夏はそうめん、冬はにゅうめん
というのが高野山ではポピュラーな昼食でした。
日本酒には
夏は冷奴、冬は湯豆腐
日本酒に陰性な豆腐が合う、ということは、アルコール飲料の中でも日本酒が比較的陽性ということ。
庭の柚子を刈ったので、薬味にすれば豆腐の味が膨らむ 。
柚子は
ナトリウム:1㎎
カリウム :210㎎
カルシウム : 20㎎
リン:11㎎
ということで非常に陰性で体液をアルカリにするタイプ。
クエン酸、酒石酸、リンゴ酸という陰性な成分も多いから、たんぱく質や陽性毒をよく溶かします。
冬は脂肪の多い料理が多いから、このようなかんきつ類はとても有用。
大根を掘って
輪切りにして面取りをし、包丁を入れて昆布シイタケ出汁で炊く。
味噌に繊切りのユズを混ぜ、大根を炊いた出汁でゆるめて柚子味噌。
大根を炊く時はフタをしない。えぐ味が抜けずに味が濁るから。
翌日、余った鍋にがんもどきと里芋を加え、柚子味噌を溶き入れて炊けば柚子味噌鍋。
味噌で煮込む時は、沸騰させないようにすると味がよろしい。
時間をかけるほど、お腹を温めます。
というのが高野山ではポピュラーな昼食でした。
日本酒には
夏は冷奴、冬は湯豆腐
日本酒に陰性な豆腐が合う、ということは、アルコール飲料の中でも日本酒が比較的陽性ということ。
庭の柚子を刈ったので、薬味にすれば豆腐の味が膨らむ 。
柚子は
ナトリウム:1㎎
カリウム :210㎎
カルシウム : 20㎎
リン:11㎎
ということで非常に陰性で体液をアルカリにするタイプ。
クエン酸、酒石酸、リンゴ酸という陰性な成分も多いから、たんぱく質や陽性毒をよく溶かします。
冬は脂肪の多い料理が多いから、このようなかんきつ類はとても有用。
大根を掘って
輪切りにして面取りをし、包丁を入れて昆布シイタケ出汁で炊く。
味噌に繊切りのユズを混ぜ、大根を炊いた出汁でゆるめて柚子味噌。
大根を炊く時はフタをしない。えぐ味が抜けずに味が濁るから。
翌日、余った鍋にがんもどきと里芋を加え、柚子味噌を溶き入れて炊けば柚子味噌鍋。
味噌で煮込む時は、沸騰させないようにすると味がよろしい。
時間をかけるほど、お腹を温めます。
PR
お大師さんの『十住心論』に、
地獄と天界、煩悩と悟り、迷いと涅槃、両辺と真ん中、空と有、偏りと中心・・・。
など、みなこれ自分の中にある仏の名前である。
どちらを取って、どちらかを捨てる、というようなことでは無い。
とあるように、
大乗仏教、特に密教は、
ふたつにわけてどちらかを選ぶ、
それも、より早く判断して選ぶ、
ということを嫌う傾向があります。本来ひとつのものなんだから。
日常生活でもありますね。
あなたと私、あなたの意見と私の意見、ふたつにわかれる。
でも、どちらかを選んでどちらかを捨てる、ということではなく、
まあ、いろいろあるけれど、なんとか一緒にやろうよ、
というようなことが大切かもしれない。
人間はケンカをする生き物です。話が合う、ということは滅多にない。
でも、
それはそれで、あんたと私の考えは違うけれど、
向いている方向は違うけれど、
まあ、それはそれとして、とにかく一緒に拝もうじゃないか。
という人間の調和とか心の融合が、本来の供養や祈祷の宗教行為です。
いろいろと相手の欠点を指摘せずに、
あなたはあなたのままで良いから、まあ、一緒に拝みましょうよ、と。
たとえば、
僕は毎朝5時前から拝んでいます。
明日もいつものように世界の平安を拝みますから、
あなたも一緒に拝みましょう。20分くらいでいいから。
もし、みんなが拝んでいたら、
その時、世界は平和な浄土に、極楽に、天国になるでしょう。
どうですか、
明日の朝、一緒にお拝みませんか。
キリスト教の人もイスラムの人も、新しい宗教の人も。
一緒にご飯を食べたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、一緒に拝んだりすると、
ずいぶんと人は分かり和えるものです。
地獄と天界、煩悩と悟り、迷いと涅槃、両辺と真ん中、空と有、偏りと中心・・・。
など、みなこれ自分の中にある仏の名前である。
どちらを取って、どちらかを捨てる、というようなことでは無い。
とあるように、
大乗仏教、特に密教は、
ふたつにわけてどちらかを選ぶ、
それも、より早く判断して選ぶ、
ということを嫌う傾向があります。本来ひとつのものなんだから。
日常生活でもありますね。
あなたと私、あなたの意見と私の意見、ふたつにわかれる。
でも、どちらかを選んでどちらかを捨てる、ということではなく、
まあ、いろいろあるけれど、なんとか一緒にやろうよ、
というようなことが大切かもしれない。
人間はケンカをする生き物です。話が合う、ということは滅多にない。
でも、
それはそれで、あんたと私の考えは違うけれど、
向いている方向は違うけれど、
まあ、それはそれとして、とにかく一緒に拝もうじゃないか。
という人間の調和とか心の融合が、本来の供養や祈祷の宗教行為です。
いろいろと相手の欠点を指摘せずに、
あなたはあなたのままで良いから、まあ、一緒に拝みましょうよ、と。
たとえば、
僕は毎朝5時前から拝んでいます。
明日もいつものように世界の平安を拝みますから、
あなたも一緒に拝みましょう。20分くらいでいいから。
もし、みんなが拝んでいたら、
その時、世界は平和な浄土に、極楽に、天国になるでしょう。
どうですか、
明日の朝、一緒にお拝みませんか。
キリスト教の人もイスラムの人も、新しい宗教の人も。
一緒にご飯を食べたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、一緒に拝んだりすると、
ずいぶんと人は分かり和えるものです。
一日の始まりは朝ではなく日没から。
ですから、
宵祭り、初夜、前夜祭、イブが始まりの儀式。
新年も12月31日日没から始まります。だから、その夕飯におせちを食べます。
そして、
午前3時過ぎ、寅の刻に後夜という初詣をして、
1月1日の日中、一家揃って新年を祝います。
ちなみに、
元旦は、日の出の瞬間のことです。
お正月は年神様のお祭り。
各家そのものが祭壇になります。だから、家の周りに注連縄を張り巡らす。
季節の野菜や乾物をお供えし、そのお下がりをお雑煮にします。
ちなみに、
神さまへのお供えは白木、人が食べる器は塗りを使います。
鏡餅は心臓を象徴したものですが、そのお餅を下げてお年玉にします。
年神様からもらう、年神さまの力をいただく、ということ。
玄関と床の間は神様の座ですから、きれいに荘厳します。
花を活け、香を焚き、軸を掛けます。
玄関では、
下駄箱の上などの平らな台が神さまの座になりますから、余計なものは置かない。
さらに、
お客さまが来たら、バッグやコートを置いてもらうところですから、家族のものは置かない。
花は季節のもので良いですが、万年青と若松が新年らしくてよろしい。
3,5,7,9,13本など、奇数を活けます。
元旦は松を、二日は竹、三日は梅を飾ります。
正月三日に、お腹の滋養になるトロロを食べるのが北国の習慣。
7日は人日(じんじつ)の節供。七草粥など若菜の料理。青菜に塩をして、粥に盛ります。
大みそかの晩、
その年の新酒に漢方薬を浸してお屠蘇を仕込みます。
もともとは井戸の若水に浸け、
以前はミリンに浸けていました。
代表的な薬は、
肉桂:健胃、皮膚の強化
山椒:健胃、利尿
白朮:健胃
桔梗:喉の改善、去痰
防風:風邪予防
大黄:便通改善
陳皮:身体を温め、咳を静める
など。
最近のおせち料理は重箱に詰めますが、
それは持ち運ぶためのもので、
お膳に盛るほうがよいと考えています。
ですから、
宵祭り、初夜、前夜祭、イブが始まりの儀式。
新年も12月31日日没から始まります。だから、その夕飯におせちを食べます。
そして、
午前3時過ぎ、寅の刻に後夜という初詣をして、
1月1日の日中、一家揃って新年を祝います。
ちなみに、
元旦は、日の出の瞬間のことです。
お正月は年神様のお祭り。
各家そのものが祭壇になります。だから、家の周りに注連縄を張り巡らす。
季節の野菜や乾物をお供えし、そのお下がりをお雑煮にします。
ちなみに、
神さまへのお供えは白木、人が食べる器は塗りを使います。
鏡餅は心臓を象徴したものですが、そのお餅を下げてお年玉にします。
年神様からもらう、年神さまの力をいただく、ということ。
玄関と床の間は神様の座ですから、きれいに荘厳します。
花を活け、香を焚き、軸を掛けます。
玄関では、
下駄箱の上などの平らな台が神さまの座になりますから、余計なものは置かない。
さらに、
お客さまが来たら、バッグやコートを置いてもらうところですから、家族のものは置かない。
花は季節のもので良いですが、万年青と若松が新年らしくてよろしい。
3,5,7,9,13本など、奇数を活けます。
元旦は松を、二日は竹、三日は梅を飾ります。
正月三日に、お腹の滋養になるトロロを食べるのが北国の習慣。
7日は人日(じんじつ)の節供。七草粥など若菜の料理。青菜に塩をして、粥に盛ります。
大みそかの晩、
その年の新酒に漢方薬を浸してお屠蘇を仕込みます。
もともとは井戸の若水に浸け、
以前はミリンに浸けていました。
代表的な薬は、
肉桂:健胃、皮膚の強化
山椒:健胃、利尿
白朮:健胃
桔梗:喉の改善、去痰
防風:風邪予防
大黄:便通改善
陳皮:身体を温め、咳を静める
など。
最近のおせち料理は重箱に詰めますが、
それは持ち運ぶためのもので、
お膳に盛るほうがよいと考えています。
すべては六大でできている、というのが密教の立場です。
六大とは地・水・火・風・空・識の六つ
仏もあなたも私も、一切衆生も、道端の石ころも、
六大、つまり、
地のように固く、木々が育つような力のあるもの
水のように流れるもの
火のように暖かさのあるもの
風のように吹き抜けるもの
空のように広がり、妨げるものがないもの
識のように、思考し悟りを得るもの
だから、
すべては平等なんだ、という立場。
でも、
凡人はこの六大をモノと見て、
覚者は仏と見る
と『即身成仏義』にあります。
あなたばかりでなく、あなたを構成しているものこそ、あなたの細胞ひとつひとつが仏なんだろうな。
そして、その仏は僕やその他全部を構成している。
差別がなければ分別が無くなります。
分別があるから迷いを生じる。
本来、
僕らは六大で縁起しているのだから、
分けることはできない 。
仏と僕は、
あなたと私は、
離れることができない。
二元論にできない、そういう心を持つことが、自分の悟りと他者の救済を同時に成し遂げる方法です。
分けなければ比べない
比べなければ、すべての苦悩は収まります。
________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
「2015年 病気と手当てのまとめ」: http://shintenan.syoyu.net/Entry/805/
「魔法の玄米餅 作りかた」: http://shintenan.syoyu.net/Entry/804/
「魔法のハンバーグ 作りかた」: http://shintenan.syoyu.net/Entry/803/
六大とは地・水・火・風・空・識の六つ
仏もあなたも私も、一切衆生も、道端の石ころも、
六大、つまり、
地のように固く、木々が育つような力のあるもの
水のように流れるもの
火のように暖かさのあるもの
風のように吹き抜けるもの
空のように広がり、妨げるものがないもの
識のように、思考し悟りを得るもの
だから、
すべては平等なんだ、という立場。
でも、
凡人はこの六大をモノと見て、
覚者は仏と見る
と『即身成仏義』にあります。
あなたばかりでなく、あなたを構成しているものこそ、あなたの細胞ひとつひとつが仏なんだろうな。
そして、その仏は僕やその他全部を構成している。
差別がなければ分別が無くなります。
分別があるから迷いを生じる。
本来、
僕らは六大で縁起しているのだから、
分けることはできない 。
仏と僕は、
あなたと私は、
離れることができない。
二元論にできない、そういう心を持つことが、自分の悟りと他者の救済を同時に成し遂げる方法です。
分けなければ比べない
比べなければ、すべての苦悩は収まります。
________________________________
※穀菜食の舎会員ページ
「2015年 病気と手当てのまとめ」: http://shintenan.syoyu.net/Entry/805/
「魔法の玄米餅 作りかた」: http://shintenan.syoyu.net/Entry/804/
「魔法のハンバーグ 作りかた」: http://shintenan.syoyu.net/Entry/803/
最近、法話をするたびに心配になることがありまして、
僕らは本来仏である、生まれながらに仏の性質を持っている(それを仏性とか如来蔵といいます)けれど、煩悩によって覆われているから見えないだけ。
という立場で話をするのだけれど、
諸法は無我であるのに、どうして仏性があるのだろうか。
そんなものはないのではないだろうか。
『勝鬘経』には、
我々は如来蔵を自分が所有しているとは自覚していないけれど、
それが無ければ、さとりたい、という願いさえおきはしないだろう。
だから、いかなるものも如来になることは可能である。
とあるけれど、如来蔵は縁起しないのだろうか。
さらには、
『大日経』では、
方便を究竟として、他人への慈悲の働きかけと、自分の心の分析を積み重ねて、初めて覚りを得る
とあるのに、
『金剛頂経』では、
智慧と慈悲の方便は、真言にとってかわり、三密行によって、すぐさまに即身成仏できる
とあるのは、大いなる矛盾ではないだろうか。
とまあ、僕もいろいろ悩んでいるのですが、
そういう悩みがあるときによろしいのがマーボー豆腐
酸味+辛味+炒り玄米+豆腐=脳の安定によろしい。
ニンニクをごま油で温め、
玉ねぎ、カボチャ、高野豆腐、しめじを唐辛子粉をまぶしながら炒め、
炊いた炒り玄米とトマトピューレを加えて煮込み、
醤油か味噌で調えます。
うまい豆腐を使うのが一番大切
僕が食べ終わった後、
妻と息子はこれでラーメンを作って食べていた。
すごくうまそうだった。
僕らは本来仏である、生まれながらに仏の性質を持っている(それを仏性とか如来蔵といいます)けれど、煩悩によって覆われているから見えないだけ。
という立場で話をするのだけれど、
諸法は無我であるのに、どうして仏性があるのだろうか。
そんなものはないのではないだろうか。
『勝鬘経』には、
我々は如来蔵を自分が所有しているとは自覚していないけれど、
それが無ければ、さとりたい、という願いさえおきはしないだろう。
だから、いかなるものも如来になることは可能である。
とあるけれど、如来蔵は縁起しないのだろうか。
さらには、
『大日経』では、
方便を究竟として、他人への慈悲の働きかけと、自分の心の分析を積み重ねて、初めて覚りを得る
とあるのに、
『金剛頂経』では、
智慧と慈悲の方便は、真言にとってかわり、三密行によって、すぐさまに即身成仏できる
とあるのは、大いなる矛盾ではないだろうか。
とまあ、僕もいろいろ悩んでいるのですが、
そういう悩みがあるときによろしいのがマーボー豆腐
酸味+辛味+炒り玄米+豆腐=脳の安定によろしい。
ニンニクをごま油で温め、
玉ねぎ、カボチャ、高野豆腐、しめじを唐辛子粉をまぶしながら炒め、
炊いた炒り玄米とトマトピューレを加えて煮込み、
醤油か味噌で調えます。
うまい豆腐を使うのが一番大切
僕が食べ終わった後、
妻と息子はこれでラーメンを作って食べていた。
すごくうまそうだった。
辛味は悲しみと安心の味。
それは肺を刺激します。
肺は身体の一番上にあるから陰性な臓器。陰性だから二つに分かれています。
左右の肺で左が小さいのは心臓があるからではなくて、(心臓は真ん中にあって、左側が膨らんでいるだけ)、陰性な力を受け取るために小さい。
で、
肺の状態は小鼻に現れるので、小鼻を診れば肺の様子を窺うことができます。
辛味は脂肪を溶かすくらい陰性なので、陰性な肺と関係がある。
なので、
肺が丈夫になれば悲しみが減り、安心の味になる。
この辛味は、
大根おろし、ネギ、しょうが、にんにく、香りの強いもの
これを上手に使えば安心感につながります。
人生、何でもそういうもので、使いかたを変えれば心が変わる。
酸味は忍耐の味、
甘味は慈悲の味、
鹹味は勇気の味、
苦味は冷静な味
これらも同じように臓器や心や顔や手とつながっています。
そんな内容の『望診法講義録 人相編』附・仏教健康法
ただいま校正中、春までには刊行予定。
そして、
僕がもっとも大切にしているのが淡味。
食事をした翌日、
ああ、うまかった、と感じる味
ひとくちめでは分からない、お膳を全部食べ終わって感じる味
他の食材の味を引き出す味
控えめだけれど他人の旨味を引き出すような、
そんな人間になりたいものです。
それは肺を刺激します。
肺は身体の一番上にあるから陰性な臓器。陰性だから二つに分かれています。
左右の肺で左が小さいのは心臓があるからではなくて、(心臓は真ん中にあって、左側が膨らんでいるだけ)、陰性な力を受け取るために小さい。
で、
肺の状態は小鼻に現れるので、小鼻を診れば肺の様子を窺うことができます。
辛味は脂肪を溶かすくらい陰性なので、陰性な肺と関係がある。
なので、
肺が丈夫になれば悲しみが減り、安心の味になる。
この辛味は、
大根おろし、ネギ、しょうが、にんにく、香りの強いもの
これを上手に使えば安心感につながります。
人生、何でもそういうもので、使いかたを変えれば心が変わる。
酸味は忍耐の味、
甘味は慈悲の味、
鹹味は勇気の味、
苦味は冷静な味
これらも同じように臓器や心や顔や手とつながっています。
そんな内容の『望診法講義録 人相編』附・仏教健康法
ただいま校正中、春までには刊行予定。
そして、
僕がもっとも大切にしているのが淡味。
食事をした翌日、
ああ、うまかった、と感じる味
ひとくちめでは分からない、お膳を全部食べ終わって感じる味
他の食材の味を引き出す味
控えめだけれど他人の旨味を引き出すような、
そんな人間になりたいものです。
お世話になっている人から、
座禅について知りたい
と連絡があり、いくつかの本と座禅会をしている寺を紹介しました。
何事も、
勉強と実践の両方が必要です。どちらかだけでは妄想につながります。
特に仏教や精神的な世界のことは、
本だけの勉強だと、自分流の勝手な解釈をして、それを正当化しがち。それは錯覚。
だから、適切な師を見つけて、直接指導をうけます。
明師は偶然で会うのではなく、自ら探す。
そして、
毎日の生活の中では執着が強くなり、心に垢がたまりますから、
読むべきものを読んで、垢を落とします。
座禅は心の統一法のひとつですが、無念無想というわけではありません。
他宗他派のことはよく知りませんが、
真言密教では毎日三回、お堂に坐っての作法が決まっています。
ひたすらそれを修法する。
そして、
真言を唱えます。
堂内で仏さまと二人っきりで唱え、
堂外で、どこでもいつでも唱えます。
だって、いたるところに仏がおわし、どこもかしこも曼荼羅道場だから。
で、
堂内ではただ座る、ただ唱え、ただ拝む。
堂外でも、アホのようにただひたすら唱える。
唱えれば、拝めば、仏が、自分とは何かが分かります。
「自分とは何か」というアイデンティティもわかる。姓など関係ない。
料理でも、ひたすら切る、作るという反復によって上手になり、何よりも自信がつきます。
世の中の苦しみは、思い通りにならないこと
思い通りにならないのは煩悩があるからで、
その煩悩とは、物事をありのままに見ることができないこと。
それをありのままに見ることができることがさとりで、
それは、諦めること。
そういうことが、シンプルなことを反復することによって身につきます。
人生で必要なものは、そのような性懲りもない反復によって得られます。
今年も来年も。
座禅について知りたい
と連絡があり、いくつかの本と座禅会をしている寺を紹介しました。
何事も、
勉強と実践の両方が必要です。どちらかだけでは妄想につながります。
特に仏教や精神的な世界のことは、
本だけの勉強だと、自分流の勝手な解釈をして、それを正当化しがち。それは錯覚。
だから、適切な師を見つけて、直接指導をうけます。
明師は偶然で会うのではなく、自ら探す。
そして、
毎日の生活の中では執着が強くなり、心に垢がたまりますから、
読むべきものを読んで、垢を落とします。
座禅は心の統一法のひとつですが、無念無想というわけではありません。
他宗他派のことはよく知りませんが、
真言密教では毎日三回、お堂に坐っての作法が決まっています。
ひたすらそれを修法する。
そして、
真言を唱えます。
堂内で仏さまと二人っきりで唱え、
堂外で、どこでもいつでも唱えます。
だって、いたるところに仏がおわし、どこもかしこも曼荼羅道場だから。
で、
堂内ではただ座る、ただ唱え、ただ拝む。
堂外でも、アホのようにただひたすら唱える。
唱えれば、拝めば、仏が、自分とは何かが分かります。
「自分とは何か」というアイデンティティもわかる。姓など関係ない。
料理でも、ひたすら切る、作るという反復によって上手になり、何よりも自信がつきます。
世の中の苦しみは、思い通りにならないこと
思い通りにならないのは煩悩があるからで、
その煩悩とは、物事をありのままに見ることができないこと。
それをありのままに見ることができることがさとりで、
それは、諦めること。
そういうことが、シンプルなことを反復することによって身につきます。
人生で必要なものは、そのような性懲りもない反復によって得られます。
今年も来年も。
焼きおむすびの具は、大根かゴボウの味噌漬けに限る
というのが大人の男。
ちなみに
焼かないおむすびの具は梅干しかセイタン。
白米は胃のぜん動を阻害して中性脂肪を作りやすく、左脳の働きを低下させますが、
それを防止するのが梅干し、酸味のある漬物、消化を助ける味噌や醤油。
良い子は正しいおむすびを食べましょう。
ゴボウや大根には陽性の成分が多いけれど、その分反対の陰性も多い。
だから、陽性毒をよく溶かす。特にゴボウは陽性だから、陰性なアクも強く、陽性な肉食の害を消します。
胃の悪い人が好むものはいろいろありますが、それらも味噌漬けや味噌汁でなんとかなる。
4年前に仕込んだ麦みそは味が濃い。
だから、
味噌汁ではうまくないけれど、味噌床や脂肪の多いものの味噌煮込には良く合う。
これは時間の陽性で、陰性な野菜の水分を抜いて味を引き出すから。
それから、
掘ったばかりのキクイモも味噌漬けがうまい。
というのが大人の男。
ちなみに
焼かないおむすびの具は梅干しかセイタン。
白米は胃のぜん動を阻害して中性脂肪を作りやすく、左脳の働きを低下させますが、
それを防止するのが梅干し、酸味のある漬物、消化を助ける味噌や醤油。
良い子は正しいおむすびを食べましょう。
ゴボウや大根には陽性の成分が多いけれど、その分反対の陰性も多い。
だから、陽性毒をよく溶かす。特にゴボウは陽性だから、陰性なアクも強く、陽性な肉食の害を消します。
胃の悪い人が好むものはいろいろありますが、それらも味噌漬けや味噌汁でなんとかなる。
4年前に仕込んだ麦みそは味が濃い。
だから、
味噌汁ではうまくないけれど、味噌床や脂肪の多いものの味噌煮込には良く合う。
これは時間の陽性で、陰性な野菜の水分を抜いて味を引き出すから。
それから、
掘ったばかりのキクイモも味噌漬けがうまい。
昨夜は息子らと郡山・奈良木で食事。
僕は会津娘の燗。温度がちょうどいい。これ、結構難しいのです。
天ぷらがうまいのはもちろん、
油消しで、なます、大根おろし、ぬか漬けをたくさん出してくれるから、
食べている時も食後も気分が良い。
息子らは、ご飯が素晴らしいと言う。
ご飯の温度、柔らかさ、炊き加減が、季節と料理に合っている。
ここは、
料理人の都合ではなく、お客の食べたい時にタイミング良く、一番おいしい状態で出してくれるから楽しい。
それはさておき、
根は大切なもので、そこが腐っていると、地上がいくら立派でも弱い。
ネギのひげ根は膵臓の、つまりは糖尿の薬で、これがあればいろいろ便利なことが多い。
大根の根の一番下、しっぽですね。
こういう根菜の一番下は一番陽性。
陽性ということは水分が少ないから味が濃い。
だから、出汁に良く、ぬか漬け、味噌漬けにするとうまい。
ところで、
大日如来は、大悲を根としています。
大日の悟りは、悟りを求める心が種となり、そこから大慈悲の根が生じます。
その根が,芽を出し、大樹となり、枝を張り、葉を茂らせ、花を咲かせる。
その慈悲があるから、僕らのあらゆる行動が、他人を助ける方便となります。
慈悲は、
他人を自分と見ることですが、
それを根にすれば、
天地いっぱいで不生不滅の心が、自分の中にあるのがわかります。
僕は会津娘の燗。温度がちょうどいい。これ、結構難しいのです。
天ぷらがうまいのはもちろん、
油消しで、なます、大根おろし、ぬか漬けをたくさん出してくれるから、
食べている時も食後も気分が良い。
息子らは、ご飯が素晴らしいと言う。
ご飯の温度、柔らかさ、炊き加減が、季節と料理に合っている。
ここは、
料理人の都合ではなく、お客の食べたい時にタイミング良く、一番おいしい状態で出してくれるから楽しい。
それはさておき、
根は大切なもので、そこが腐っていると、地上がいくら立派でも弱い。
ネギのひげ根は膵臓の、つまりは糖尿の薬で、これがあればいろいろ便利なことが多い。
大根の根の一番下、しっぽですね。
こういう根菜の一番下は一番陽性。
陽性ということは水分が少ないから味が濃い。
だから、出汁に良く、ぬか漬け、味噌漬けにするとうまい。
ところで、
大日如来は、大悲を根としています。
大日の悟りは、悟りを求める心が種となり、そこから大慈悲の根が生じます。
その根が,芽を出し、大樹となり、枝を張り、葉を茂らせ、花を咲かせる。
その慈悲があるから、僕らのあらゆる行動が、他人を助ける方便となります。
慈悲は、
他人を自分と見ることですが、
それを根にすれば、
天地いっぱいで不生不滅の心が、自分の中にあるのがわかります。
今日からおせちの仕込み。まずは葡萄豆を炊いています。
僕は朝早く起きて用事をするので、お日さまが昇るころにはお腹がすく。
昨日の朝は台所に前日のカレーが少し残っていて、
これを昆布出汁で伸ばし、ネギをたくさん加えて煮込み、醤油で調えてカレーうどん。
これを、ハネを気にしないくらいに思いっきりすすり、汗をかきながら食べるのがうまい。
朝に汗をかいて脱塩すると、交感神経が優位になって、その日一日活動的で快適になる。
郡山・安積の大三元はタンメンだけのお店
キャベツがうまい
ここのタンメンはタンメンみたいなものではないタンメン。
胃が疲れるこの時期、
キャベツは良い滋養になります。
僕は朝早く起きて用事をするので、お日さまが昇るころにはお腹がすく。
昨日の朝は台所に前日のカレーが少し残っていて、
これを昆布出汁で伸ばし、ネギをたくさん加えて煮込み、醤油で調えてカレーうどん。
これを、ハネを気にしないくらいに思いっきりすすり、汗をかきながら食べるのがうまい。
朝に汗をかいて脱塩すると、交感神経が優位になって、その日一日活動的で快適になる。
郡山・安積の大三元はタンメンだけのお店
キャベツがうまい
ここのタンメンはタンメンみたいなものではないタンメン。
胃が疲れるこの時期、
キャベツは良い滋養になります。
便と言っても、お坊さんのうんこ
ではない。
全日本仏教会が、
理事長談話:「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」について
http:// www.jbf .ne.jp/ news/ne wsrelea se/1600 .html
というプレスリリーズをしました。
その内容は、
Amazonが僧侶手配サービスを販売開始した。
これは、「株式会社みんれび」が2013年から展開している「お坊さん便」というサービスで、全国どこにでも定額で僧侶を手配するというもの。
それに対して仏教会は、
お布施は、慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といわれる修行の一つです。なぜ修行なのかというと、見返りを求めない、そういう心を持たないものだからであります。そこに自利利他円満の功徳が成就されるのです。
それで、
今回の「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」の販売は、まさしく宗教行為をサービスとして商品にしているものであり、世界的な規模で事業を展開する「Amazon」の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません。
というもの。
六波羅蜜のうち、布施波羅蜜以外はきちんとしているのだろうか、と疑問を持ちますが、
お坊さんを手配する、というのは、デリ坊主ということかな。
その坊さんは何をしてくれるのでしょうか。
何より、
お坊さんの質は保障されているのでしょうか。
商品にするなら高品質でなければいけない。
読経するだけなら、ウチの息子でもできる。
世の中何でも、機械でも食べ物でも、
品質の良いものは高価で、
劣悪なものは値段が安い。
お坊さんの質はどうなのだろうか。
お寺は一般の家庭と比べると、その維持管理に費用がかかりますから、お寺にはそれなりの収入が必要です。
税金の問題もあるのでしょうが、
でも、いわゆるお布施を受け取る僧侶が何でもいい、というわけにもいかないでしょう。
そもそも、僧侶とは職業なんだろうか。
仏教には、
仏・法・僧という三宝があります。
その僧宝は、
仏法を後世に正しく護り伝えていく僧侶のこと。
その僧侶が集まる僧団のこと。宗派ですね。
仏を尊敬し、自らも仏になるべく仏の法により修行する人々のこと。
つまり、
僧侶とは、修行する人です。仏教は修行の宗教ですから。
『秘蔵宝鑰』の十四問答では、
「仏教は国家を鎮護し衆生を利済すべきであるのに、多くの僧侶は、頭髪を剃っても欲を剃らず、衣を墨染めにしても心を善法に染めることを知らない。
だから旱魃や洪水がしきりにおこり、疫病が年ごとに流行し天下が乱れるのである」
とあります。
それに対して、
「麒麟や鳳凰がひとたび世に出れば、天下太平であり、如意宝珠や金剛石がひとたび世に現れると、人の願いのままに種々な宝を降らす。
しかし麒麟や鳳凰が現れないからとて、禽獣の族を絶滅すべきでなく、如意宝珠が得られないからと言って、金玉の類を捨てるべきでなかろう」
僧侶がいるから、仏法が伝わるのである、
というのですね。
お大師さんの時代も、今と変わらないみたい。
そして、
「問題は僧尼にあるのではなく、経典の妙法そのものが貴いのである」
と言います。
さらに、
「非法の僧尼が多いのは、
美女は招かずとも好醜の男が争うて訪問し、医師の門には召さずとも病人が集まる
物の道理として、善と悪との雜住が是の如くに行われているのであるから、僧尼の中に非法乱行の者がいても、それは怪しむに足らない」
という。
仏教会は
全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです。
としていますが、ちょっとね。
自動車教習所を卒業すれば誰でも免許がもらえるけれど、
誰でも運転がうまいわけではない。
運転がうまくなければ、運転を仕事にはできない。
それと同じなんだけれど。
いずれにしても、
僧侶の質が高ければ、お坊さん便やamazonが何をしようと関係無い。
ではない。
全日本仏教会が、
理事長談話:「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」について
http://
というプレスリリーズをしました。
その内容は、
Amazonが僧侶手配サービスを販売開始した。
これは、「株式会社みんれび」が2013年から展開している「お坊さん便」というサービスで、全国どこにでも定額で僧侶を手配するというもの。
それに対して仏教会は、
お布施は、慈悲の心をもって他人に財施などを施すことで「六波羅蜜(ろくはらみつ)」といわれる修行の一つです。なぜ修行なのかというと、見返りを求めない、そういう心を持たないものだからであります。そこに自利利他円満の功徳が成就されるのです。
それで、
今回の「Amazonのお坊さん便 僧侶手配サービス」の販売は、まさしく宗教行為をサービスとして商品にしているものであり、世界的な規模で事業を展開する「Amazon」の、宗教に対する姿勢に疑問と失望を禁じ得ません。
というもの。
六波羅蜜のうち、布施波羅蜜以外はきちんとしているのだろうか、と疑問を持ちますが、
お坊さんを手配する、というのは、デリ坊主ということかな。
その坊さんは何をしてくれるのでしょうか。
何より、
お坊さんの質は保障されているのでしょうか。
商品にするなら高品質でなければいけない。
読経するだけなら、ウチの息子でもできる。
世の中何でも、機械でも食べ物でも、
品質の良いものは高価で、
劣悪なものは値段が安い。
お坊さんの質はどうなのだろうか。
お寺は一般の家庭と比べると、その維持管理に費用がかかりますから、お寺にはそれなりの収入が必要です。
税金の問題もあるのでしょうが、
でも、いわゆるお布施を受け取る僧侶が何でもいい、というわけにもいかないでしょう。
そもそも、僧侶とは職業なんだろうか。
仏教には、
仏・法・僧という三宝があります。
その僧宝は、
仏法を後世に正しく護り伝えていく僧侶のこと。
その僧侶が集まる僧団のこと。宗派ですね。
仏を尊敬し、自らも仏になるべく仏の法により修行する人々のこと。
つまり、
僧侶とは、修行する人です。仏教は修行の宗教ですから。
『秘蔵宝鑰』の十四問答では、
「仏教は国家を鎮護し衆生を利済すべきであるのに、多くの僧侶は、頭髪を剃っても欲を剃らず、衣を墨染めにしても心を善法に染めることを知らない。
だから旱魃や洪水がしきりにおこり、疫病が年ごとに流行し天下が乱れるのである」
とあります。
それに対して、
「麒麟や鳳凰がひとたび世に出れば、天下太平であり、如意宝珠や金剛石がひとたび世に現れると、人の願いのままに種々な宝を降らす。
しかし麒麟や鳳凰が現れないからとて、禽獣の族を絶滅すべきでなく、如意宝珠が得られないからと言って、金玉の類を捨てるべきでなかろう」
僧侶がいるから、仏法が伝わるのである、
というのですね。
お大師さんの時代も、今と変わらないみたい。
そして、
「問題は僧尼にあるのではなく、経典の妙法そのものが貴いのである」
と言います。
さらに、
「非法の僧尼が多いのは、
美女は招かずとも好醜の男が争うて訪問し、医師の門には召さずとも病人が集まる
物の道理として、善と悪との雜住が是の如くに行われているのであるから、僧尼の中に非法乱行の者がいても、それは怪しむに足らない」
という。
仏教会は
全日本仏教会は、宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきました。お布施は、サービスの対価ではありません。同様に、「戒名」「法名」も商品ではないのです。
としていますが、ちょっとね。
自動車教習所を卒業すれば誰でも免許がもらえるけれど、
誰でも運転がうまいわけではない。
運転がうまくなければ、運転を仕事にはできない。
それと同じなんだけれど。
いずれにしても、
僧侶の質が高ければ、お坊さん便やamazonが何をしようと関係無い。
お正月料理には、普段使わない材料を手にすることがありますが、
百合根はほぐして洗い、ざるに取って甘塩を振り、強火で6分蒸し上げます。
前日に里芋、こんにゃく、餅巾着、大根、ちくわぶ、しいたけのおでんを作り、
翌朝、残った具を引き上げ、その出汁で、まとめたグルテン粉を炊きます。
沸騰したらフタをして弱火で15分。
長い時間蒸したり素揚げしたりすると、陽性になりすぎて肉みたいになり、おいしくない。
巻き湯葉は油抜きしてから、シイタケの出汁で。
その時、慈姑を落し蓋替りにします。
クワイは尻を削って包丁を入れます。10分くらいで炊けます。
平湯葉はニンジンを芯にして昆布と鳴門に巻き、純米酒と醤油で炊きます。
陰性な湯葉は陽性を引き付けて柔らかくなりにくいので、純米酒の陰性で柔らかくします。
鍋底につきやすいので、昆布を敷きます。
料理は化学反応ですから、自然の法則通りに作ればうまくできます。
もちろん、
陰陽の法則通りに作れば問題ない。
消化吸収して、身体の滋養になるのも化学反応。これも陰陽の法則通り。
これらは現象世界の事実です。
そこに印象や妄想を加えないほうがうまくいきます。
つまり、
現象世界を越えた、わけのわからない世界の話や、事実ではない思い込みを取り入れると、
料理もおいしくない、身体にも良くない結果につながります。
ともあれ、
今年もお世話になりました。皆様のおかげで楽しい一年でした。
来年もよろしくお願いいたします。
お大事に、良いお年をお迎えください。
合掌。
須永 晃仁 拝。
百合根はほぐして洗い、ざるに取って甘塩を振り、強火で6分蒸し上げます。
前日に里芋、こんにゃく、餅巾着、大根、ちくわぶ、しいたけのおでんを作り、
翌朝、残った具を引き上げ、その出汁で、まとめたグルテン粉を炊きます。
沸騰したらフタをして弱火で15分。
長い時間蒸したり素揚げしたりすると、陽性になりすぎて肉みたいになり、おいしくない。
巻き湯葉は油抜きしてから、シイタケの出汁で。
その時、慈姑を落し蓋替りにします。
クワイは尻を削って包丁を入れます。10分くらいで炊けます。
平湯葉はニンジンを芯にして昆布と鳴門に巻き、純米酒と醤油で炊きます。
陰性な湯葉は陽性を引き付けて柔らかくなりにくいので、純米酒の陰性で柔らかくします。
鍋底につきやすいので、昆布を敷きます。
料理は化学反応ですから、自然の法則通りに作ればうまくできます。
もちろん、
陰陽の法則通りに作れば問題ない。
消化吸収して、身体の滋養になるのも化学反応。これも陰陽の法則通り。
これらは現象世界の事実です。
そこに印象や妄想を加えないほうがうまくいきます。
つまり、
現象世界を越えた、わけのわからない世界の話や、事実ではない思い込みを取り入れると、
料理もおいしくない、身体にも良くない結果につながります。
ともあれ、
今年もお世話になりました。皆様のおかげで楽しい一年でした。
来年もよろしくお願いいたします。
お大事に、良いお年をお迎えください。
合掌。
須永 晃仁 拝。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
葡萄豆とチョロギ
お汁粉に梅干し
のように、甘い黒豆に梅酢で漬けたチョロギがよく合います。
甘味と酸味は、両方とも陰性ですが、酸味が中性脂肪を溶かしてさっぱりします。
葡萄豆は冷凍でき、梅酢で漬けたチョロギも日持ちがします。
今回はレンコンの穴におでんの出汁で炊いたグルテンを詰めて揚げました。
油消しはなます。
揚げ物であまった油を使い素揚げしてから、油消しの生姜と一緒に炊いた高野。
豆腐味噌漬け
これも1か月くらいもちます。発酵して毎日味が変わる。
熱いご飯に載せてもうまい。
トーストに塗ってもうまい。
本年もよろしくお願いいたします。
葡萄豆とチョロギ
お汁粉に梅干し
のように、甘い黒豆に梅酢で漬けたチョロギがよく合います。
甘味と酸味は、両方とも陰性ですが、酸味が中性脂肪を溶かしてさっぱりします。
葡萄豆は冷凍でき、梅酢で漬けたチョロギも日持ちがします。
今回はレンコンの穴におでんの出汁で炊いたグルテンを詰めて揚げました。
油消しはなます。
揚げ物であまった油を使い素揚げしてから、油消しの生姜と一緒に炊いた高野。
豆腐味噌漬け
これも1か月くらいもちます。発酵して毎日味が変わる。
熱いご飯に載せてもうまい。
トーストに塗ってもうまい。
暖かいお正月で過ごしやすいですが、白菜がうまく漬からない。水が上がらないのに暖かいから。
今日は三日とろろ
お正月のお腹を休めるために、とろろご飯を食べる日。
円谷幸吉の遺書にも出てきます。
それはさておき、
恩師・田中先生がよくおっしゃっていた言葉に、
「遇うと遇わざると、なんぞそれ遥かなるや 」
があります。『性霊集』巻第四にあるもの。
仏法に遇うか、遇わないかは、ずいぶんと違うものだ、と。
仏と私
あなたと私
すべての関係がそのようだ、と。
お正月の味に遇うか、遇わないか
師や友に遇うか、遇わないか
そもそも、
僕らはあらゆるものに出会っているのに、
遇うべきものの一番近くにいるのに、すれ違っている、気がつかない
そういうことが多い。
僕らは、お勤めに最初のあたりに『開経偈』を唱えますが、
そこにも、
「百千万刧難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)」
とあります。
仏法の真理には
ものすごく、とてつもなく長い時間をかけても巡り合うことは難しい。
ということ。
ですから、
遇えた、会えて良かった
ということは、これは大変なことなんだ。
遇うと遇わないとでは天地の違いがある。
恋人に、家族に、趣味に仕事にも。
ということに気がつくのがひとつの悟りです。
それに気がついたとき、
美しい氷を大海に入れ、それが溶けてひとつになるように、
氷と海の境目が無くなるように、
仏と私が、
あなたと私が、
自分と周りが
そういう状態になることを、
自分の心を知る
と言います。
上の『性霊集』の言葉の前後、少し書きます。
石は重くて水に沈み、 蚊や虻は遠くまでは飛べない。
でも、
舟があれば、大きな思い石も世界中の海を渡ることができ、
鳳凰の翼につかまれば、蚊も虻も、世界の空を飛びまわれる。
もし、それぞれに出遭えなかったなら、
自分の能力ではとても達することはできないだろうけれど、
遇えばできる。
遇うと、遇わないとでは、遥かな違いがある。
だから、
仏教や密教に出会えば、
あなたに出会えば、
仕事に出会えば、
・・・・。
さて、
今年は誰に、何に遇えるだろうか。
今日は三日とろろ
お正月のお腹を休めるために、とろろご飯を食べる日。
円谷幸吉の遺書にも出てきます。
それはさておき、
恩師・田中先生がよくおっしゃっていた言葉に、
「遇うと遇わざると、なんぞそれ遥かなるや 」
があります。『性霊集』巻第四にあるもの。
仏法に遇うか、遇わないかは、ずいぶんと違うものだ、と。
仏と私
あなたと私
すべての関係がそのようだ、と。
お正月の味に遇うか、遇わないか
師や友に遇うか、遇わないか
そもそも、
僕らはあらゆるものに出会っているのに、
遇うべきものの一番近くにいるのに、すれ違っている、気がつかない
そういうことが多い。
僕らは、お勤めに最初のあたりに『開経偈』を唱えますが、
そこにも、
「百千万刧難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)」
とあります。
仏法の真理には
ものすごく、とてつもなく長い時間をかけても巡り合うことは難しい。
ということ。
ですから、
遇えた、会えて良かった
ということは、これは大変なことなんだ。
遇うと遇わないとでは天地の違いがある。
恋人に、家族に、趣味に仕事にも。
ということに気がつくのがひとつの悟りです。
それに気がついたとき、
美しい氷を大海に入れ、それが溶けてひとつになるように、
氷と海の境目が無くなるように、
仏と私が、
あなたと私が、
自分と周りが
そういう状態になることを、
自分の心を知る
と言います。
上の『性霊集』の言葉の前後、少し書きます。
石は重くて水に沈み、 蚊や虻は遠くまでは飛べない。
でも、
舟があれば、大きな思い石も世界中の海を渡ることができ、
鳳凰の翼につかまれば、蚊も虻も、世界の空を飛びまわれる。
もし、それぞれに出遭えなかったなら、
自分の能力ではとても達することはできないだろうけれど、
遇えばできる。
遇うと、遇わないとでは、遥かな違いがある。
だから、
仏教や密教に出会えば、
あなたに出会えば、
仕事に出会えば、
・・・・。
さて、
今年は誰に、何に遇えるだろうか。
身体の中にある数億の細胞ひとつひとつが僕を生かし、僕がその細胞一つ一つを生かしていますが、
宇宙全体が僕だとすれば、
宇宙にあるすべてのものひとつひとつが細胞のように僕を生かし、
僕がすべてを生かしている、
とも考えられます。
僕が吐いた炭酸ガスと、植物が出す酸素が交換するように。
だから、
生きているだけで何かの役に立ち、生きてさえいれば他を生かす可能性があります。
一本の大根も同じように、
大地と雨と太陽と風と、いろいろな力が加わって育ち、
農家運送屋商店のお世話になり、
料理する人の技と心が滋養を膨らませます。
同じ材料でも、作る人によって味が違うのは、
人によって吹き込まれるいのちが違うから。
それはさておき、
暖かい日が続くので、お惣菜の持ちが短いですが、
おせちの煮しめ、焼き物、揚げ物など、残りものを炒めて炊きカレーにします。
それが飽きたら、
玉ねぎ、春雨、中華麺を加えて具にした春巻。
きんとんは餃子の皮で包んで焼く。
残った揚げ油で、車麩を素揚げして油を吸わせ、残り油を無くす。
それを大根ニンジンと炊いて、吉野葛でとじます。
根菜と車麩の吉野仕立て
宇宙全体が僕だとすれば、
宇宙にあるすべてのものひとつひとつが細胞のように僕を生かし、
僕がすべてを生かしている、
とも考えられます。
僕が吐いた炭酸ガスと、植物が出す酸素が交換するように。
だから、
生きているだけで何かの役に立ち、生きてさえいれば他を生かす可能性があります。
一本の大根も同じように、
大地と雨と太陽と風と、いろいろな力が加わって育ち、
農家運送屋商店のお世話になり、
料理する人の技と心が滋養を膨らませます。
同じ材料でも、作る人によって味が違うのは、
人によって吹き込まれるいのちが違うから。
それはさておき、
暖かい日が続くので、お惣菜の持ちが短いですが、
おせちの煮しめ、焼き物、揚げ物など、残りものを炒めて炊きカレーにします。
それが飽きたら、
玉ねぎ、春雨、中華麺を加えて具にした春巻。
きんとんは餃子の皮で包んで焼く。
残った揚げ油で、車麩を素揚げして油を吸わせ、残り油を無くす。
それを大根ニンジンと炊いて、吉野葛でとじます。
根菜と車麩の吉野仕立て
一緒にご飯を食べたり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たりすると、人はとても仲良くなれますが、
一緒に拝むと、もっと仲良くなれます。
お互いの心だけではなく、それぞれがつながっている人、それぞれ思うことが、
鏡と鏡が映りあうように、何重にも相応する。
ハーモニーですね。
仏は心に住んでいますから、互いを拝むことは本来当たり前のことなのだけれど、
普段はなかなかそうもいかない。
でも、
できることなら、
世界中の人と一緒に拝むことでができる毎日になればいい。
老化とは硬化のことで、歳をとるごとに身体は硬くなります。
歳を取るというのは陰性になるということで、死が一番陰性な状態ですが、
働きが陰性になるから構造は陽性に、つまり固くなります。
日々工夫を積まないと心も硬くなる。
せめて、毎日拝んで心を柔らかくしたい。
毎年、
祈願のお申し込みをいただいて、毎月縁日にご祈祷していましたが、
僕らはどうせ毎朝お勤めをするのですから、今年から毎日ご祈祷しています。
僕が拝んでどれくらいの力があるのか分かりませんが、
できれば一緒に拝みましょう。
いつどこにいても、心は近く遠くを自由に思う事ができ、過去も未来も思う事ができます。
かように心は無限ですから、
一緒に拝みましょう。
一緒に拝むと、もっと仲良くなれます。
お互いの心だけではなく、それぞれがつながっている人、それぞれ思うことが、
鏡と鏡が映りあうように、何重にも相応する。
ハーモニーですね。
仏は心に住んでいますから、互いを拝むことは本来当たり前のことなのだけれど、
普段はなかなかそうもいかない。
でも、
できることなら、
世界中の人と一緒に拝むことでができる毎日になればいい。
老化とは硬化のことで、歳をとるごとに身体は硬くなります。
歳を取るというのは陰性になるということで、死が一番陰性な状態ですが、
働きが陰性になるから構造は陽性に、つまり固くなります。
日々工夫を積まないと心も硬くなる。
せめて、毎日拝んで心を柔らかくしたい。
毎年、
祈願のお申し込みをいただいて、毎月縁日にご祈祷していましたが、
僕らはどうせ毎朝お勤めをするのですから、今年から毎日ご祈祷しています。
僕が拝んでどれくらいの力があるのか分かりませんが、
できれば一緒に拝みましょう。
いつどこにいても、心は近く遠くを自由に思う事ができ、過去も未来も思う事ができます。
かように心は無限ですから、
一緒に拝みましょう。
時間と空間では、時間のほうが陽性で空間が陰性になります。広がりがありますからね。
心と身体では、心のほうが陰性ですが、それゆえに心は陽性を引きつけやすい。
陽性な生活、陽性毒の多いものを食べていると、心の陰性が消えるので、いろいろ問題が生じると考えられます。
ですから、心に諸問題がある時は、
陰性な食べ物をふやせばよろしい。
発汗も心身を陰性にします。
さて、
密教には、
「遍満している」
という表現が多く使われます。
『十住心論』には
近くして見難きはわが心
細にして空に遍ぜるはわが心なり
わが心広にしてまた大なり
とあり、
僕らが修法する金剛界の次第には、
すべてのものは自分の心から生まれ、
幻のような迷いの世界も、
虚空界に遍満している諸仏によって目覚めさせられる
と。
宇宙に、虚空に、いたるところに、
宇宙の真理、それは仏法のことですが、
大日如来が遍満している 。
なのに、それに気がつかない
如来の智慧と慈悲に包まれているのに気がつかない。
気がつかないのは、自我があるから。
自我はそれと自分との間に仕切りを作りますから。
で、
大日如来は心の中に住んでいます。
仏とは誰のことか
自分の本心の名である(『慕仙詩』)
仏とはもとより備わっている自分の心の徳である(『中寿感興詩』)
とあるように、
大日如来とは自心である、といって良いでしょうから、
心もあらゆるところに遍満しています。
僕は今ここにいて、遠くの人を思うことができ、
過去を思いだし、 未来を創造することができます。
かように心は遍満している。
当然、僕の心と他の心も同じ大日如来で、同じように遍満して溶け合っていますから仕切りが無い。
仕切りが無いから平等である。
せめて一時でもいいから、
それに気がつけるような毎日にしたいものです。
極楽世界は自分の心の中にあるのである
悟りの境地は本来的に我々の心の中に在るものである(『造曼荼羅願文』)
仏さまはどこにおられるか。自分の身体の中におられる。
法をさとるものは誰か。わが心である(『供三宝願文』)
この宇宙より広く大きいものはわが心
かの宇宙間に最も尊いものは自身中の仏である(『平城天皇灌頂文』)
諸仏は宇宙そのものであるから、わが身はその中心にいるのである。
自分も宇宙そのものであるから、諸仏は我々の中におられるのである(『理観啓白文』)
大日といっぱ、此れ衆生の本覚なり(『雑問答』)
心と身体では、心のほうが陰性ですが、それゆえに心は陽性を引きつけやすい。
陽性な生活、陽性毒の多いものを食べていると、心の陰性が消えるので、いろいろ問題が生じると考えられます。
ですから、心に諸問題がある時は、
陰性な食べ物をふやせばよろしい。
発汗も心身を陰性にします。
さて、
密教には、
「遍満している」
という表現が多く使われます。
『十住心論』には
近くして見難きはわが心
細にして空に遍ぜるはわが心なり
わが心広にしてまた大なり
とあり、
僕らが修法する金剛界の次第には、
すべてのものは自分の心から生まれ、
幻のような迷いの世界も、
虚空界に遍満している諸仏によって目覚めさせられる
と。
宇宙に、虚空に、いたるところに、
宇宙の真理、それは仏法のことですが、
大日如来が遍満している 。
なのに、それに気がつかない
如来の智慧と慈悲に包まれているのに気がつかない。
気がつかないのは、自我があるから。
自我はそれと自分との間に仕切りを作りますから。
で、
大日如来は心の中に住んでいます。
仏とは誰のことか
自分の本心の名である(『慕仙詩』)
仏とはもとより備わっている自分の心の徳である(『中寿感興詩』)
とあるように、
大日如来とは自心である、といって良いでしょうから、
心もあらゆるところに遍満しています。
僕は今ここにいて、遠くの人を思うことができ、
過去を思いだし、 未来を創造することができます。
かように心は遍満している。
当然、僕の心と他の心も同じ大日如来で、同じように遍満して溶け合っていますから仕切りが無い。
仕切りが無いから平等である。
せめて一時でもいいから、
それに気がつけるような毎日にしたいものです。
極楽世界は自分の心の中にあるのである
悟りの境地は本来的に我々の心の中に在るものである(『造曼荼羅願文』)
仏さまはどこにおられるか。自分の身体の中におられる。
法をさとるものは誰か。わが心である(『供三宝願文』)
この宇宙より広く大きいものはわが心
かの宇宙間に最も尊いものは自身中の仏である(『平城天皇灌頂文』)
諸仏は宇宙そのものであるから、わが身はその中心にいるのである。
自分も宇宙そのものであるから、諸仏は我々の中におられるのである(『理観啓白文』)
大日といっぱ、此れ衆生の本覚なり(『雑問答』)
Mくんは母子ふたりの生活で、冬になると毎年、一週間でみかん10キロを食べる。
長年たくさん食べているだけあって、
剥きかた食べかたがきれい、手足が黄色い。
で、
みかんをたくさん食べているから、風邪なんて引いたことないよ
と言う。
Kさんはひとり暮らしのおばあちゃんで、真冬になると、ストーブの上にニンニクをひとかけら置いて、焦がして食べている。
毎日ひとつづつ、これを食べているから風邪なんか引かないよ
と言う。
ごはん、味噌汁、漬物という普通の食生活をしているのが、もっとも風邪予防に良いのだけれど、
この人たちは体液を酸化させるもの、
酒、タバコ、コーヒーなどを飲まない
煮物漬物で野菜の量が多い
のが素晴らしい。
インフルエンザなどの風邪は、
陰性な冬に流行するのだから陽性の性質があります。
ウイルスの形も陽性で、陽性な症状を引き起こす。
で、症状は発熱などの酸化症状
ですから、
普段から陰性でアルカリのものを摂っていれば罹りにくく、
罹っても大事に至らないと考えられます。
心配ない、ということですね。
食養では、
手当ては飲み物で、予防は食べ物です。
食べ物で腸を刺激して免疫力を上げ、
飲み物で腎臓を刺激して排毒させます。
それから、
早食い、
食後にすぐ湯茶を飲む
のふたつを避ければ、風邪の心配は無い。
長年たくさん食べているだけあって、
剥きかた食べかたがきれい、手足が黄色い。
で、
みかんをたくさん食べているから、風邪なんて引いたことないよ
と言う。
Kさんはひとり暮らしのおばあちゃんで、真冬になると、ストーブの上にニンニクをひとかけら置いて、焦がして食べている。
毎日ひとつづつ、これを食べているから風邪なんか引かないよ
と言う。
ごはん、味噌汁、漬物という普通の食生活をしているのが、もっとも風邪予防に良いのだけれど、
この人たちは体液を酸化させるもの、
酒、タバコ、コーヒーなどを飲まない
煮物漬物で野菜の量が多い
のが素晴らしい。
インフルエンザなどの風邪は、
陰性な冬に流行するのだから陽性の性質があります。
ウイルスの形も陽性で、陽性な症状を引き起こす。
で、症状は発熱などの酸化症状
ですから、
普段から陰性でアルカリのものを摂っていれば罹りにくく、
罹っても大事に至らないと考えられます。
心配ない、ということですね。
食養では、
手当ては飲み物で、予防は食べ物です。
食べ物で腸を刺激して免疫力を上げ、
飲み物で腎臓を刺激して排毒させます。
それから、
早食い、
食後にすぐ湯茶を飲む
のふたつを避ければ、風邪の心配は無い。
病院以外にも鍼灸整体漢方あれやこれや
といろいろな治療や手当てがありますが 、
多くは、血行を良くしたり排毒を促すことによって、痛みなどの苦痛を和らげることができますが、新しいきれいな血を、心身を作ることはできない。
だから、限界がある。
でも、
食事と日常生活の工夫なら、血液を作り心身を作りますから、根本的な解決になりそうです。
レンコンは比較的陰性な野菜なので、陰性な肺の滋養になり、きれいな血を作り、喘息セキなどの薬になります。
レンコン料理のひとつが蓮餅。
揚げ物焼き物蒸し物など、いろいろ応用できますが、すり下ろしてお揚げに詰め、信太仕立てで炊く。
レンコンは節の細い固いところが陽性で味が濃いので、そこを使うと味が良くなります。
玉ねぎを多めのごま油で炒め、すり下ろしたレンコンと味噌でペーストにすると、
パンにパスタに、いろいいろな種に使え、保存も効きます。
といろいろな治療や手当てがありますが 、
多くは、血行を良くしたり排毒を促すことによって、痛みなどの苦痛を和らげることができますが、新しいきれいな血を、心身を作ることはできない。
だから、限界がある。
でも、
食事と日常生活の工夫なら、血液を作り心身を作りますから、根本的な解決になりそうです。
レンコンは比較的陰性な野菜なので、陰性な肺の滋養になり、きれいな血を作り、喘息セキなどの薬になります。
レンコン料理のひとつが蓮餅。
揚げ物焼き物蒸し物など、いろいろ応用できますが、すり下ろしてお揚げに詰め、信太仕立てで炊く。
レンコンは節の細い固いところが陽性で味が濃いので、そこを使うと味が良くなります。
玉ねぎを多めのごま油で炒め、すり下ろしたレンコンと味噌でペーストにすると、
パンにパスタに、いろいいろな種に使え、保存も効きます。
申年でございますが、
『雑阿含経』巻十二に、
心は枝から枝へ飛び回る猿に警えられています。
心を把捉することはとても難しい、ということ。
中国・鄧芝の話に、
子を抱いた母猿を射止めると、子猿はその矢を抜き、薬草を探してその傷口につける、
とあります。
サルは母子の愛情が深い、という話。
猿といえば秀吉
秀吉といえば割り粥と麦飯
割り粥は米を割ったものですが、
仏前にお供えする洗米は、供えている間に乾燥して割れますが、それで炊くと良い粥になります。
僕は粥も麦飯も好きですが、それと反対の消化が良くないおこわも好き。
最近は時間が無いときでも、炊飯器でパッと炊きます。
水切りしてすぐに炊飯器に入れ、
少しづつ残っていたニンジン、れんこん まいたけ、出し殻昆布を入れて、すぐに炊く。
野菜をたくさん入れて消化を助けます。
大根の葉、山芋の端、わかめ、油揚げ、昆布だしでみそ汁。
煮えたら豆腐を加えて味噌を溶いて火を止める。
おこわもみそ汁も、
お椀を両手で包むと温まる。
そしてホッとする。
温泉に入っているサルみたいな気持ちになる(気がする?)
『雑阿含経』巻十二に、
心は枝から枝へ飛び回る猿に警えられています。
心を把捉することはとても難しい、ということ。
中国・鄧芝の話に、
子を抱いた母猿を射止めると、子猿はその矢を抜き、薬草を探してその傷口につける、
とあります。
サルは母子の愛情が深い、という話。
猿といえば秀吉
秀吉といえば割り粥と麦飯
割り粥は米を割ったものですが、
仏前にお供えする洗米は、供えている間に乾燥して割れますが、それで炊くと良い粥になります。
僕は粥も麦飯も好きですが、それと反対の消化が良くないおこわも好き。
最近は時間が無いときでも、炊飯器でパッと炊きます。
水切りしてすぐに炊飯器に入れ、
少しづつ残っていたニンジン、れんこん まいたけ、出し殻昆布を入れて、すぐに炊く。
野菜をたくさん入れて消化を助けます。
大根の葉、山芋の端、わかめ、油揚げ、昆布だしでみそ汁。
煮えたら豆腐を加えて味噌を溶いて火を止める。
おこわもみそ汁も、
お椀を両手で包むと温まる。
そしてホッとする。
温泉に入っているサルみたいな気持ちになる(気がする?)