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[ 2025/03/15 02:31 | ]
早弁 駅便
「早弁」(はやべん)は、

お昼休みまで待たず、1時限目2時限目の休み時間、もしくは自習時間中にお弁当を食べることである。

「早便」(はやびん)は、

郵便や鉄道で、その日の早い時間に出発したり到着したりするもの。

うんこを素早く済ませるのは早便ではなく早糞(はやぐそ)。
 
これは、

早寝、早飯、早算用と並んで、昭和のおじさんが得意とするものであり、当時は美徳でさえあった。


弁当は辨当、便当などとも書かれ(日本国語大辞典)、便當と書かれた駅弁もある。

高島俊男によれば、

「便当(ビエンタン)」(便利な)という支那語を、日本流に「べんとう」と読み、字は弁当となった。

飯桶の「面桶(ミエントン)」の漢音から「べんとう」になった。

と説があり、いずれにしても弁は当て字で意味はない。 (『お言葉ですが 2』)


そもそも弁は、

弁:かんむり 帽子のこと
辨:区別する 辨別(弁別)
辧:処理する 辦務官(弁務官)
瓣:花びら  花瓣(花弁)
辯:ことば  辯説(弁説) 辯雄(雄弁)辯護士(弁護士)

を戦後の国語改革でみな「弁」に統一してしまったものである。

弁当は「辨當」(辨(そな)へてその用に当てるの意か)と日国にあるが、これは後からつけたものであろう。和語ではないから、こんな語源は信用できない。
 

「便」は、

都合がよいこと、

のほかに「大便」つまり、うんこの意味がある。

なぜ、うんこが「便」なのかはよくわからないが、ウンコの正式名称は上記にもあるように「糞」である。

これは「古事記」にもある言葉で、

イザナミの糞から生まれたのが、波邇夜須毘古神(ハニヤスヒコノカミ)と波邇夜須毘売神(ハニヤスヒメノカミ)。

ちなみに、僧侶のことを「糞坊主」と云うのは皆さまご案内の通りである。


うんこは幼児語で、「うん」はいきばる声、「こ」は接尾語

以上のことから、


駅弁は駅便でも良いのだけれど、

駅でうんこをする、ということにしても問題ない。

鉄道マニアには、駅の便所を愛するグループがあり、彼らはそれを駅便と呼ぶが、

駅でウンコをするのも駅便で良いだろう。

駅糞では味気ないから。



東海林さだおは、

「男は誰しも偉業に憧れる。

何か大きなことを成し遂げたい。

という性とか業から逃れられない」

と覚り、

歴史上の偉人たちのような業績をなすために、

「富士そば」の全メニュー制覇という偉業を目指したが、(『偉いぞ!立ち食いそば』)

僕も、せめて新幹線全駅のトイレでうんこをする、駅便制覇という偉業に立ち向かってみたい。





お弁当の本、あります。どうぞ、お求めください。

『穀菜食の舎 須永家のお弁当レシピ』(博進堂刊)

お申込は下記リンク先から、

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[ 2017/06/11 07:38 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
お金の話
父の三回忌にあたり、

施主は母だけれど、僕がいろいろ段取りをした。

菩提寺(僕は在家出身なので菩提寺がある)の本堂で読経後、お墓参りをして、近くのそば屋で会食。

見積もった費用は、

・寺へのお布施(三回忌供養の謝礼)

・僕(の寺)からの御供料

・お供えの菓子折り代

・12時からの読経をお願いして、会食に住職はお誘いしないのでお膳料
 (食事時に仕事を頼むのだから)

・参列する親類への引き物(菓子折り)代

・会食の飲食代

このほか、僕らの交通費などは考えない。

費用の大半は母が用意して、当日は親類から幾許かのお香典をいただく。

以上が収支関係ですね。


当日、お寺へ行ったら、母の名前で塔婆が用意されていた。

僕からは依頼していないけれど、お寺の好意である。

こういう時、特に塔婆料は必要ないと思うけれど、母に確認したら、包んでくれ、と云う。

なので、御宝前に供えられた香典袋に塔婆料を差し込んだ。

以上、それぞれの項目の額に決まりは無い。すべてこちらの好意である。


最近、思うことがある。

僧侶派遣会社の広告を見ると、

費用はお布施〇〇万円のみ。

お膳料、交通費などは不要です

などとある。

お膳料はまだしも、交通費はどんな職種職業でも発生するものではないだろうか。

支払う側にしても、交通費の負担をするということが最も気になることではないだろうか。



それから、

派遣業務や講師料などで、

主催者が参加者から参加費を徴収し、

そこから会場費などを引き、

講師料を払い、

残りが主催者の収入になるのだろうけれど、

参加者にその内訳は知らせないのだろうか。

自分が支払ったお金がどのように使われるのかを知る権利はあるはず。

例えば、

3000円の参加費を払い、

そのうち2000円が講師に渡り、残りは経費である

というようなことを説明しないのだろうか。


さらに、

収入は参加者の会費

支出は会場費、手数料、講師料、講師の旅費

の場合、

まず決めるのは講師料と旅費で、そこから参加費を計算するのがビジネスである。

もし、参加費(参加者)が少なくて収入が低い場合、

赤字は主催者が補填する。

収入が思わしくないから講師料が払えない、というのは失格である。


世の中では、

最初に決めた予算が膨れ上がって、当初よりお金がかかるけれどどうしようか、

なんていう市場やオリンピックなどがあるようだけれど、

何のための予算なのだろうか。


ともかくも、

お金の話は悩ましいものである。



[ 2017/06/12 07:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
ワンチャン生かされている



冗快さんの個展にお邪魔して、とても良かった。

特にモノトーンの作品が美しい。


「冗快きり絵の世界」

http://www43.tok2.com/home/nihonbashiumemura/concept.html

・6/12(月)~6/18(日) 11:00~18:00(※最終日は16:00迄) 

・ギャラリー 日本橋 梅むら 

東京都中央区日本橋室町1-13-1梅むらビルB1
(コレド室町3の東側です)


冗快さんの作品のひとつ、『冗快ひとり戯言』のなかに、
 
生かされている
なんて思わないで
生きた方が
楽かもしれない

という頁があるのだけれど、

「生かされている」という言葉はちょっと気持ちが悪い、

と僕は感じる。


ところで、

来週はいつ車が必要?

と次男に聞いたら

ワンチャン火曜日

と答える。

maybeとかperhapsのことみたいだけれど、おじさんは使いこなせない。

若者言葉はおもしろいからよいけれど、

「生かされている」は、おもしろくない。

原罪があるキリスト教にはそういう考えかたがあるのかもしれないけれど、

気づき、癒し、自分探し、のような生ぬるい気色悪さがあるし、

させていただく、と思います

のような、言い訳の余地を残すような気持ち悪さもある。


ダラダラグズグズしていないで、直ちに修行に入りなさい、

というのが基本の仏教では、生も死も積極的なものです。 

だから、

生きる上で起こる個人的な怒りは、世界を救う怒りに変わり、

煩悩は菩提に転換し、

欲望を感じる感覚は、悟りの智慧に転じる。


よくよく考えると、

僕はただ生きているだけ

転んだらただ痛いだけ

気温の高い日は、ただ暑いだけ

存在が真実である本不生。

そうなるべきもの、あるべきものであって、

あるものではない。


でも、

ワンチャン生かされている

なら随分といいかな。


[ 2017/06/13 15:52 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
道草 新大阪駅編
ホクロの質問が続きまして。

ホクロは大げさに云えば血管腫ですが、食養的に見れば糖分が燃焼した跡です。

それ自体はツヤがあれば血がきれい、ということ。

その場所と臓器が関係しているということ。

問題なのは大きさとツヤが無い場合ですが、余り気にしなくて良い。

運勢とは関係なく、糖分の摂取と内臓との関係があるだけです。

ある程度歳をとったら、アゴをきれいにするほうが運が良くなるでしょう。

アゴは腎臓系、酸味と野菜できれいになります。これからの時期、たくさん発汗することもよろしい。

法冷線は足腰の様子なので、消さないほうが足腰がしっかりして運が良くなる。

あとは、枕カバーを毎日取り替えることかな。


それはさておき、

東京から東海道新幹線に乗ると、

小田原酒匂川の橋、熱海の海、富士山、大井川、天竜川、浜名湖、木曽川、長良川、揖斐川、
関が原、米原の鉄道総合研究所、瀬田の唐橋、東寺の五重塔、山崎のサントリー、鳥飼の車両基地と眺めているうちに新大阪に着く。あっという間。




ここで泊まることが多い。

北のメルパルク向かいにあるヴィアイン・ウエストは、部屋は狭いけれど朝ごはんが上品。


ゆったり過ごせるのが、西にある大阪ガーデンパレス。

駅北口より無料シャトルバスで約3分。

向かいのビルに「天然温泉 ひなたの湯」があり、

土曜日以外は朝6時から入ることができる。


南方のクライトンは比較的安価で大浴場がある。サラリーマンが多い。


駅直結のレム新大阪には、トレインヴュールームがある。


新幹線ホームから降りると、

2階東南側通路の「アモール パントリー」で、夕飯のお酒と食べ物を買う。

自然派の弁当や無添加の漬物、良質な豆腐があり、酒の品揃えもよい。


時間がある時は、

2階 西側の本屋「リブロ」に立ち寄る。

ここは、雑誌のバックナンバーやローカル出版の本も揃って楽しい。


ほとんど外食はしないのだけれど、

人と会ってしょうがない時は、1階と2階にある「うどんすき 美々卯」

大阪らしいものが食べられる。


晴れた日は、

南口にあるJR西日本のレンタルサイクル「駅リンくん」で自転車を借りて仕事へ向かう。一日350円


新大阪駅新幹線ホームは8本あり、東海道・山陽・九州の各車両が見られて楽しい。




新大阪はドクターイエローに会う確立が高い。

上り下りとも、ドクターイエローが新大阪駅に到着すると、一旦鳥飼車両基地へ向かい、

その後また新大阪駅へ戻り、運転手が交代して目的地へ向かう。

なので、停車時間も比較的長い。


ダイヤは非公開だけれど、

下りは14時から16時くらい
 
上りは13時半から16時半くらい

に見たことがある。







[ 2017/06/14 09:00 | Comments(0) | 道草 ]
人間関係の秘密
『南北相法』には 、

中指が自分、薬指は配偶者、小指が子ども、とあります。

ヒトの細胞では、

外胚葉(表皮・神経系)、内肺葉(消化器系)、中胚葉(循環器系)が形成され、

外胚葉は陰性で、中胚葉がもっとも陽性。

陽性なので分裂せず、中心(陽性な場所)である中指になります。

陰性な外胚葉はもっとも陰性な外側へ向かい、陰性ゆえに分裂するので薬指と小指になります。


つまり、

一番陽性な中指が自分(他と比べる時、自分は常に中心に存在する)

中指は循環器系(血の巡り=判断力)なので情と関係する。

薬指は神経系の経絡で知と関わるので、

知と情の関係が夫婦になります。

小指は生殖器の経絡なので子どもを現す。


これを知っていると便利で、

それらの指の傾きで両者の関係が分かり、

それぞれの指の勢いで、体調を観ることができます。


情は血の巡りの良し悪しですので、

血行がよければ、自分とそれ以外の関係はうまくいきます。

さらに、

判断力を表す感情線(これは循環器系)と生殖器を表す小指の間に結婚線ができます。

子どもが出来るかどうか、
 
子どもを育てる判断力があるかどうか

が現れる。


いずれにしても、

結婚を始め、人間関係の吉凶は陰陽の問題です。

陽性な男と陰性な女

陰性な男と陽性な男

この組み合わせなら吉。

生活の中で陰陽は変わるので、その時に相手も変われば問題無く、

変わらずに陽性と陽性になれば衝突し、陰性と陰性になれば離れる。

男女のみでなく、あらゆる人間関係に当てはまります。


陰性な人が陰性な他人と仲良くなりたいと思えば(もし、そんなことがあるならば)、

自分が陽性になればうまくいく。

つまり、

自分次第で何でも変えられる

ということです。




[ 2017/06/15 07:00 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の探求 1

先日、『維摩経』ってどんなお経ですか、

と縁者から聞かれました。

学生時代に仏教概論の講義で、

これはドラマ仕立てになっているからおもしろいよ

と教わったなあ。


主人公(維摩居士)の病気見舞いにいった菩薩たちが、仏教についていろいろ話します。

生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、自我と無我、迷いと悟りなどの相反する概念は、

もともと二つに分かれたものではなく、一つのものであるという話。

そして、

そのような対立するもの、相対する概念を超越したところに解脱の境地があるということを、

主人公は沈黙を持って示します。

岩波現代文庫に入っていますので、関心のあるかたはどうぞお読みください。


この経典のなかに、

心清浄なるがゆえに有情清浄なり

という言葉があります。

山は山、水は水、あなたはあなたで、それぞれが真如の妙体。

清浄でないものの姿は、清浄でない心の反映、ということ。


『釈論』には、

自分の心・仏・衆生が三平等であると知る心が、真理の根源、万有の本体であり、

善悪、美醜、大小、優劣の別相は不平等心に映る仮像

とあります。


僕らの本体は、

その中に仏の性質を具えている

ということで、

それが、心という姿をとります。

心という現象は、それが仏そのものであるという真理と一である、

ということ。


すべては平等であり、ふたつに分かれたものは元々ひとつのものである

というのは事実ですが、

それが清浄である、というのは価値判断。

仏教は、そういう立場です。

 


[ 2017/06/17 06:45 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の探求 2

先日、

ある勉強会に出席したら、

講師先生の目尻に汚いシミがたくさんあった。

そこは奸門と云い、人間関係特に男女関係のトラブルがあると汚れが現れる。

肝臓の排毒がある、ということ。

いろいろ大変なのだろうなあ、と思い、平安を祈った。


過日、

さわやかな朝食会場で、若いご婦人と向かい合ってハムエッグを食べている紳士の眉が立っていた。


性交の後は眉毛が陰性になる。

陽性が抜けるということだから、自慰行為や生理でも同じようになる。

いろいろ頑張っているのだろうなあ、と思い、無事を祈った。


そう思ったり祈るのは心ですが、

仏教では、

心の主体(大日如来・私そのもの)

心の作用(その他の諸尊・私を構成している細胞それぞれ)

の二つを考え、


さらに密教では心を

チッタ :対象をとらえて思い計らう心、煩悩、迷いの元(悟りの元でもある) 現象


フリダヤ:心臓 仏身そのもの 真如そのもの

のふたつを考えます。

このふたつはひとつでふたつ。


『大日経』に書かれているのは、

本当の我(仏、悟り、心)が一切のものを自己の細胞として包蔵し、これを生かし、育む。

だから、一切を見ることは、自分自身を観ることと同じである。

悟り(幸せ)を求める最初の心から、悟り(幸せ)に至るまでの過程が人生であり、

つまりそれは、

如実に自心を知るための過程。

人生とは何かと云えば、

自心を知ることである。

なぜならば、

悟りも迷いも、心より生ずるから。


それらの心が大日始め、諸尊を存続させる。


心を見つめると、

貪り、怒り、慢心、疑い、妬みなどがあり、

それを冷静に観察し、他人に対する慈悲の働きかけを通して超克する

それが仏教徒の人生と云えます。




[ 2017/06/18 08:36 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の探求 3
坊さんだって人間だから、

坊さん以外の人と、考えていることもやっていることも同じだよ

というような言いかたがある。

坊さんが医者や教師やおまわりさんや総理大臣だったりすることもある。

さらには、

サルでもイヌでもネコでも同じですよ

とも聞く。


そしてまた、

大人も子どもも同じですよ、というような言いかたもあり、

それが、

男でも女でも

日本人も外国人も

というのもある。 


生きかたはみな違う。

同じようにウンコやオシッコはするけれど、頭の中とそれに基づく行動は違う。

誰一人として同じものはない。 


サルはサルである。人間と似ている点があるかもしれないけれど、

現象が似ていることに意味は無い。

そして、

心の働きで、論理的説明がつけられないものは妄想である。


ところが、

『金剛頂経』では、

私と大日如来は相似であるから、同じものである

と説く。

この経にある「仏になる方法」を修法することで、

心は仏の心になり、

身体も仏になる。

仏の世界である曼荼羅の中心に入り、

自心の中にも曼荼羅が現れ、

中心におわす大日如来が自分であり、その周囲の仏菩薩諸尊が私の心の働きをする。

脳が大日になり、身体の細胞それぞれが眷属になる。


つまり、

私が大日と相似になるように、体と言葉と心を調えれば、

私は大日と瑜伽(相応)できる。

簡単に云えば、 

勉強と修行によって心が仏のそれと似てくれば、

身体も仏になって、仏と我が同じになる。

それは、今見える私ではなく、本来そうであるべきものになる、

ということ。



[ 2017/06/19 06:23 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
安倍首相を望診してみる 
望診法では、

額(人望)、眉(兄弟縁、気性)、目(肝臓)、鼻梁(背骨)、小鼻(生殖器、肺)、

唇(消化器)、法令線(社会的立場)、耳(人生全般、腎臓)

などを観ます。

あの人には大根料理が合うと思うなあ。


※陰陽研究塾の記事 46 「安倍首相を望診してみる」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/uwI2sx6NqgA 








 


[ 2017/06/20 08:45 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
元気な日中と安らかな夜のための食事

暑くなってきましたので、陰性な野菜をたくさん食べましょう。


若い頃に蓄積していた陽性は50歳前後から溶け出してきますが、特にこの季節は排毒が促されます。これは陽性症状なのに咽喉の渇きが無いのが特徴。

 


※陰陽研究塾の記事 47
  



元気な日中と安らかな夜のための食事」
https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/EVcaKIpNXLk















 



[ 2017/06/20 10:23 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
心の探求 4:愛情を捨てる

『十住心論』では、

自分のことばかりで他人に関心を示さない、貧しく暗く狭く卑しく濁っている心から、

他への広大な思いやりを持つ、豊かで明るく広く深く清い心までを十の段階に分け、

そのうち最初の三つを世間三カ住心と云う。それは、欲と怒りと愚痴の世界。

ひとつめは、


悲しみ、苦悩の時、検討違いなことばかりして迷いを重ねる心。

その時に、

性欲、物欲、名誉欲が不安の支えになると錯覚する。


ふたつめは、道徳の世界。

道徳的に振るまっても中身は落ち着かず、十進九退で前にはなかなか進まないことが多い。


みっつめは、天神への信仰

自分の成果を祈って安心することもあるけれど、

お蔭が無ければ続かない。広く明るい安らぎがない。


これを越える方法のひとつが、自分(のもの)への愛情を捨てること。

その愛情は執著になり、炎天下で喉が乾くように心身をかきたて、真理を覆う。


執著を離れれば、慈悲があふれる。

個別の愛情から、大きな慈悲へ転換する。これを大欲と云う。


例えば、

少欲知足は物事を否定して真実に至ろうとする消極的な方法で、

大欲は物事を肯定して、積極的に生かそうとする方法。


心は固定的実体ではなく、因果という他との関係性の中にあるだけなので、

最初は過去と現在の自分のことだけだけれど、

だんだん友人家族すべての人に広げるように、

どこまで気を配るかで変わる。


この広大な心を身につけるには、

腹式呼吸が有効で、

さらに妄想錯覚を事実と混同しないためには(迷わない)、

イメージと呼吸を合わせる浄化呼吸法が役に立つ。

このとき、脳を維持する穀物(炭水化物)が滋養になる。

基本的には脳内の血行が良くないと心も乱れるので、

きれいな血を作る食事と呼吸と運動と睡眠は大切である。


不平不満妬みは陰性なので拡散し、

怒り、執著は陽性なので、内にこもって固くなる。

だから、

中庸で片寄らない普通の生活が、心にはよろしい。



[ 2017/06/20 10:56 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
コレステロール降下剤と食養

コレステロール降下剤であるスタチン は、主に肝臓に分布し、コレステロール生合成を低下させます。


つまり、陰性な働きがあるということ。

https://groups.google.com/forum/?hl=ja#!topic/inyoukenkyu/pPOFdthWEAY









[ 2017/06/21 06:56 | Comments(0) | 陰陽研究塾 ]
望診の練習
著名人の望診なんて酔狂なことですが、

アベさんの顔は特徴が多いので望診しやすい。
http://shintenan.syoyu.net/%E9%99%B0%E9%99%BD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%A1%BE/%E5%AE%89%E5%80%8D%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%82%92%E6%9C%9B%E8%A8%BA%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%BF%E3%82%8B

女性はお化粧しているから難しいですね。

ホクロやシミも隠れるので情報が少ない。

眉は書いているのでしょうが、

眉毛がどのように生えているかを観たいので、書いたものでは生理的なことはわからない。

眉と目の間はそれほど広くない 、ここは財産運を観ます。
 
目は左右の大きさが違う、これは陰陽のバランスが調っていないのですね、

眼球が上がっているのは歳のせいでしょうが、色は陽性ですね

鼻梁の勢いは強くないですが、女性ならこんなものでしょう。

姿勢を正しくするともっと良くなる。

小鼻は張っていますが、

鼻の下が狭いので、子どもの縁は薄いかな。

上唇が薄く 、下唇が厚いところで胃腸の状態がわかります。

歯並びで子どものころの食生活がわかるのだけれど、矯正しているかな。

あごは陽性な形す。

耳は形も位置も良いですね。 


全体でみると、首相は米と魚で育った顔ですが、知事さんは肉食かな、たんぱく質が多い。



望診でわかりにくい時は画数を観る。

小池は10画(あ)

池と百で13画(い)

百合子で15画(う)

小と合子で12画

(い)と(あ)の流れは、アクシデントに会うことが多い

(い)と(う)の流れは吉。

全体的にチャレンジタイプで、人間関係は理解されにくいところがある。

根性はあるけれど、本当は引っ込み思案なのかな。
 

ちなみに首相は、

身内に頭痛の種があるとか、

行動的だけれどリスクも伴うとか、
 
ちょっと特殊な画数なのだけれど、

宗教や芸術に進むと良いだろうな。


手相も観てみたいものです。





[ 2017/06/21 07:50 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の探求 5
山に入ってタケノコを伐らないとなあ、

面倒くさいなあ

と思っていたら、

近所のおじさんが収穫してくれ、

さらに、

ウラに積んであった鉄材を、お金になるからと持って帰ってくれた。

おじさんのおかげでずいぶんと気持ちが楽になった。


10年ほど前、

育成会(子ども会)の会長職が輪番で回ってきた。

さらに町内会長の順番も重なって、

大変だねえ、と皆に言われた。

よくよく考えてみれば、大変だと思えば大変だけれど、おもしろいと思えばおもしろい。

事実、その一年は殊の外楽しかった。


 
鉄のフライパンは重いから、軽いものに変えたら料理が楽になったけれど、

料理の味がイマイチである。

鉄の思いフライパンを使いこなせるように自分を鍛えれば良いのである。


心は自分の内側からも、外からの事情でも、ころころと変わる。

なぜなら、

心は本来清浄で無垢だから、その上にはいろいろ清濁が刷り込まれ、

知らず知らずのうちに、それらが湧き起こるから。


心には八乃至十のレベルがあり、

最初の六つが表層意識(眼耳鼻舌身の識と意識)、

次の二つが深層心理。

その一番深いところにある心が本来清浄なのだけれど、

ここに今までにいろいろ録画録音されたものが、

または種子が蒔かれて芽を出すように、

自我として再生される。

ここは、生死を越えて存続し、生を支えているので、

生きている間、常に録画録音され続け、種子は蒔かれている。

意識的に再生されることもあるけれど、無意識のことが多い。

この無意識を超えると、穏やかで静かな仏の心になる。

そうでなくても、録画録音されるものが清浄なものだけならさして問題はない。

けれど、そんなことはありえない。


そんな中から心はいろいろ動く。

つらいことを知らなければ、つらいという心は無いけれど、

つらいことを忘れればつらくない。

つらいことも、つらいだけだと思えばつらさは消える。


心の発動には、

楽天的な悲観的か

自信があるか無いか

知識が豊富かどうか

論理的か感情的か

でずいぶんと違いがある。

心身が陽性か陰性かで、全く違う。



いずれにしても心は大きく広い

過去も未来も、いくら遠方でも自由自在である。

そこに戯論ではなく、真理を。

迷いではなく悟りを

求めるのが修行である。





[ 2017/06/22 09:51 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
心の探求 6:虹と水晶
虹を観ると得した気分になる。

それは見えるけれど、実体は無い。

虹の色は連続しているから七色ではなく、七色と見ているだけ。

僕も同じように実体はなく、自分だ、と見ているだけ。

僕は虹のようなもの。

 



水晶に映るものは、水晶の中にあるように見えるけれど、実際には無い。

世の中のものも同じように、僕の心に映っているだけ。

それは、世の中のものに働きがあるのではなく、

僕そのものの性質の働きで映る。それが心。

心の力によって知覚している、内的なイメージ。

それを、あるがままのもの(仏性)と云い、

本来あるべきもの。

ところが、実際にあるものが、あるべきものになっていないだけ。


その、本来あるべきものは、さまざまな形をとって心に映る。

虹や水晶に写るもののように、そのまま現れるもの。

自分の楽しみのため、他を楽しませるために現れるもの。

何か教えてくれるものに化身してあらわれるもの。

自分の周囲にあるすべてのものに伴って現れるもの。

心には仏性があり、如来蔵なのだから、

すべてものは心の発現であり、仏である、ということになる。

そう考えると、

僕らの心は本来仏であるとともに、身体も仏身である。




[ 2017/06/23 07:53 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
道草 常総編
常陸国と下総国をあわせて常総と云う。 今の茨城県と千葉県。

現在、常総地方と云えば、

茨城県南西部、守谷市、つくばみらい市、取手市、常総市あたりを指す。

甲子園でお馴染みの常総学園があるのは、少し北の土浦市。


僕がいる栃木県南部から上京する時は、

車なら国道4号線、または筑波山を眺めながらの国道294号線

鉄道ならJR宇都宮線、東武スカイツリーラインなどいくつかルートがある。

過日、

千葉県船橋から栃木まで、一度乗ってみたかったルートで帰った。


高根公団から新京成電鉄・松戸行に乗車。

新京成沿線は工事中が多い。もっとも、日本は僕が生まれてからずっと工事中だ。

新鎌ヶ谷で東武野田線に乗り換える。

今は、東武アーバンパークラインという。

名前というのは、それが何であるか耳で聞いて分かるものが良い名前・言葉である。

野田線なら野田を経由する路線と分かるけれど、アーバン何とかでは何だか分からない。

やたらと横文字にするのは頭が弱い証拠だ。

柏でJR常磐線に乗り換え取手へ、ここから茨城県。

 12:00発の関東鉄道常総線に乗る。これは国道294号線にほぼ沿う。

複線電化でレールも太い常磐線から、

単線で細いレールが左に分かれてカーブする景色には情緒がある。


ここから水海道までは15ヘッドで発車する。非電化のディーゼルカー。

乗客は多く、ロングシートの座席がほぼ埋まっている。

本数も乗客も多いのに電化していないのは、

近く(石岡市柿岡)に地磁気観測所があり、観測に影響を及ぼす直流電化ができないからだろう。

常磐線が乗客の多い土浦はなく取手で直流から交流になり、

つくばエクスプレスの守谷ーみらい平に交直セクションがあるのも同じ理由。

交流電化は車両費が高価になるので、関東鉄道は非電化のままなのだろう。



沿線は平将門ゆかりの土地。

非電化で複線なので架線が無く、運転席から見える景色が広い。
 


水海道で乗り換える。

駅でも空間が広い。






バブルが過ぎるころまでは、

そこそこの町には必ずキャバレーがあり、大規模な店をグランドキャバレーと云った。

夜は華やかだった。

今はおとなしく、精気の無い機械的な町が多い。


水海道からは単線で、客層も変わる。

車内で子どもが走り回り、

鼻毛を抜くおっさん、原色の服で髪を紫に染めたおばちゃん、都会よりがっちりした高校生など。

 
車窓には麦畑が拡がる。

5月には、黄金色の麦と青田の緑の対比が美しい。


石下を過ぎると右手に筑波山が見える 。

標高877メートルの低い山だけれど、広大な関東平野にそびえるから存在感がある。


下館でJR水戸線に乗り換え。

下館から二つ目、川島駅北の専用線廃止跡を眺め、

小田林を過ぎて小山に近づくと交直セクション。これも地磁気観測所との関係。

小山駅構内へ向かって右へカーブするあたりで、左へ分かれる廃線跡が見える。

これは、急行「つくばね」が走っていた水戸短絡線。

グリーン車も連結した455系だった。


小山で宇都宮線下りに乗り換え、次の小金井で下車。

帰宅して晩酌。






[ 2017/06/24 08:57 | Comments(0) | 道草 ]
彼は嘘をついている。
前事務次官M氏と官房副長官H氏を望診してみると、

M氏の胃腸(不安)と、H氏の肝臓(不耐)

に特徴があり、

耳と鼻の違いがよく現れている。

全体的には、前者は比較的陰性で、後者は陽性。


名前を観ると、

M氏
天格12
人格15
地格17
外格14
総画29

H氏
天格23
人格11
地格7
外格19
総画30 

いろいろ大変なのだろうなあ。

対人関係を現す外格は両者とも凶数。



もし、手相を観ることができれば、

掌の皮膚が柔らかい、つまり陰性な人は、権力より名誉が好きで、

手の硬い人は陽性なので、保守的で金に執著する傾向がある。

そして、
 
ウソをついている時には手の指が動いている。

さらに、

掌を下に向けていると緊張がある。


人には様々な境遇があるけれど、

画数が良い、身体が丈夫である、財産がある、人相手相が良いなどは、
 
親からもらったものであり、自分で努力して得たものではない。


病弱で貧乏で画数も凶なら、
 
さあ、やってやろうじゃないか、と自分で人生を善くするために努力工夫できるから、

毎日が楽しくなる。
 
未完成で不運と不便があるから、人生の感動やありがたさや真実が見えるはず。


これは嘘ではない。







[ 2017/06/25 15:01 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
優等生
塔婆を頼まれた時に、

おいくらですか?

と聞かれたので、

一基(一本) 3000円です。

と答えて不思議な気持ちになった。


先日、菩提寺の塔婆も3000円だった。

東京や埼玉や徳島の縁あるお寺も3000円。

いろいろサイトを見ると、やはり3000円程度。

30年前、東京の寺で働いていたときも3000円だった。

もちろん、

あの板の仕入れ価格は毎年上昇しています。 

長さによっても値段は違う。


なぜ、3千円なのだろうか。

開眼供養料はどうなっているのだろうか。


まあ、いいか。



下記の本、差し上げます。 

ご希望のかたは、送り先ご住所とお名前を、メールまたはFAXでご連絡ください。
 


『瞑想のヨーガ』 前田行貴 著



『自由への道』 クリシュナムーティ 著



『あるヨギの自叙伝』 パラマハンサ・ヨガナンダ 著



『アーユルヴェーダ』 V.B.アタヴァレー 著



『チャクラ』 C.W.リードピーター 著



メール:gbqmk185@ybb.ne.jp

FAX:0285-35-4901




[ 2017/06/27 13:29 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
道草 大佐倉編
ウグイスの鳴き声が変ってきた。

春とは違い、あきらかに上手に、法華経に近くなっている。

合間にヒバリやキジや知らない鳥も鳴く。

でも、

数年前からカッコウの声が聞こえなくなった。

格好の住処だった木々が減ったからかな。

もっと木が少ない都会は、ウグイスもいないのだろうな。


それはさておき、
 
千葉県佐倉市は東京から見て成田の手前。

城下町で寺町もあり、

印旛沼を中心に、多くの原始古代遺跡がある。 

有名なのは国立歴史民俗博物館。


古い町並みが残り、古書市も立ち、歩くのが楽しい。

丸ポストも多い。



吉田書店前のポスト




市の中心にある京成佐倉駅の隣が 大佐倉駅、次は 京成酒々井駅。

駅舎は無い。

下り線(成田空港方面)ホームに小さな事務室があるだけ。

駅前広場は無い。

すぐに路地。

跨線橋は無い。

上り線(京成上野方面)ホームへは構内踏切を渡る。


ダイヤは日中で一時間に3本。

回送列車もあるので頻繁に走っている 。

一日平均乗降人員は京成線全駅中最下位。



駅の周辺は住宅地、空き地、森、丘。

住宅ではなく、木のある丘が嬉しい。





足を洗える高さに水道がある。

通過するのは京急ブルースカイトレイン。

京成には京急のほか、都営地下鉄、北総鉄道の車両も走るから楽しい。





木のベンチが懐かしい。後ろは木々が覆う。

ここでは、

ウグイスの声が聞こえる。




[ 2017/06/28 15:57 | Comments(0) | 道草 ]
意識とは何だろうか 1
2011年10月、

高野山大学でのシンポジウムで、脳科学者の茂木健一郎氏が、

科学者は意識を全く解明できていない、

と話した。

光や音を感じ、だるい疲れた、などと感じる現象を科学的に解釈すると、

脳内にある神経細胞やニューロンが外部刺激に反応していることである。

そこには、

いわゆる意識というものは存在していない。

脳のシステムのどこにも意識は見当たらない。

神経細胞の分子は意識ではない。

意識を持つとはどういうことか、意識は存在しているのか、

これをどう調べていいのか、検討すらつかない。

でも、

私たちは「意識はある」と認識している。



それに対してダライ・ラマ猊下は、

たえず意識と向き合い、検証し、研究史、修行する。

そうして少しづつわかる。

固定観念を持たず、現実に起こっていることをつぶさに観察すること。

そして、部分をつなぎ合わせて全体像を把握する。

意識は、

現実にそう思われるものと、もっと究極的なものがあり、
 
それは何かから生み出されたのでも、消えるものでもない。

始まりも終わりもなく、引き継がれてゆくもの

と云う。



仏教では

心(citta チッタ)
意(mano マノ)
識(vijñāna,ヴィジュニャーナ)

を区別し、

識は対象を認識する心の作用。

たとえば、

眼が対象を認識して「見る」ことが眼識

意識は、

その見たものの色や形を、好き嫌いなどに認識区別する精神作用。
 
見たことを思うこと。


ところで、

因果の法則では、

原因が無いところには結果は生じない。

だから、神の創造とか自然に生まれる、ということは無い。思いも意識も同じ。


不変から結果は生じない。

永遠のものは変化しないから、原因にも結果にもならない。

だから、すべては無常で変化する。思いも意識も同じ。


原因には結果を生み出す素質がある。

だから、無関係のものからは生じない。思いも意識も同じ。


そして、

意識が行為に関係する。

困っている人を見た時に、

その人を救いたいと思う心の働き(意識)が起これば、助けるという行為になり、

その人が嫌いという心の働きがあれば、冷たい態度という行為になるかもしれない。

心によって異なる意識にもとづく行為が、何かの因果になる。




[ 2017/06/29 10:45 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
意識とは何だろうか 2

右利きだった中学生が右足を悪くした後、

キックを左足で蹴るようになったらサッカーがうまくなった。

さらに、それまで苦手だった英語もできるようになった。


右利きだった小学生が、

コーチの指導で左バッターに変えたら、野球が上手くなり、

勉強もできるようになり、テストで学年一番になった。


右利きの高校生が左手でご飯を食べるようになったら、

成績が伸びて学年で一番になった。


これらの事象を、

左を使うことで右脳が刺激された結果である、

という感想を持つのは自由だけれど、あまり意味はない。

なぜなら、

右利きのままでいた場合と比較できないし、

ひとりの結果だけでは、他の理由によるものかもしれない。


そもそも、

右脳と左脳を比べることは不可能に近い。

それを、どのように計測するのか。

右脳と左脳の機能は違うが、有意な個人差はない

というのが現実。


目、耳、鼻、手足、肺、腎臓、生殖器など、左右にあるものの違いは陰陽のみ。

脳も同じ。右脳と左脳の機能には違う部分があるけれど、

どちらが発達しているから、この人はこうだ

というような分類はしても意味がない。


意識は右脳と左脳で異なる動きをしているだろうけれど、

それよりも、

何かを見たり聞いたり感じた時に、

その原因や、そこから起こる結果が事実であるか、妄想であるか、

ウソかホントか、

論理的か感情的か、

科学的知見か通俗か、

それらを意識は了別することができる。

どのようにでもなる、

というのが意識。




 


 


[ 2017/06/29 11:34 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
意識とは何だろうか 3
大乗仏教では、

個々の現象を分析して認識する「識」よりも、

存在全体を把握する「智慧」を重視します。

あの子は可愛い、

と認識するよりも(煩悩)、

あの子も仏性があり、

仏と僕とあの子は平等である(悟り)

と直観することが大切。



眼が色を見る、という眼識や、

耳識・鼻識・舌識・身識を、

意識が判断し、

自我(無意識)が構成され、

阿頼耶識に記録されます。

阿頼耶識に記録されたものは、

常に刺激されて何かの拍子に自我に表れ、意識に上る。

そして、

眼識などの表層にまた現れ、

意識は深層心理と表層心理をつなぎます。

意識は、見る(視覚)聞く(聴覚)と同じく知覚の作用。


これらの識は分別差別迷いの世界であり、

煩悩と煩悩の残りかすなので、

修行によって智慧に変えるのが仏教の立場。


意識は、よくよく分析して見極める智慧になります。


識が智になるのは陰陽五行説にある通り。


識は脳の働き、と考えれば、

神経反射で、身体の各部とつながります。




右脳の異変は右の便秘や左ひざの不調に、
 
右ひざの不調は左側の便秘や左脳に影響します。

ですから、

体調と心理は無関係では無い。


肉体をはじめ、

世の中のモノは心を表現するものです。

その心は識大と云い、一切の智慧を持つ、

というのが密教の考えかたです。


それは、

一切の所依であり、清涼なので悩みの熱を去り、

無知の薪を焼き、煩悩の塵を吹き飛ばす。

すべての分別を離れ、汚れに染まらない。


識が智慧に替わるとは、そういうことです。





※六大陰陽五行色体表の詳細は

拙著『望診法講義録 手相編』


神経反射については

拙著『望診法講義録 宇宙を診る』

をご参照ください。




[ 2017/06/30 10:15 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
富士額
トイレ休憩で立ち寄った店に、懐かしいものがあった。


こういう類の、

確実にまずいものを時々食べたくなるのは、

郷愁とか懐古なのだろうか。



それはさておき、

髪がある頃、

僕は富士額だった。

額は大脳の状態が現れるから、そこを観察すれば、その人の知的レベルがわかる。

狭くて富士額の僕のアタマは弱かった。落ち着きがなく、おしゃべりで協調性もなく、自分中心。


流年法では、

生え際を0歳、眉毛の線を二十歳と観るので、

生まれるときに陽性の力があったことが、富士額の原因かもしれない。

あの形は陽性である。


その後、

剃髪して富士額は見られなくなり、

最近はだんだん禿げ上がってきたから、毛髪が生えても富士額は消え、
 
おでこが広々してきた。

だからと言ってアタマが良くなったわけではない。


ちなみに、右が禿げ上がるのは肝臓、左は胃の疲れ。

身体に表れる症状では、右が陽性な肝臓、左が陰性な胃に関係していると観て良い。




アタマの良し悪しは、額よりも耳に良く現れる。

耳の位置、大きさ、硬さ柔らかさで観る。

日本人は魚を多く食べる民族で、

魚のたんぱくは腎臓に影響し、

腎臓の様子が現れる耳に特徴が出やすい。

魚の陽性を何で消しているかで、体調と脳の状態が変わる。


ある国の指導者が、

富士額で狭いオデコだったことに気がついて、

なるほどなあ、と感じた次第。







[ 2017/07/01 07:07 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]
断食と食べすぎは同じことである。
ご飯にはお米と同量の水分があり、

味噌汁・野菜スープと漬物には、水分と陰性なカリウムが多い。

漬物は、

キュウリの塩もみや、トマトに塩とレモンを振ったもので良いのだけれど、

それらは夏の味である酸味。もちろんかんきつ類も。

カリウムも水分も酸味も陰性なので、

余分な塩気を溶かして血液を適度に薄める。

つまり、身体を冷まして血行を良くするので、たくさん食べましょう。

魚の陽性はきゅうりで、卵鶏肉のそれはトマトでよく溶ける。


カンピョウ、高野豆腐、糸昆布、大根、人参の煮物。


乾物と野菜を炊けば、野菜の陰性なカリウムを含んだ水分がたくさん摂れ、

塩気と火の陽性があるのでお腹が冷えない。

夏のお惣菜です。



それはさておき、

摂食、性行動、身を守る攻撃、平衡感覚、呼吸、安定な姿勢を保って歩く、

などは本能的な行動で、心は関係していないように思われます。


また、

見たもの、聞いたこと、肌で感じたものは、

目や耳や皮膚の感覚器が受け止め、大脳へ信号を送る。

そこでも、

「私の心」は何もしていないように見える。


血中のブドウ糖濃度が低下して、その情報が脳へ送られ、摂食中枢がキャッチして、

食べ物を食べるという本能的な行動も同じ。

しかも、

石ころやウンコは食べずに、食べ物であるべきものだけを食べる。


でも、

空腹なのに断食する

満腹なのに食べる

食べるべきではないものを、わざわざ食べる

などは心が行うレベルで、

心が運動神経に電気的信号を送っている。

そして、

心はそれらの行動を記憶する。


心が関わらない本能的な行動に善悪は無いけれど、

心の行動には善悪や 自他の区別がある。


認知、思考、感情、意志、創造なども心の働きで、

それによって脳と身体が反応するのだけれど、

本能的行動と心が関わるものとは、何が違うのだろうか。


前者は自然の制約があり、後者はそれがないから自由。

だから、

心は自由の根本、ということで、

自由があるために自我が起こり、自他を区別する。

迷いと煩悩の始まりである。


もうひとつ大きな問題は、

人間は自己・自我を実体があり不変なものであると自覚していること。

肉体も脳も心も、宇宙も自然も、常に変化する無常なものなのに、

不変で無限な自我を考える。

無常なものが不変なものを考えるとは、おかしなことで、

自我も心も脳が作ったもの。

諸法は無我である。




[ 2017/07/03 16:30 | Comments(0) | 米ぞうの家 ]



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