。
奥の院参道の木々はいつも美しい。
奥の院で五体投地の礼拝をして、息子はお遍路のお礼参り。
もと来た道を戻り大伽藍へ。
諸堂へ向かう蛇腹道の新緑も美しい
伽藍の金堂は、この開創法会期間中、本尊の阿閦如来がご開帳されています。
高村光雲作の大きな坐像、行者の本尊。
参拝客が大勢いらしてゆっくり拝むことはできませんが、美しく大きな仏さまです。
記念の年で山内は賑やか。これからはシャクナゲが満開になるでしょう。
http://www.koyasan.or.jp/k1200/
みなさまも、どうぞお参りください。
帰りの新幹線から夕暮れの富士山
________________________________
※眞天庵仏教塾・密教塾「般若心経」
http://
※穀菜食の舎会員ページ
「食養料理メニュー」
・腎臓・膀胱
・肝臓
・胃
・腸
・肺
・心臓
・脳と神経
・婦人科系
・緑内障
・白内障
・ほくろ
https:/
郡山市民文化センターで高野山1200年至宝展「ふれる空海」を観る。
あまり期待していなかったのだけれど、コンパクトにまとまって見やすい企画展でした。
何より、こうしてお大師さんの思想が広まるのは嬉しい。
ホテルにチェックインして、バスで天麩羅「奈良木」へ。
僕が心安く外食できるのは日本でここだけ。
ごま油はお客さんごとに濾して取り換え、
油消しで(おいしく食べられるように)大根おろし、なます、ぬか漬け、丁寧な出汁を添えてくれる。
油には辛味、たんぱく質には酸味ですが、これはひとつの出汁や薬味や付け合せでは足りない。
揚げ物という陽性、肉魚という陽性、玄米という陽性には、それぞれ倍以上の陰性が必要です。
そうでないと滋養も味もバランスが取れない。
ご飯もうまい。
お酒は南郷、会津娘、風の森、田酒 、龍の如く、久保田、獺祭、
飛露喜もある。
翌日、田村市の飛龍寺で弘法大師例大祭に出仕。
福島の空は広い、山は大きい、土地は清々しい
あの日以来、いろいろと問題はあるけれど、僕は福島が好き。
それはさておき、
お釈迦さまは、シャカ族の王子として裕福な生活をしていましたが、29歳で出家し、35歳で成道、悟りを開かれました。その内容は四諦八正道
http://
お釈迦さまは幼くて母親を亡くし、感受性の鋭い子だったよう仏伝には書かれています。
ある日、
城の東門から出かけ、ヨボヨボの老人に会います。
別の日、
南門から出かけ、道端に倒れてる病人を見ます。
西門から出かけた時には、葬送の列で遺体を見ます。
「老」、「病」、「死」
という人生の重大事実は避けられないのに、それを見て見ぬふりをして無自覚に生きている人のなんと多いことか。
人生は思い通りにならない、苦ばかりではないか。
そして、
北門を出た時、出家修行者に出会い、その落ち着いた清らかな姿に感動し、修行生活に入ります。
これが「四門出遊」、後世に生まれた説話です。
お大師さんは、讃岐国の郡司という地方豪族の子として生まれ、
当時としては恵まれた環境で、15歳で都へ出て、18歳の時に大学へ入ります。
当時の大学は儒教を中心とした講義で官吏養成のための学校。
真理を追究する、というものではない。
しかも、政界は帝の位をめぐる紛争が絶えず、陰惨な政策が横行。まあ、今と変わりませんが。
そこで勉強を続けていれば、将来は高級官僚、家族親族もそれを勧めますが、
19歳を過ぎた頃から山林での修行に入ります。
そして、24歳で儒教・道教・仏教の比較思想論であり、出家宣言書である『聾瞽指帰』(ろうごうしいき)を著します。
儒教は世俗の名声を期待し、道教は神仙を願い、仏教は悟りと救済を実現するものである、と。
そして、修行、入唐、帰国して、真言密教の第八祖となります。
自分の将来、好きなこと・やりたいこと、目指すもの、そういうものが見つからないことは普通です。
お釈迦さまやお大師さんに比べて、自分は何にも考えていない、などと思うかもしれない。
そして、自分の可能性はわからない。まあ、40歳50歳になってもわからないことは多いです。
でも、これは、と感じるものがあれば、一途に進んでみる。そうすれば道ができるかもしれません。
それぞれの立場で挑戦すれば、人生が愉快になるでしょう。
その先には、
師との出会い、生きがいの発見、自分が自分である意味、生まれてきた意味、そういうことがわかります 。
上記「ふれる空海」展に、『聾瞽指帰』(複製)が展示されており、お大師さんの美しく力強い文字を見ることができます。
『聾瞽指帰』と後に補訂改題した『三教指帰』に書かれているお大師さんのことば、いくつか引きます。
真理への道は何も特別なことではない。ようするに心がそのすべてを決めるのである。
錆びた刀は磨けば切れるようになる、重い車も油をさせば軽く走るようになる。
珠は磨かなければ光らないように、
人も勉め励むことが無ければ才能を発揮できない。
学ばずして生まれながらに知り、教えに従わずして自ら悟るものなど、未だにいない。
なぜ、自分の欠点を正そうとせずに、無責任に他人の欠点をあばこうとするのか。
取るに足らぬ楽しみを無上の喜びのように思い、何でもない心配事に打ちひしがれている。
道の大元を失わなければ、目前の些細なことにこだわる必要はない。
心のありかたが善であれば、幸いを得て、平和になる。その心のありかたが難しいだけである。
内容を立派にせず、表面だけを飾っても意味のないことである。
特別なスープとシチューの作りかたをお教えしています。
これ、
あったかいんです。
それはさておき、
東海林さだおが
心身健康お天気快晴の日はトンカツに限る
と書いていますが、
そういう時、トンカツにはライス、のイメージ。
雨の日は、心がカツ丼に向くらしい。
以前、
煩悩に勝つ、ドン!
と言いながら食べている人を見たことがある。
その昔、通っていた学校近くに「すずや」というトンカツ屋があり、そこのメニューにトンカツ茶漬けがありました。
先輩(美人)とご一緒したら、
これ、どうやって食べたらいいの?
丼に口をつけて箸でわさわさかきこむ、
なんていう食べかたはしない、考えたことも無い。
その女性は、トンカツにパン、のイメージ。
文科省の食品成分データベースで見ると
http://
可食部100gあたりのカロリーは
玄米ご飯と白米ご飯ではほぼ同じ
食パンはご飯の約1,6倍
まあ、そうですよね。砂糖とか油とか含まれているし。
ですから、
トンカツとパンはある意味強力。
トンカツの付け合せはキャベツがよろしい。
ビタミンUが多く、これは潰瘍ビタミンで消化を助ける胃の薬。
何より、トンカツの陽性をキャベツの陰性で溶かす。だから、大量に食べたほうがいい。
そしてレモン
これは油を溶かす。
玉ねぎもいい。スープ、味噌汁でいい。味噌は大豆の陰性があるので、肉の陽性を溶かします。
カツ丼の玉ねぎはいい、巷のは量が足りないけれど。
これはコレステロールの吸収を妨げる。
トマトもいい。肉のたんぱく質を分解してくれる。
そしてキノコと青菜のお汁。
これだけ揃えれば陰陽バランスも良いし、見た目も美しい。
揚げ物1で陰性5
陰陽はナトリウムとカリウムの比較で判断することが多いのですが、マグネシウムとカルシウムの比較でも判断できます。
マグネシウムは比較的陽性、カルシウムは陰性。
マグネシウは身体に必要な元素ですが、多すぎると酸アルカリの平衡がくずれ、血清カルシウムイオンが減少して酸性体質になります。
最近の玄米は白米よりカリウムもマグネシウムもかなり多い。
酸性食品とアルカリ食品の違いは、カルシウムとリンの比率でみますが、玄米は白米よりリンが多いのでかなり酸性食品。
そして、
野菜のアクにマグネシウムが多い。
食品100g当たりのマグネシウムの含有量を見てみると、
単位:mg
http://
マグネシムが多い野菜は、
とうがらし、切干大根、かんぴょう、えだまめ、しその実、しそ、バジル、つるむらさき、オクラ、モロヘイヤ、パセリ、ごぼう、ほうれん草、そら豆、とうもろこし・・・。
穀物では、
アマランサス、オートミール、コーンミール、玄米、スパゲティ、ライ麦パン、パン粉・・・。
その他では、
きな粉、だいず、油揚げ、凍り豆腐、納豆 、がんもどき
あおのり、わかめ、ひじき、こんぶ、とろろこんぶ、焼きのり・・・・。
そういうものと玄米ごはんを一緒に食べていると、身体が不調になる可能性が高い。
高圧の玄米ごはんは極陽性なので、陽性なおかずと一緒なら心身が陽性過多になるので、アク抜きして陰性にした調理がいい。
玄米には利点もあるので、それを有効にするには、
玄米を炒って多めの水で柔らかく炊けば、陰性になるので陽性毒が溜まることがなく、
繊維が焦げているので、陰性毒をよく排泄します。
白米は消化に手間がかかり、胃の粘膜にくっついて長く胃に滞留します。ですので、ぜん動を止めるもの 。
砂糖と豚肉も同じで、胃が止まる。
だから、消化に悪い。
さらに、白米はよほど良く噛んで唾液と一緒にならないと中性脂肪になります。
それを防ぐのが
梅干しのクエン酸
味噌汁
漬物
これらの陽性でアルカリが、白米の陰性と酸性を消します。
陰性が大きいほうがバランスがとれるから、ご飯5で、その他1でよろしい。
この組み合わせを作った昔の人は素晴らしい。
ご飯とみそ汁と梅干と漬物ならバランスが取れるけれど、ご飯とトンカツだけではいけない。
トンカツに限らず、精進でも揚げ物の時は、
ごはん(白いごはんより麦飯や炒り玄米入りご飯のほうが良いけれど)
ネギ類と若布の味噌汁、昆布シイタケ出汁
繊切りキャベツ、トマト(または夏野菜)、レモン(またはかんきつ類か酢の物)
という組み合わせだな。
いかにも悪人、というイメージがある目ですね。
三白眼は上がる陰性です。眼球が陰性になって上がっている。
これは油、添加物などの陰性が考えられ、
陰陽望診法では、目の症状は肝臓と関係があると観ます。
肝臓が疲れると、怒りっぽくなり耐える力が無くなる。
ドラマの犯罪者はそうなのでしょうね。
こういう時は、重たい陽性で対応します。
外斜視は横に広がる陰性。
ドラマや映画では、ちょっとネクラなオタクで、爆弾なんか作っちゃうのがこの眼。
これはたんぱく質や砂糖、アルコールなどの陰性。
それらは腎臓の負担になりますが、腎臓が疲れると 確信や勇気が無くなり、恐怖心が強くなる。
だから、爆弾なんか作っちゃうのでしょうね。
この目は締める陽性で改善します。
かように、同じ陰性でも上と外では違いがあります。
______________________________
※穀菜食の舎会員ページ
「玄米菜食が引き起こすトラブル」
http://
「砂糖の排毒方法」
http://
菩提、成道、涅槃と同義で、人格の完成と言う人も多い。
その境地を般若心経では「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」とあります。
具体的には、
真理(法)に目覚めること、迷いからの解脱
縁起の法則を体得すること
ですが、この悟りの主体は智慧です。
智慧はまず、縁起の法則を知ること。
好き嫌い、良い悪いなどの分別の心が苦しみをもたらします。
それは、思い通りにならない、ことです。
好きなことができなくて、嫌いなことがふりかかる
良いことが現れなくて、悪いことが起きる
そこで、
四つの諦めること(四諦)が智慧であると、仏教では考えます。
病、老い、死などの、思い通りにならない苦しみには原因があり、その原因を取り除けば苦しみから解放され、その方法は、正しい生活や心の制御である、
ということ。
「自分の思い通りにならない」という苦しみは執着からも引き起こされます。
ですから、修行によってそれを諦めればいい。
比べない
とらわれない
こだわらない
どうでもいいか、
まあ、いいか
というのが悟りの入り口。
そうすると、
苦しいけれど苦しいだけこと
と思えるようになります。
練習して勉強すれば好ましい結果があるけれど、
それをしなければ、それまでのこと。
あきらめるという「諦観」は、
「あきらかに見る」
ということです。
因果の道理をあきらかにみる
悪い状態になった時、
自分がこんな結果を受けたのは、一体どこに原因があったのか。
それを明らかに観ます。心を観察する。
そして、懺悔反省、より良い誓願を持てばいい。
密教では悟りを、
実の如く自分の心を知ること
としています。
悟りは自分の心にのみ求める。よそには無い。
よくよく自分の心を観察していれば、発心した時に悟りが訪れます。
そして、
心と虚空と悟りは同じ、という立場です。
『大日経』には
虚空は過もなく徳もない。
心も、一切の過を離れて万徳を成就している。
虚空は畢竟浄である
無辺際である
無分別である
虚空は種々の顕形色の相を離れて、造作することもないが、よく万象を含容し、一切の草木有情
はこれによって成長し活動することができる。悟りである心もまた同様
これにはまず、自分の中に悟りがある、という前提を信じることが必要です。
衆生が仏になるのではなく、僕らは元々仏であるのに、それを忘れている、ということを信じる
のが菩提心であり、悟りそのものです。
宝の蔵の中には宝物がある
鉱石の中にはダイヤの原石が含まれているから、製錬して磨けば宝石となる
ということを信じることが悟りの入り口。
その信じる心=悟り
を表現したものが地・水・火・風・空の五大です。
大地の如く、
心は大慈悲の種子が出生するところであり、あらゆる事業のよりどころ
迷いでも悟りでも、その心は平等であり、世間に動揺せられない。
火が薪を焼くように、
悟りの心は一切の迷いと煩悩の薪を焼き尽す
火が平等に闇夜を照らすように、悟りの心も誰にでも平等にあり、
迷いの闇を除いて、進むべき道を見せしめる。
風が塵を吹き払い、熱気を取り去るように、
悟りの風も、一切の障り煩悩の塵を除去し、清浄の世界を表す。
水の如く、
悟りの心も、世間に流れ、瞑想修行を助け、心静かな果実を成じ、人々を利益する
そこは広々として風通しが良く、起き上っても寝ころんでも、さわやかな風が吹いているだけ。
嬉しくも楽しくもない、苦しくも悲しくもない。
そもそも感情など越え、ただ静かである。
感情を超越しているから、
迷いも悩みも無い。
他を苦しめることもない。
_____________________________
【修行してみる】
1、口をそそぎ手を洗い、服装を正す。
2、姿勢正しく坐る
3、線香を一本立て、般若心経一巻唱える。
4、ただ、呼吸する。
5、呼吸が調ったら、昨日のこと、今日のこと、失敗したこと、などを思いだし、それがどこから来たのか、よくよく観察する。
6、言い訳やごまかしを取り除き、受け入れる。
7、反省すべきところは反省し、懺悔するべきことは懺悔し、これから誰に何を言い、自分はどう行動するべきか考える。
8、合掌礼拝
9、座を立ち、7、を生活の中で実行する。
持ち歩いて宿での夕飯にしています。
上等な漬物になる。
先週、写経の後にお出ししたのは
白米、炒り玄米、ゴボウを炊き込んで、別に炊いた人参とお揚げで混ぜたごはん。
タケノコ、昆布、ブロッコリーの白和え
こんにゃく、高野豆腐、かんぴょう、人参、シイタケのお煮しめ
キャベツ、フノリのおすまし
みんな一緒に同じ野球の練習をすれば、だれでもイチローのようになれるわけではないのと同じように、
学校などで同じように勉強をすれば、全員成績が良くなる、ということも無い。
みんな違うのだから当たり前ですが、料理だけは、練習すれば誰でも上手になる、
と僕は思っています。
誰でも、食べないと生きてゆけないからかもしれない。
一つの食材があれば、
子ども、老人、お父さん、お母さん
病人、健康人
元気のある人無い人
それぞれ食べる人のことを考えて作れば上手になります。
その時、
これは良い、これはダメ
と考えないほうがいい。
ふたつに分けると困ることが多い。
世の中、そのどちらでも無いことのほうが多いのだから。
もし、身体に好ましくないものがあったとしても、その5倍の良いものがあれば悪いことは消えます。
_________________________________
※眞天庵仏教塾・密教塾
「悟りの周辺Ⅰ」
http://shintenan.syoyu.net/%E7%9C%9E%E5%A4%A9%E5%BA%B5%E4%BB%8F%E6%95%99%E5%A1%BE%E3%83%BB%E5%AF%86%E6%95%99%E5%A1%BE/10-1%E3%80%81%E6%82%9F%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%91%A8%E8%BE%BA%E2%85%A0
食養手当法と望診法を基礎から勉強したい、というかた向けに講座を始めます。
10時から 食養料理教室
13時から 望診法講義
...
病気・ケガ・心の制御など、実生活や治療に役立つ、他には無い本格的な講義です。
ご自身ご家族縁者の心身を調えるテクニックを伝授します。
どうぞ、ご参加ください。
第一回 5月20日
第二回 6月10日(水)梅雨時の料理・望診法(人相編)
第三回 7月 8日(水)
以降、毎月あります。
場所:大阪府吹田市PINO
http://salon-pino.com/
申し込み先:PINO 電話:090-7485-1450
参加費:8500円(午前または午後のみは 5000円)
テキスト:望診法「宇宙を診る」1500円
みなさまの平安をお祈りいたしましたのでご安心ください。
お願い事を書いて焼く「添え護摩」という木が約200本
小さく狭いお堂なので、ハラハラするほどの火勢になりましたが、参拝されたみなさまも心から拝んでくれました。
お堂の裏にはお不動さんが大勢おわします。
ところで、
真言密教の作法には大きく分けて、護摩と念誦のふたつがあります。
護摩は心中にある智慧の火で迷い煩悩を焼き、
念誦は真言の加持力で身中の仏性を開眼します。
僕は時間があれば念誦します。
お風呂が好きなので、銭湯や温泉によく行きますが、
湯船で、サウナで、真言を唱えます。
周りに人がいれば、健康でしあわせになりますように、
と勝手に拝みます。
バスの待ち時間でも、車内でも、相手かまわず、こちらの都合で拝む。
勝手に望診して具合が悪そうな人を見れば、これも勝手にお加持します。
僕には何も力がないから、
そうして天下泰平万民豊楽になれば良いなあ、と。
______________________________
※「食養精進料理・望診法講座のお知らせ」
http://shintenan.syoyu.net/%E7%B1%B3%E3%81%9E%E3%81%86%E3%81%AE%E5%AE%B6/%E9%A3%9F%E9%A4%8A%E6%89%8B%E5%BD%93%E6%B3%95%E3%83%BB%E6%9C%9B%E8%A8%BA%E6%B3%95%E8%AC%9B%E5%BA%A7
大阪箕面のHさん宅で、毎月精進料理と望診法の勉強会を開いています。
先日は、
雑穀とフノリのごはん
けんちん汁
野菜のグルテンバーグ
鉄火味噌
フルーツ盛り込み
トースト
さて、
自信があれば、
不安迷いが無くなり、いざという時も安心
何でも他人に任せることができる
困難に打ち克ち、いつも堂々としていられる
失敗を恐れる必要がなく、何でも受け入れられ、許せる、諦められる。
対して、自信が無ければ、
心配事や不安が大きく、
人とつるむようになり、うわさにまみれ事実が見えない
つるむと恥を知らなくなる
不安があるから他人を攻撃する、文句や不平不満を言う。
自信は、
肝臓と腎臓を丈夫にすれば身につきます。
また、どんなことでも、繰り返し練習することで身につきます。
勉強して実践する。
実践だけで勉強による理論的裏付けがないと、自分の体験のみを真実と錯覚し、妄想を妄想と気がつかないので危険。
勉強だけだと、頭でっかちになって、できないことをできると錯覚するので危険。
だから、勉強と実践は両輪の如く必要。
それでも自身が持てない時は
神仏におまかせすればいい。
仏さまにおかませすれば安心。
それには、心に混じり気が無くなるよう祈ればいい。
______________________________
※「食養精進料理・望診法講座のお知らせ」
http://shintenan.syoyu.net/%E7%B1%B3%E3%81%9E%E3%81%86%E3%81%AE%E5%AE%B6/%E9%A3%9F%E9%A4%8A%E6%89%8B%E5%BD%93%E6%B3%95%E3%83%BB%E6%9C%9B%E8%A8%BA%E6%B3%95%E8%AC%9B%E5%BA%A7
薄着になって発汗して、これからの季節、陽性毒がよく排泄されます。
四大不調の原因はほとんどが陽性毒です。
7月までに1回だけ、1食だけ、
青い葉っぱの野菜だけでお腹いっぱいすると、ずいぶんと排毒します。
どんな食べかたでもいい。
但し、ご飯も麺類もパンも無しで、葉っぱだけお腹いっぱい食べる。
もっときれいになるのは、
ヨモギを摘んで、煎じて飲んで、残ったヨモギはテンプラやお好み焼きにして食べるといい。
ヨモギひとつかみがひとり分。
濃いグリーンになるまで煮出して、おちょこ一杯飲みます。
夏の渇きには野菜がいい。
水分より野菜のカリウムのほうが血が薄くなり、身体を冷まします。
陰性が足りないと、血が濃すぎて血行が悪くなり、夏バテ熱中症夏風邪などを引き起こします。
陰陽はその考えかたに慣れれば至極簡単なのですが、
相対的に考える、見る
ということです。
左だから陰性
目が小さいから陽性
ではない。
何と比べるで変わるから、臨機応変に考えます。
いつ、どこで、何を見るか、
何を知りたいのか
を決めればいい。
例えば、
鼻水が出る(陰性かな?)
夜に多い(やっぱり陽性かな?)
お腹に湿疹がある (いやいや陰性かな?)
肌がカサカサしている(おやおや、陽性かな?)
色白でおとなしい(こりゃまた陰性かな?)
などと考えていてはキリが無い。
相対的に見ていないと分からなくなる。
もしここで、
鼻水を止めたいなら、その鼻水の色状態を見るだけでいい。
それで陰陽を判断して、陰性なら陽性の飲み物を飲めばいい、
それだけのこと。
また、
冷え症は陰性だ、
と思ったら、なぜ陰性なのかを考えなければ、陰性という証拠が見つからない。
事実、冷え症は陽性の場合がほとんどで、陽性だから考えかたも柔軟性が無いから分からなくなる。
頭の良い人は、あれもこれもと色々と考えてしまうのでしょうね。
何が考えかたの中心なのか。
どれが最も必要なことなのか。
を多くの中から選び出すことで、問題は解決します。
______________________________
※「食養精進料理・望診法講座のお知らせ」
http://
「迷い多きに悟り多し」
であり、その迷いの原因は煩悩、と仏教では考えますが、
密教では、
煩悩が持つ大きなエネルギーを、衆生を助けるエネルギーに転換すること。
つまり、煩悩を肯定します。
本来悟っている、元々仏である僕らの心に、塵のようにまとわりついているものが煩悩ですが、
それを否定するのではなく(現実にそれは難しい)
煩悩とは何か、と煩悩の内容をよく知ることによって、解決しようとします。
密教の修行カリキュラムはそれに沿っています。
煩悩は、ひどく喉が渇いた時に水を欲しがるような「渇愛」とも表現しますが、
例えば、
ひとりの人を愛するとともに、その周りの人も、みんなを愛してしまう。
強い怒りがあっても、それを自分だけの怒りではなく、世界中から争いを無くそう、というような怒りに変える、広げてゆく
ということ。
それによって、自分の悟りと他を救うことが同時に可能になります。
密教の常用経典である『理趣経』には、四つの煩悩が書かれています。
1、煩悩障(貪り、怒り、無知) 生きていることに伴う障害。 知るべきことを知りえぬ障り
2、所知障(迷い、悩み、不安) 文化的活動に伴う障害。 心身をかき乱して悟りの邪魔になるもの。
3、法障(分別・区別・差別) 小賢しい智慧。正しい法を聞けない障り
4、業障 行為によって出てきた妨げ。 過去に自分が行った行為による妨げ。
これらも、
自心は本来清らかである、と体得する修行により(具体的には五相成身観という密教瞑想法)
四つの煩悩は清められ、それらの煩悩によって重罪を作ることになっても、それを消すことができる
とあります。
あらゆるものが平等であるということに徹し、あらゆるものにとらわれない自在を得れば、悟りに達する、ということです。
不動明王など忿怒のお姿は 、悪い方ばかり向いてしまうものに対しての怒りですが、
それはとりもなおさず自分自身の内面的な敵と戦う ことです。
煩悩に対して怒る。
良い悪い好き嫌いなどと、自分の妄想で分別していることに対しての怒り
怒りの対象は自分自身です。
世間一般では、
欲望はほどほどに強いましょう。怒ると健康に悪いよ。
顕教では、
怒らないように、愚かさを無くす。
密教では
欲をもっと大きなものにする
我の無い、世の中のための怒り
と、松長先生は『理趣経』(中公文庫)の中で書かれています。
また、
『理趣経』第十段では、
如来は道を外れたすべての者を調えるために、怒りの智慧を説く。
怒りの姿は、慈愛のすがたであり、相手が調えば、その怒りは愛と変わり、相手も怒りと共に仏になる。
顔を和らげ、心を喜ばし、微笑みをたたえながら、大悲の心のままに、怒る。
とあります。
菩提のため、相手を悟りに向かわせるための怒り
自分の感情ではなく、相手の立場を想って怒る
ゆとりをもった怒り
そういうものが密教の怒りです。
もし、普段の生活でイライラしたら、笑って真言を唱えてから、相手に接してみましょう。
怒りとともに、
煩悩の中で、最も大きく力が強いものが性的欲望ですが、
異性を求める欲望を、悟りを欲する心へ。
異性に近づいて触れたい欲望は、悟りに触れようとする心に。
異性を愛して離したくない欲望は、一切衆生を愛する心に。
異性を手にした喜びは、大衆を救うことを喜ぶ心に
修行によって転換させます。
こうすることで、
自分が悟る道程も、衆生を救う過程も、同じ順序をたどります。
何よりもまず、迷える自分の中には光り輝く仏があり、仏の本質は慈愛である
という心に住することが大切です。
※陰陽で考えると
強い怒りは陽性の排毒ですから、陰性な精進料理と、陰性な瞑想修行によって変換することができます。
イライラ、頭痛、ウツ、認知症など、脳の問題はほとんどが陽性毒がたまっているのが原因ですから、それを抜けばいい。
陽性毒は普通の生活をしていれば身体に入り、普通の食生活をしていれば排毒できるものですが、きれいな陰性が足りないと排毒できない。
きれいな陽性が足りない、ということです。
____________________________________
【修行してみる】
○欲望の転換
1、止息法
姿勢正しく坐り、3分程度ゆっくり呼吸します。何かを考えても考えなくてもよろしい。
ただ、呼吸するだけ。
その後、息をすべて吐いてから、呼吸を10秒止めます。
慣れてきたら20秒止めてから息を吸います。
2、沐浴
般若心経一巻を唱えてから、冷水を足、手、頭、身体の順にかけます。
礼拝の気持ちを持って衣体を着します。
3、正座法
畳、または堅めの座布団の上に正座し、頭上に500gから1㎏の重さがあるもの(座布団など)を載せて、姿勢を正します。
手をへその前におき、静かに呼吸します。
両手掌を上に向けると、心は平静になります。
毎日10分ほど座れば大きな効果があるでしょう。
小山市の小堀商店でゆばを買います。
一説では、京都は湯葉、日光は湯波と書く、とのことだけれど、小堀は「ゆば」
昆布しいたけ出汁でシメジを炊き、塩と醤油で調えて、生ゆばを加えてひと煮立ち。
長く煮ると味が抜け、沸騰させると出汁が濁ります。
たんぱく質の多いゆばは、それを溶かすキノコと合う。
豆乳は身体を冷やし、酸性で胃腸に負担がかかるものだけれど、それをゆばにすると良質の食材になる。
○三昧
タケノコや山菜など、春先の若い芽を包んだものが春巻き、Spring Roll。
炊いた炒り玄米は、抗がん作用と陽性の排毒作用がきわめて大きい。
それはヌカ部分にあるRBA/RBFの力で、炒って焦がしてから、多めの水で炊くことで果皮のセルロースが溶け、その成分が溶け出します。
炊飯器や圧力鍋で炊いた玄米ご飯ではそれができない、それは陽性すぎて酸性すぎる。
炊いた炒り玄米、野菜、味噌か醤油、油、香辛料を合わせることで、陰陽と酸アルカリのバランスがとれ、脳の滋養になります。
○般若
カブとピーマンを初採り。
こういう野菜は収穫してから3時間以内がうまい。
採れたてを切って塩でもむだけがうまい。
野菜の旨味(微量に含まれるアミノ酸)が塩で引き出されてうまくなる。
陽性を良く溶かします。
何より季節の味がうまい。
○禅悦
ひじきは陽性なナトリウムが、可食部100gあたり1400㎎
陰性なカルシウムも1400㎎、カリウムは4400㎎
この数字は、陽性でアルカリの食品であることを示します。
それを野菜と炊く 。
ヒジキはバリナリと手で割ってボウルに入れ、熱湯をひたひたに入れます。
油揚げを炒め、湯を吸ったヒジキを加えて炒め合わせ、他の野菜を加えて煮る。
水は入れず、野菜の水分で煮るのがいい。
醤油を3回くらいに分けて回し入れ、煮しめます。
横隔膜から下の滋養によろしい。
○法喜
キャベツの外葉、古い玉ねぎ、ひねたニンジンなどをみじん切りにし、
炊いた炒り玄米を加えて塩もみし、染み出た水分でグルテン粉と地粉を溶き、
丸めて多めのごま油で蒸し焼きにします。
焼いた面がキハダ(オウバク)のような色になるので黄檗焼きと言う。
けんちんや雲片とともに、
ものを無駄にしない
命を生かす
運用自在
料理になりきる
という精進料理の逸品。
○大智
大根とカブの成分は似ている、大根のほうがすこし陽性。
カブのほうが少しアクが強い。
このアクの陰性が、温かいという陽性と引き合う。
どちらも消化酵素が多く、腎臓の滋養になるけれど、
カブのほうが酸性なので、エネルギーになりやすい。
「さっぱり」という言葉は、この食べかたのためにある。
○大悲
粥は十の徳があり、「食時作法」旦粥偈には、
色力寿楽詞清弁 (しきりきじゅらくししょうべん)
宿食風除飢渇消 (しゅくじきふうじょきかっしょう)
おおざっぱに言えば、
お通じが良くなり、頭の働きが良くなって弁舌流暢になる
ということ。
割れた洗米を炊いてとろけた粥に。
濃い昆布出汁を醤油で強めに味をつけ、吉野葛を引いて餡にします。
これは究極の粥。
水分の多い陰性な粥を朝に摂ると、交感神経が刺激され、日中の仕事がはかどります。
○菩提
昆布出汁を沸かさず丁寧にあたため、塩と薄口醤油で調え、匙ですくった豆腐を入れて火を止めます。
薬味や吸い口は、庭や畑の青物で季節を表す。
簡単な料理ですが、上品で格調高い一品になります。
________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
「陽性のガン 食養メニュー」
https:/
「病気の治しかた早見表」
https:/
また、大きな被害が起こらないよう祈念いたします。
火山の噴火で灰が降りますが、昨日テレビを見ていたら、アナウンサーが
「コウハイにもご注意・・・」
重箱読みなんですね。
降灰は「コウカイ」のほうが日本語らしいと思う。灰燼に帰す、のカイ。
それはさておき、
あるかたから質問があり、その中で
お腹のマッサージをしていて左右の便秘を実感しています。
こういうことを みんさんは知っているのでしょうかね?
とありまして、気がついていない人が多いだろうなと感じます。
便秘は左のほうが軽いですが、その場合下半身に影響があります。
そして猫背になりがち。
便秘は同じ側の脳の働きとも関係しています。
左便秘の場合は肝臓の滋養になる飲み物が効果的で、それは頭痛にもいい。
便秘を改善するポイントは食事と共に足。
心身は一如、つながっている。
望診法では、
左手掌部に左便秘、右手掌に右便秘が現れます。
ところで、あなたは彼(彼女)とふたりで歩くとき、左右どちら側にいますか。
どちらの手をつなぎますか。
多くの場合、
人間関係では左が上位です。
「平等行食(びょうどうぎょうじき)」
と声に出してから作法が始まります。
食事に限らず、仏教は徹底的な平等主義です。これは、全ての生き物が平等に仏になれる、ということで、民主主義的な平等では無い。
全ての人は完成されている、完成する可能性がある、という意味での平等。根源の平等であって、社会的平等とは違う。
この辺を間違うと、だれでも平等に同じものを同じ量食べるのが平等かということになって、ややこしくなる。
平等面だけを強調したとらえかたを「悪平等」と言い、避けるべきものです。
ここに一匹の魚がある。
お母さんがそれを料理する。
小さな子には柔らかく煮て少しの量を。
お兄ちゃんにはフライにしてカロリーを上げてたっぷり。
お腹の調子が悪いお父さんには葛を混ぜて蒸し団子にして。
食べる人それぞれに合うようにする。
これを、みな同じ量、同じ計らいで食べさせるのは悪平等。世の中にはそういうことがままある。